リアルマインド・ナビゲーターの光汰郎です。

 

スピリチュアルな真理、学びってものは、
どういう言葉で書いても、あの手この手で表現を変えて説明しても、誤解が絶えることはないんだなって実感しています。

その難しさを痛感しています。
究極的には分かる人だけ分かってもらえたらいいのかなというスタンスですが。。。

以前、ブログにもチラッと書きましたが、
サイトをくまなく読んでくれる人は皆無に近いです。

それは仕方ないです。

読む読まないは読者の方の自由です。


でも困るのはサイトの数ページだけを読んで全体を判断されることですね。

 



僕はくり返し「目に見えるこの世界は幻想です」と書いてきました。


現実と信じることで続いてく苦しみがあり、
現実と信じることで続いてく憎しみがあったりします。


『現実ではなく幻想であるという事実に私たちの救いがある』

そういうメッセージを込めて、くり返しサイトに書き、くり返しクライアントさんに伝えてきたのです。



しかし、幻想だと言い続けることで誤解も生まれます。


「確かに幻想かもしれないけど、幻想だからっておろそかにしてはいけないのでは?」と言われたりもします。

しかし、僕はサイトでもブログでも、

幻想だからいい加減に扱っていい、幻想だから経験することはどうでもいい、とは一言も言っていません



むしろ自分に見えるもの、自分が体験する出来事、自分の置かれた環境、自分の人間関係、

これらはすべて本当の自分になるための(本当の自分を思い出すための)レッスンになると伝えてきました。


レッスンだからこそ、目を反らさず、他人のせいにもせず、それぞれときちんと向き合う必要がありますと書いてきました。



出来事も、人間関係も、
もともとは自我(フィジカルマインド)が投影したものであり、

神が創造したものではないので、何か最初から意味を与えられているわけではありません。

 

意味は私たちが自由につけてよいことになりますが、どうせ意味をつけるなら、

自我の視点でつけた意味よりも、ハイヤーマインドを反映した意味をつけるほうがいいのです。


なぜなら、私たちの心を苦しめるのはいつだって自我がつけた意味なのですから。

 




自分の経験の一つ一つがゆるしのレッスンだとくり返し書いてきても、


“幻想だからおろそかにしてもよいと教えている” と言われてしまうと、

どこをどう読んだらそう読めてしまうのかわかりませんが、どういう表現で書いても誤解する人は誤解するのかなって思います。



あるいは、幻想だってくり返し言われて反発したくなるのは、自分の中の自我(エゴ)が反発しているだけってこともあります。
自我はこの世界は実在していて捨てがたいものだと信じているわけですから。

 





幻想世界であっても、幻想から覚めて実在の世界に戻るには体験する幻想を利用しなくてはなりません。

 

言葉もコンピューターも幻想ではありますが、今ここにいる私たちはその言葉やコンピューターといった幻想を利用することで

“幻想からどうやったら目覚められるのか” その方法を知ることができるわけです。

そして、体験そのものは幻想であっても、

 

その幻想を生み出しているのは自分自身のマインド(フィジカルマインド)なのですから、

 

 

自分が生み出した幻想の一つ一つから目を反らさず、

 

自我としての自分の見方ではなく、

本当の自分(ハイヤーマインド)の視点で同じものを見ることができた時、

その一つの幻想はネガティブな効力を失うのです。

 

それがレッスンの一つの完了であり、

そうすることで幻想から実在へとまた一歩近づくことができるのです。

 


言い方を変えると、それがこの幻想世界への執着を一つ手放すということでもあります




これからも何かと誤解はあるでしょうが、当分書くことをやめるつもりはありませんので、よろしくお願いいたします。笑

 

 


とりあえず「これでいいのだ」

 


 

 

 

 

 

 

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