リアルマインド・ナビゲーターの光汰郎です。


お久しぶりです。
今日は数日間の断食を終えて清々しい気持ちです。
この感覚は断食経験者ならわかってくれるでしょう。笑



身体が軽くなります。

体重がいくらか軽くなるってことでもありますが、断食の目的は不食によって内蔵の負担を軽くさせ本来の働きを取り戻すために行います。

集中力が戻ってきました。


僕の場合は断食に加えて洗腸を定期的に行っています。

ご存知の方も多いと思いますが、洗腸は宿便をとるのが目的です。

クリニックで行う人も多いですが僕は自宅で行ってます。

 

宿便はなかなか排出されずに腸壁にこびりついてしまっている便のことですが、この宿便が腐敗して毒素となって体内に再吸収されて様々な不調を起こすわけですね。



やっかいなヤツです。笑


洗腸を行うペースは人によって様々ですが、
僕は宿便が溜まりやすい体質なので(もともと腸の働きが弱いんだと思います)2週間に1回のペースで行っています。


僕はエドガー・ケイシーのやり方を採用しているので、ぬるま湯に重曹と食塩で2回、最後に1回グライコサイモリンを混ぜて行ってます。

 


ごくまれに、身体に良いからといって毎日洗腸を続けてしまい悲惨な状態になる人もいます。

洗腸をやりすぎると腸が自力で排出しようとする力が弱くなり、かえって体調不良になったりするので気をつけなくてはいけません。




最近、僕は体調を崩してしまってました。
寝込んでしまう日もありました。
僕は昔から絶好調だった日は本当に少ないのですが、最近は特に調子を崩していました。

 


僕自身が病気をテーマにサイトで書いていますが、
病気はマインドが引き起こします。

 


肉体の中で起きていることだから肉体に原因があるように思ってしまいますが、
肉体を含めてこの世界はマインドが投影する幻想ですから病気の原因もまたマインドの中にあるわけです。


そしてマインドの何が原因になっているかといえば、

その原因を辿っていくと、それは間違いなく『神』や他の『神の子』からの分離意識であり、罪悪感です。

 



罪悪感が様々な病に変わるのです。

 




僕はここ何年か毎日のようにマインドの罪悪感と向き合ってきました。

 

罪悪感がつくりだすネガティブなものたちを観察して、毎日毎日それを根気強く赦し続けることで、ずいぶん変わったつもりでいました。
(コースの学習者ならわかりますよね)


赦す対象は、出来事であり、自分の環境であり、誰かのことであり、自分自身です。

それでもこうやって1ヶ月も2ヶ月も体調を崩してしまうということは、

あらためて自分の分離意識はマインドの中にまだまだ根強くへばりついているんだって気づかされます。


僕の場合、昔から体力が弱かったので定期的に断食と洗腸をしていれば何とかコンディションは保っていられたのですが、

僕のマインドで分離意識、自我(エゴ)が強まっている時は、断食する意欲もなくなっていきます。

 



自我が強まると身体の波動は落ちます。


人によって違いはありますが、
僕の場合は波動が落ちると精神的にソワソワして落ち着かなくなり、空腹でもないのに食べてしまいます。


腹に何か入れると一時的に気持ちが落ち着くような気がするからです。


人によってはアルコールやタバコかもしれません。


波動が上がっている時は、瞑想や呼吸法で落ち着かせてすぐに軌道修正するのですが、

波動が低い時は安易な手段で間に合わせようとしてしまうのです。

 



しかし、空腹でもないのに食べ続ければ当然身体はバランスを崩します。


宿便も溜まります。腸内で毒素をつくります。


洗腸だけは何とかやっていたのですが、あとからあとから必要ないのに食べてしまうわけですから(特に炭水化物を)体調は一向に戻らないわけです。


断食すればいいのですが、波動が下がっているときは断食を始めても途中で挫折してしまいます。


断食しないと体調不良が続き、

体調不良が続くとまた波動が下がって断食する意欲を失うという悪循環に陥っていく……そんな感じです。

 

 




本来の私たちはスピリット(霊)です。


マインドの中で「肉体の中にいる」という夢を見ているにすぎません。

だから『食べる』という行為そのものは、
「自分は肉体である。だから食べなくては死んでしまう」という誤った観念の結果です。

分離意識が薄れてゆけば、
それはマインドの罪悪感が薄まっていくことであり、霊的進化をするってことですが、だんだんと食べなくても平気になっていきます。

 

 



『食べる』=自分はスピリットではなく肉体であるという信念



ですね。

 




お坊さんが修業と称して断食したりしますが、
断食が上手くいっている間は肉体からスピリットである本来の自分にフォーカスしやすいからでしょう。

しかし断食するほど霊的に進化するかというとそんなことはありません。

「本当は食べたいのに我慢している」と断食中に感じてしまうと、

そう感じている間は「自分はスピリットではなく肉体だ」という信念を強めてしまいますから、

身体的な苦行をすれば進歩が早まると単純に考えるのは要注意ですね。

 


私たちが何も食べなくて済むまでに進歩するには、長い長いプロセスを経験してゆかねばなりません。

 

そうなれるまでは、ほどほどのところでバランスをとっていくしかありません。




すべてはマインドが先です。


マインドが変わってくることで、

 

マインドの中にある罪悪感が薄まることで、

 

だんだんと意識が肉体からスピリットへ向かう時間が増えるのです。


そして、その罪悪感を薄めるためには、やはり様々な出来事や、様々な人を赦していかねばならないのです。

 





すべては本当は起きていないのですから。。。

 





ちなみにマインドの罪悪感は、病気以外にもあらゆる形で現れてくるもので、

残念ながら、【健康な人=分離意識がない人】とはなりません。


しかし、罪悪感が病気として表面化してくる人は、分離意識が薄れるにつれて快方に向かうことはあるでしょう。





僕の話に戻りますが、病気の人の痛みや辛さを和らげるために【あなたと共に祈る】という企画をやっていましたが、これはもうやめようと思います。
自分の病気を治せない人間が、他人の病を癒すお手伝いはできませんよね。
ただ、癒やしは聖霊と本人の間で起こすことなので、僕が誰かの病を癒やす力は最初からありません。

僕はクライアントさんと聖霊の橋渡しをするアシスタントにすぎません。



『奇跡のコース』(あるいは『奇跡講座』)で、

イエスは、病人に手をかざして病を治すような行為を「魔術」とか「魔法」と呼んで注意を促しています。


《身体からある種のエネルギーを出して他人の病を癒やす》

 

 それは一見確かに起きているように見えてしまいますが、この世界そのものが幻想であり、肉体は幻想であるわけですから、

肉体を癒やすエネルギーもまた幻想になるわけです。

 



すべては自分のマインドの中で見ています。


癒やしが起きるときはマインドの中で起きています。

自分の外側から来るエネルギーによって自分が癒やされるという感覚は幻想なのです。

 

 


これは手をかざすヒーラーが嘘をついているという意味ではありません。

物理現象のすべて、物理現象を引き起こすエネルギーのすべては、実在の世界から来ているわけではないのですから、実体のない魔法ということになるわけですね。


実在の世界にエネルギーというものは存在しません。

なぜなら実在の世界には『変化』も『違い』も存在しないからです。

 

実在するものは、すべてが一つであり、すべてが永遠です。


エネルギーは変化しますし、様々な異質なエネルギーがありますね。よってエネルギーは実在していないことになるのです。



ヒーラーが手をかざして誰かの病を治す時、
もしも波動やエネルギーを可視化できる装置があるのなら、確かにヒーラーの手から癒やしのエネルギーが出ているのが見えるでしょう。


しかし、肉体もエネルギーも、それを測定する装置も、実体を持たない幻想であることに変わりはありません。

 

 



病が治る時は、病人本人が、

 

 

「自分は病気でいる必要はない。自分は健康に値する尊い存在なのだ」と自分で自分を赦した時です。



病人を癒やすヒーラーは、

言葉でもなく、手から何かを出すことでもなく、

自らもそう信じる信念によって、病人のマインドに影響を与え、その反映として物理的な変化を起こすのです。

 



あなたは『神』と同じく尊い存在です。



僕も『神』と同じく尊い存在です。

 



お互いにそれを忘れないようにしましょうね。

 




ちなみにサイトの【メール・ナビ】は、方法を少し変えて再開しました。

 

【あなたと共に祈って奇跡を起こす】では、
聖霊への質問、聖霊からの愛を感じてもらうための祈りは続けていきます。

 

興味のある方はどうぞ☆

 

 

 

 

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