リアルマインド・ナビゲーターの光汰郎です。
先日、
何かやらかしちゃったかなとドキッとしました。笑
『奇跡のコース』の学習者の方らしいのですが、
僕のサイトを読んでメールを思い立ったようです。
僕のサイトはコースの学習者の方の閲覧者は少ないと思います。
僕のサイトがいかに間違いだらけなのか詳細に列挙してありました
関係本を読み返しながら、
僕の解釈や説明のどこがどう間違っているのか、
なんだかどこかの知らない先生が突然部屋に入ってきて、
こういうことはコースの学習者やスピリチュアリズムの学習者に往
自分が学んだ方法、
自分が納得できた解釈、
それ以外は“間違い”と決めつけて赦さない。
このサイトを始めるとき、
いろんなこと言う人はいるだろう……
でも意外に来なかったので、すっかり油断しておりました。笑
正直言って「困ったなぁ…」です。
何が困るかというと、この人の場合、
「このページとこのページは訂正したほうがいい」とか
「
放っておけないのでしょうか。
スルーできないのでしょうか。笑
僕のサイトをどう思うかは読む人の自由です。
しかし、
僕の考え方、解釈や説明の仕方に納得いかないのであれば、
自分と違う解釈は排除したいのでしょうか。
それじゃあどこかの宗教と同じです。
サイバーパトロールのように自分と違う解釈を見つけては修正を要
僕のサイトが人気サイトで、
読者数の少ない僕のサイトの何がそんなに気になるのか。笑
この方にお返事して一つ一つ反論すべきか、
あえてスルーするほうがお互いのためなのか、
『時間を置くこと』 『
だからお返事せず放置しました。
この方は、僕を自分と一つの『神の子』
それとも、僕の間違い探しをすることで、
動機は愛か、それともエゴか…
しかし、読ませていただいて、「なるほどそうだな」と思えた点もありました。
ご指摘いただいた部分を、
方法がわかりしだい修正したいと思います。
しかし、一方で「それは違うんだけどなぁ」
仮にこの方の指摘に従って書き直したとして、次はまた違う人に「
誰かの主張に間違いを指摘したくなる誘惑は僕にだってあります。
でもそれは相手から意見を求められないかぎり、
心の中に留めてスルーする。
赦していく。
だってそうしないとそこからどちらが正しいか延々と水掛け論が始
相手を黙らせるまで続くのです。
あ〜〜めんどくさい……笑
スピリチュアルな学びに絶対的に正しい解釈なんてないんです。
万人に理解してもらえる方法もありません。
完璧な教え方、伝え方なんてないんです。
同じ説明で理解できる人、ちんぷんかんぷんな人。
同じ解釈で納得する人、誤解してしまう人。
それは避けて通れないことです。
どうしたってそうなるんです。
宗教の経典を見てください。何千年経っても誤解が絶えることはありません。
「あぁ、この人の説明は肌に合わない」
そう思ったら、さっさと違う人の話を参考にしたらいい。
「自分ならこういう書き方はしない」
そう思ったら自分で本を書くなり、サイトを作るなりすればいい。
そう思いません?
でもこれは僕にとってのレッスンです。
サイトを続けるなかで、
正しいタイミングで、レッスンに適した相手を引き寄せたのです。
それによって僕が何を恐れていたのか、
どんなことをまだ赦したことがないのか表に出てくるのです。
このサイトは僕の学びの軌跡です。
学校の教室ではありません。
僕の成長記録のような、写真のアルバムのようなものです。
僕が実践したものだけを書いています。
だから「どうして○○については書かないの?」
でも自分が実践できていないことを書き綴ったところで、
このサイトは、ある人には役に立ち、
でも、それでいいのです。
それが自然なのです。
その人のことを聖霊に尋ねたらきっと「自分のために赦しなさい」
その人も聖霊に僕のことを尋ねたら同じく「赦しなさい」
結局やることは皆同じです。
いつだって同じです。
めんどくさいけど。笑
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