万場宿から北西へ。
万場の交差点で県道115号線を越えると直ぐ海部郡大治町。少し進むと佐屋街道は西に向かい、砂子橋。
流れるのは新川。
上流方面(北)

庄内川への水の集まり過ぎによる洪水を防ぐ為の人工河川(天明七年・1787年)
なので直線的。
この先の美濃路に架かる新川橋のたもとに詳しい案内があります。
下流方面(南)

下に万場小橋(県道115号線)で、上に名古屋高速5号万場線。
高速は西(右)に直ぐ名古屋西JCTで、
直進は東名阪自動車道、北に名二環となる。
佐屋街道に戻して、橋を渡ると県道117号線で、従って西から北へ。
突き当たりに(少しずれての直進はある)
高札場跡。

更に西に稲荷社。
佐屋街道を離れて、道標が指し示す北へ。
途中の大治南小学校の前に移設された道標。
光暁寺の厚意で教材用に移設されました。
明眼院ではなく光暁寺の所有だったて事?
更に北へ。
県道68号線を越えて、大治町役場の南に明眼院。
道標があったのもですが、離れたここに来たのは赤い格子に惹かれたから。
仁王門は濃尾地震で倒壊して撤去(明治24年)
右側の阿形。
左側の吽形。
たまたま案内の左に写ってた(笑・隠れてるけど)
最澄の弟子・聖円が五大山安養寺として
開基したのが始まりとされ(延暦21年・802年)
荒廃状態だったのを清眼が再興し、医王山薬師寺と改名(南北朝期)
清眼は漢方医療を学んで眼科治療を始め、
日本で最初の眼科専門の医療施設となります。
桃園天皇の皇子を治療して勅願寺の格式を与えられる(明和三年・1766年)
左手に旧多宝塔(国登録有形文化財)
鎌倉時代の作と推測されます(町指定有形文化財)
土台にマリア。
裏に小堀遠州の庭園。
僧侶の中には眼科医になったのも居たそうです。