法持寺【尾張】美濃路 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

誓願寺の少し北に県道224号線と交わる旗屋町交差点。
地下鉄・神宮西駅がある所で、伝馬町駅から1区間歩いた事になる。
まだ頑張りますよ(^^;

渡って直ぐに、美濃路から少し離れますが西へ。
突き当たりに白鳥山法持寺。

仁王門(あ、撮ってない)の前に信長攻路の銘板。
信長が桶狭間に向かった道を人生大逆転街道として、
名古屋市が観光PRイベントをしてます。
詳しくはこちら→信長攻路

この銘板がある所で何かすると何かなります(笑)

簡単に書くと原哲夫とコラボしてて、アプリで漫画読めたり出来ます。
事前にダウンロードするの忘れたので試してません(^^;

法持寺は日本武尊の御陵(伝)を守る寺である事から、
信長が立ち寄り戦勝祈願したと言われます。

戦勝祈願地は幾つかあって行ってましたが、
ここは知りませんでした(^_^;)

ルートも諸説ありますが、それらを結ぶと美濃路になります。
私は清洲方面に向かってるので凱旋ですね(* ̄∇ ̄)ノ

ここにも尾張名所図会。
石垣や土塀に囲まれて城の様でした。
江戸末期~明治初期の絵なので信長の頃はここまで立派ではないでしょう。

仁王門の左手には、
「大功徳院有栖川宮一品親王中務郷御祈願所」と
「北の湖 第五十五代横綱誕生の寺」の石碑。
後ろに切れてるが禁牌石。
以前は美保ヶ関部屋の宿舎で、
名古屋場所後に北の湖が横綱に昇進してます(昭和49年・1974年)

禁牌石は酒・煙草を禁じた石碑で、空襲で破損している。

仁王門の裏にすりこぎ。
力士が体をぶつけて稽古した棒でした。

入っても相撲関連が続く。

撫で石。
この石を抱き上げて励ました(鍛えた?)
上がるの?(゚Д゚;)
撫でて強さにあやかる物ですね。

北の湖の句碑。句碑?( ゚ε゚;)
最年少記録(21歳2ヶ月)で横綱昇進(昭和49年・1974年)

左側。
「どんなにつらくても 何と云われようと 相撲をとるのは心
自分が駄目だと 思ったら とれるものではない」横綱北の湖
二十四回目の優勝時の名言(1984年)

翌年引退(1985年)
通算勝星:951勝(歴代5位)
幕内優勝:24回(歴代5位)

裏側。
第九代理事長に就任(平成十四年・2002年)
力士による暴行死事件・大麻問題などで辞任(2008年)
再度理事長になるも(第十二代・2012年)
現職のまま亡くなります(62歳・2015年)


芭蕉の句碑。
何とはなしに 何やら床し すみれ草

右に山岡荘八の句碑。
藪柑子 霜立つ庭の 媚びとなり

「徳川家康」の作者で、家康も白鳥御陵に詣でた事から法持寺に訪れます。


本堂。

由緒沿革。
弘法大師が熱田神宮に参詣した際に、
日本武尊を慕い小祠を建立したのが草創と言われる(天長年間・824~834年)

白鳥御陵(伝日本武尊陵)を鎮守とし、
御陵の宝物を護持する所から宝持寺と称してました。

秋谷義光大和尚が曹洞宗として再興(宝徳元年・1449年)
熱田神宮大宮司の千秋家の菩提所となる。

法持寺と改称(承応年間・1652~1654年)

大火で全ての殿堂を焼失(宝歴七年・1757年)

督宗淳董大和尚が再興。
先の「尾張名所図会」はこの頃の。


南の駐車場の西に土俵の跡。

その上に弘法堂。
背後に白鳥御陵。
次回はそちらへ。