長蔵寺【美濃】河尻秀隆菩提寺 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

坂祝町酒倉一色に長蔵寺。

猿啄城攻略の功で信長の黒母衣衆筆頭・河尻秀隆がそのまま城主に(1565年)
秀隆が菩提寺にしたのが長蔵寺。

西に少し離れて猿啄城。

ちょっと遠くない?(^^;

秀隆はその後、甲州征伐の功で甲斐を与えられます(1582年)

しかし数ヶ月で本能寺の変。
「真田丸」で名前ぐらいは出たっけ?
北信の森長可・上野の滝川一益等は何とか旧領に戻りますが、
秀隆は甲府で武田の遺臣等による一揆勢に討たれます。

西の墓地の片隅に秀隆の墓( ̄人 ̄)

いやぁ、探しました(^^;
戒名の「長蔵寺殿洞水瑞雲大居士」を目印に北から順に見てたら西南隅に( ̄▽ ̄;)

裏には「河尻肥前守…」


甲府には首塚があります。



山門前に標柱と案内板。

肖像の軸があるんだ。
どうせ見せてもらえないよな…
と軽く写真だけ撮ったのですが、
読み進めると秀隆の子の直次と鎮行・旧家臣の墓もあったそうΣ(゜Д゜)

ちゃんと読まなきゃな。
多分秀隆の横に並んでました。

直次(秀長)は変後に秀吉の家臣に。
関ヶ原では西軍に属し、
前哨戦の伏見城攻め?本戦?で討死とも、
大坂城の守備で戦後に自刃とも言われます(1600年)

弟の鎮行は幕府の旗本に。

瓦には揚羽蝶。

河尻家は左三巴。

最近立て替えられたみたいで何処も真新しい。




駐車場あり。
○4月3日訪問○

木曽川の中洲にあり、橋は一本だけ。
環境的に怖い所にあります(^^;
何となく秀隆の最期とダブります。

東南から流れて来るのは可児川。
緑に囲んだ所が信長の生母・土田御前の実家の土田城

その先の中洲が鬼ヶ島(* ̄∇ ̄)ノ


案内板も建ってます。
盗賊の根城でもあったんでしょうね(^^;
機会が有れば行ってみます(^^)


また中山道に戻ります。