緑区大高町、東海道本線・大高駅の南西の小山が大高城。
ナビを便りに歩いて行くと案内表示が現れた(^^)
角は辻の秋葉社。
この辺りは昔から大高の中心で、
江戸時代半ばには市が開かれ賑わったそうです。
秋葉社はその頃創建の火伏せの神様。
更に案内表示に従い左折すると突当りに城跡。
前に行った事がありますが、
逆(南)から行ったのでこちらは初めて(^-^;
登って左手に案内板。
大高城は花井備中守が築いたと言われ(永正年間・1504~1521年)、
後に水野忠氏父子が居城としました(天文~弘治年間・1532~1550年頃)
水野氏は今川に属してましたが織田に付き、
逆に織田から今川に転じた鳴海城の山口教継に奪われます(1550年頃)
案内板の奥は本丸下の腰曲輪。
そして右手にも案内板と大高城跡碑。
こちらの案内板は簡略化されたもの。
右手奥にも広場。
城址公園として整備されてます。
こちらではなく真っ直ぐ登ると本丸。
東方面が開けてます。
今川の手に渡った大高城に対して信長は二つの砦を築きます(1559年)
北東に鷲津砦。
櫓とかあれば目立つのですが(^^;
東に丸根砦…
右隅のマンションの裏辺り( ̄▽ ̄;)
岡崎市を見習え(*`Д´)ノ!!!笑
かこまれた大高城は兵糧難に。
孤立した鳴海城と共に救援する為に義元が西上し、
途中起きたのが桶狭間の戦い(1560年)
以前の定説では上洛が目的と言われてましたが最近ではこれ。
あわよくば織田を滅ぼし尾張を征するぐらいが最大目標じゃないかな。
反対に西側は高くなってて、土塁?
上には城山八幡社と古い城址碑。
城址碑に賽銭て( ̄▽ ̄;)
説明書も彫られますが、案内板と大体同じでしょう。
先陣の松平元康(後の家康)が満潮の夜を見計らい兵糧入れ。
翌日には丸根砦を落とします。
しかし義元討死。
城は放棄されて、後に廃城。
本丸南西に土橋。
陰で分かりにくい(^^;
両側に堀。
木で分かりにくい(^^;
渡って二の丸から。
この辺の木を伐採してくれるだけで、
かなり城っぽくなるのに(´・ω・`)
二の丸。
二の丸から外へ。
こちらは土塁。
やっぱり分かりにくい(^^;
出て外から。
こちらの方が分かりますね(^^)
通りに出て。
空地を駐車場とかにしてくれないかな?
反対から出ました。
大高保育園が目印…前からあったっけ?
以前はこの辺に路駐(´・ω・`)
向いは開発され新しい住宅が建ってた。
売地もあったので宝くじが当たれば私も砦を建てて駐車場も開放するのに(*´∀`)♪
てか城址丸ごと売ってくれない?笑
住宅の隙間から本丸。
城跡には後に尾張藩家老・志水忠政が館を建てました(1616年)
分かりにくい所にある上、車の置場に困る所です(^-^;
また競馬のついでにバスで行くつもりでした( ̄▽ ̄;)
大高駅から10分ぐらいなので公共交通機関をお勧めします。
一時間も有れば行って帰って来れるんじゃないかな?
私はこの後30分ぐらい歩いてトラック置いた所に戻りました(^^;
◎2月11日再訪◎
次回は砦を。