来週に行われるイベントを見付けたので、
お知らせを兼ねて差込ます(^^)
旧街道も少し興味があるので、
ついでに四日市宿をとも思ったのですが、
宿場内は案内板等は無いらしいのでパス( ・ε・)
本陣等の場所は特定されてるのでちょっとした案内板ぐらい欲しいな( ̄▽ ̄;)
今の所有者が団結して許否?
確かに鬱陶しいかもですけどね(^-^;
で、飛ばして行ったのが次の石薬師宿との間にある杖衝坂。
四日市市采女町の国道1号線から逸れて旧東海道へ。
この急坂が杖衝坂です(^^;
急さが伝わりますか?

左に町かど博物館があり、
開館前だったので車を置いて坂道ダッシュ( ´△`)
もう少し上に登って左に入れば路駐も出来た( ̄▽ ̄;)
その交差点を越えて直ぐに


杖衝坂の石碑。

この先に案内板。
日本武尊は東征帰りに伊吹山の神と戦って病に。
弱った体で剣を杖代りにして登ったのが杖衝坂の由来。
剣だから衝くの字。
そして「私の足が三重に折れ曲がった様に酷く疲れた」と言ったとされたのが三重県の由来。
頑張って更に登ります(車でw)。
登りきった辺りに血塚社。

中に日本武尊御血塚。

出血した足を洗い流したと言われます。
石碑の所に戻って二つの井戸。

手前は弘法大師が水に困ってる村人に場所を示したら清水が湧き出たと言われる「弘法の井戸」。
向こうは坂の中腹にあった大日堂に供える水を汲んだと言われる「大日の井戸」。
松尾芭蕉は江戸から伊賀への帰りに杖衝坂で落馬。
そこで一句(1687年)。
歩行(かち)ならば 杖衝坂を 落馬かな

その句碑(1756年建立)。

句碑について。

永代常夜燈(1811年建立)。
前述の左への脇道から。

角度が分かるかな?
この先もっとキツくなったりします(^^;

北の☆が路駐出来る所。
心配ならもう少し東の墓地に駐車場がありました。
その北に町かど博物館。
西南に登って石碑等がある所。
更に先の☆が御血塚。
越えた所に空地がありましたが私有地かもしれません。
○2月28日訪問○

因みに采女町の北の方には采女城があります(^^)
※関連してお知らせ※
この後に行った資料館で見付けたイベント。

来週の日曜(3月6日)に
「あすなろう鉄道に乗って東海道を歩こう!」
てイベントがあります(* ̄∇ ̄)ノ
鉄道に乗って歩こうって一見矛盾してみえますが

杖衝坂のうつべ町かど博物館と中間の東海道日永郷土資料館の二ヶ所の必須ポイントにプラス三ヶ所以上のスタンプさえ押せば後は歩こうが電車乗ろうが自由って事ですね(^^)
北の受付の四日市駅から南の杖衝坂まで直線で6.4㎞。
歩いても二時間ぐらいで行けると思います。
帰りに抽選会場まで電車とかね(^-^)
私はイベント後に更に下って石薬師宿に日本武尊の史跡へ(*´∀`)♪
と思ったのですが5日は出勤日( ´△`)
早く終われば行きたいと思ってます(^-^;
街道にローカル線好きならお勧めですよ(^^)
城なら四日市駅の近くに浜田城。
赤堀駅から直線で500mに赤堀城(道路にポツンと石碑あるだけですが(^^;)。
そして内部から少し離れますが前述の采女城があります(* ̄∇ ̄)ノ
お知らせを入れたので今日も買った駅弁は明日のオマケに。
西三河編の続きです。