安城合戦 一次~三次【三河】1537~1547年 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

1537年:広忠の帰還から始めます。

岡崎を占拠してた信定(広忠の大叔父)は織田と血縁関係がありましたが、
広忠は今川の力を借りての帰還だったので緊張状態へ。

信定も恭順の態度を示したとは言え、
限り無くグレーな状態。

マークが岡崎城。
西に安祥城

白の北が上野城・南に桜井城(桜井松平信定)。

緑は北から合歓木城三木城西浅井城(後見役となった信孝・康孝(広忠の叔父))。


1538年:織田信秀が那古野城を氏豊(義元の弟?)から奪い、信長に譲る。

1540年:信秀が刈谷城の水野忠政と共に安祥城を攻撃。

城代の長家(広忠の曾祖叔父)・信康(広忠の弟)等が討死するも落城せず(第一次安城合戦)

1541年:忠政は広忠に娘の於大を嫁がせて和睦。

1542年:康孝死去。信孝が遺領を横領。
更に岩津城も。

1543年:広忠は重臣達の進言で信孝を年賀の挨拶に駿河に送り、
その隙に三木城を攻撃し信孝の領地を没収。


岡崎の北の緑が岩津城。

信孝は義元に仲裁を頼みますが重臣達が許否。
義元も諦めたので信孝は織田を頼ります。

清定(信定の子)・忠倫(広忠の叔父?従兄弟)も同じく宗家から離反。

忠政が亡くなり、跡を継いだ子の信元も織田に付いたので於大は離縁。

1544年:再度(再々?)の攻撃で信秀が安祥を落します(第二次安城合戦)。

1545年:信秀が美濃を攻めて敗退。
広忠はそれを聞いて安祥奪還に攻めるも敗退(第三次安城合戦)。


マークが安祥城。
北に後に信孝が築いた山崎城(1547年)。

東に忠倫の居城と筒針砦
更に矢作川の東に奪った上和田城

清貞の上野城・桜井城は地図の上下に範囲外。

ここで広忠が進路と思われる所を見ると(中継地は後日)、
忠倫の領地を素通りしてる様に思われます。
忠倫の離反は第三次以降かもしれません。


広忠は矛先を変え上野城を攻めるも敗退。


1546年:再び上野を攻めて落とす。

信長が古渡城で元服。

1547年:広忠は更なる今川の援助を求めて竹千代(後の家康)を駿府へ人質に…
が、途中の田原城の戸田康光が裏切り信秀に売られる(幽居地)。

信秀は竹千代を利用し松平に従属を迫るも許否。
あくまで今川に従う事を選択したので、
今川も動き田原を攻撃し落します。


今回はここまで。
次回から通常記事で先に進みます。
※年代等には諸説あり※


今日はいつものスーパーで駅弁フェアをしてたので

明石のひっぱりだこ飯(*´∀`)♪

丁度前日に信長協奏曲のしばかつさんが駅弁を紹介する駅弁協奏曲で出てました。
なので見付けた時は思わず「ひっぱりだこがあった!」と叫んでしまった(^^;

実にタイムリー(^^)
タコがプリプリで美味しかった(//∇//)

明日は伊勢へ。
やっと信孝は信孝でも…の所へ行けます(* ̄∇ ̄)ノ
帰りにまた駅弁買ってこよう♪ヽ(´▽`)/