誓願寺【尾張】源頼朝出生地 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

27日の続きです。

パーキングを熱田神宮の南から西へ移動。
私一人ならこれぐらい歩くのですが、
久々に嫁も一緒だったので( ̄▽ ̄;)

嫁の目的は有馬記念(嫁も外してる(^^;)。
宮宿を歩いただけで「聞いてないよ~」。
(言ってないし。ダチョウ倶楽部か?笑)


神宮の西、国道19号線の向かいに

誓願寺。

熱田神宮大宮司の別邸跡で


由良御前(藤原季範の娘・義朝の正室)が身籠って実家に帰って頼朝を産んだと言われます(1147年。市内の瑞穂区・京都説もあり)

その後、跡地に出来たのが誓願寺(1529年)。

尾張徳川家の保護を受けます。
それ以上の縁も有ってか葵の御門が。

境内には頼朝公産湯の井戸があるそうですが入りずらかったです(^^;



隣には頼朝を助けた池禅尼(清盛の継母)の池殿屋敷があったと言われます。

池禅尼は季範の叔母にあたり、
その事も頼朝を助けた理由とも言われます。
(その事から野間大坊に池禅尼の塚も)


池殿屋敷はその後、熱田神宮の参拝者が参拝前に身を清めた清め茶屋に。
清め茶屋は今は境内に移ってます。


少し南には

白鳥御陵 従是西二丁(これより西に約200m)の石碑。

行ってないので航空写真(^^;

マークに石碑。
そして西に…昔は右カーブの道が繋がってたのかな?…白鳥古墳(6西紀初頭)。

伊勢の能褒野で亡くなった日本武尊が白鳥になってここに降り立った伝承がありますが、
実際には尾張国造の子孫尾張氏のものと考えられてます。

日本武尊は東征の帰りに尾張国造の娘の宮簀媛(みやずひめ)と結婚し草薙剣を預け、
そのまま武器を持たずに伊服岐山(伊吹山)の神を征伐に行き重傷を負って亡くなります。

草薙剣を祀って創建したのが熱田神宮で、
尾張氏は代々大宮司に。
母が尾張氏の季範に大宮司職が譲られてから藤原氏が受け継ぎます。


次はそんな熱田神宮へ(* ̄∇ ̄)ノ
続く。