河渡宿【美濃】河渡の戦い | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

26日の続き、最終回です。

予定してた所(山口城跡とか)に行かなかったので時間がまだあります。

「岐阜城行く?」「行かない」
「じゃあ墨俣?」「行かない」
予想通りの答え( ̄▽ ̄;)笑

で、帰り道に見付けたのが河渡の地名。
夏に大垣攻めの時に行くつもりでしたが、先に寄っちゃいます。
ここは有無を言わせず(* ̄∇ ̄)ノ笑

長良川西の堤防下の住宅に挟まれ

松下神社。
入口に河渡(ごうど)宿一里塚の石碑。


反射して眩しい…(*_*)

河渡宿は中山道55番目の宿場。
手前は加納、次は美江寺です。

加納からは、長良川に橋が架かるまで(1881年)は渡し船でした。


少し北の馬頭観音堂前に

常夜灯が建てられてます。


て、宿場が目的ではなく…
この辺りで関ヶ原の前哨戦が行われたからです。

堤防を登って

長良川に架かる河渡橋(県道92号線)。
向こうに岐阜城がある金華山。

進軍する東軍に対し、三成は前野忠康(通称・舞兵庫。前野長康の娘婿とされる。秀次事件で浪人し、後に三成家臣に…何でまた?( ̄▽ ̄;))を大将に河渡へ派遣。

岐阜城攻めと同じ時(8月23日朝)黒田・田中・藤堂は大垣城からの援軍に備え長良川左岸に進軍。

河渡に布陣してた西軍に攻めかかりますι(`ロ´)ノ

霧の中、朝食を食べてた西軍は大垣へ敗走。

後方の揖斐川右岸に居た三成も慌てて退却。

置いてかれたのが

下流の墨俣に布陣してた島津義弘。

軍議に来てた家臣の訴えを無視してです。

この事が本戦の傍観に繋がったとも言われます( ̄▽ ̄;)


これで26日の西濃編は終わり。
明日から3日の北勢編です(* ̄∇ ̄)ノ