少し西へ、境川を渡って美濃突入。

境川北岸の堤防へ。
堤防道路は狭く、堤防下の高桑運動公園入口に停めました。

道路脇に高桑城趾案内板。
高桑城は鎌倉時代初期に高桑氏が築いたと言われます(1190年頃)。
高桑氏は代々美濃守護・土岐氏に仕えてましたが、道三に内通した留守居の武山氏が乗っ取ります。
高桑氏は越前に逃亡(1527年)。
その後、信長の命で信忠が攻め落とし、廃城に(1567年)。

案内板向こうの堤防下の竹藪が城趾。
土塁が残ってるそうです。
次は初期の美濃攻め。
(ここは稲葉山を落とした時)
続く。