天寧寺【尾張】 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

11日の続きです。

東へ約500メートル、国道19号線を渡り戻って

天寧寺。


信長の守本尊と伝わる三宝大荒神が祀られてます。

信長が戦勝ではなく、子供の成長祈願しました。
(当時の寺号は円徳院で、清洲城下にありましたが清洲越し(名古屋築城の際の町ごとの引っ越し)でこの地へ(1611年))

この故事に因んだ守鶏絵馬があるんですが、雌雄一対の鶏の絵馬で、雄に願い事を書いて奉納。
雌は持ち帰って叶ったら奉納。
引き離された二羽は一緒になる為に叶うそうです(^^)

面白そうですが、うちには子供が居ないので(^^;
(居るのは老猫&老犬。子供の成長だけでもないですが)


ついでに信長の子供達を簡単に紹介します。

①嫡男信忠(母久庵慶珠・幼名奇妙丸)
家督と尾張・美濃を譲られる(1576年)。
本能寺の変時、二条御所で自害(1582年)。

②次男信雄(母生駒吉乃・幼名茶筅丸)
伊勢の北畠具房の養嗣子に(1569年)。
秀吉と小牧・長久手で戦うも和睦、以後従う(1584年)。
小田原征伐後の移封命令を拒否して流罪(1590年)。
(何度も書くから分かりますよね(-""-;))

③三男信孝(母華屋院・幼名三七)
伊勢の神戸具盛の養子に(1568年)。
賤ヶ岳の戦いの時に秀吉・信雄と戦うも、降服して切腹(1583年)。
辞世「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
(何度も書くから分かりますよね(-""-;))

④四男秀勝(母養観院・幼名於次丸)
秀吉の養嗣子に(1576年)。
丹波亀山城で病死(1585年)。
(只の病気かな…?(-""-;))

⑤五男勝長(母不明・幼名坊丸)
岩村城のおつやの方(信長の叔母)の養子に(1572年)。
(縁組みを仲介したのが日置城の織田忠寛と言われる)
おつやが武田の秋山信友と婚姻し降服。
坊丸は信玄の人質に。
(この事が後の忠寛誅殺の原因になったとも)
勝頼から送還されて(1581年)、二条御所で討死(1582年)。

…以下6人居ますが岐阜城に移った以降に生まれたので省略(^^;

続いて娘達。

①長女徳姫(母生駒吉乃?)
松平信康(家康の嫡男)に嫁ぐ(1567年)。
信長に訴状(武田との内通など)を送り、信康切腹(1579年)。翌年帰国。
(家康が好きな人は信長嫌いかも( ̄▽ ̄;))

②次女冬姫
蒲生氏郷(元人質)に嫁ぐ(1568年)。
後に氏郷は秀吉に仕え会津の大名になるも死去(1595年)。
冬姫は秀吉の側室になるように望まれるが拒否して出家。子の秀行は減封。
(何度も書くから分かりますよね(-""-;))

③三女秀子(光秀からの養女とも言われる)
筒井定次(筒井順慶の養嗣子)に嫁ぐ(1578年頃)。

…以下9人程居ますが省略。

どこまで祈願したか分かりませんが、信長も親だったんですね( ̄▽ ̄;)


東へ数百メートル歩いて上前津駅(スタートの東別院駅の北に一駅)へ行き第一部終了。
約一時間のウォーキングでした(^^)


次もお寺へ…メインは寺ではないですが。
続く。