日置神社・日置城【尾張】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

本日二度目の更新(今週も出掛けられそうになったので)11日の続きです。

東別院から数百メートル北西へ歩き

日置神社。


由緒に…織田信長公當社に祈誓あり。と。

桶狭間への途中、熱田神宮の前にも祈願してます(^^;
(その後にも行ってる所があったり…)

どんだけ神頼みやねん…( ̄▽ ̄;)
(ついでなんですよね?)


戦勝のお礼に松を千本植えてます。

明治29年に最後の一本が枯れて全滅してしまいました(1896年)。


御朱印も欲しかったけど時間がまだ早いので、お参りだけして次へ行きます。


国道19号線を渡って更に北西へ数百メートル歩くと

松原緑地。

この辺りに日置城がありました。

詳細は分からず、城主も二説あり。
①織田寛定(尾張下四郡守護代。美濃守護の家督争いに巻き込まれ戦死(1495年))

②織田忠寛(尾張下四郡守護代に仕える三奉行の一つの藤左衛門家の庶流。(信長は三奉行の弾正忠家の嫡流)信長に仕えるも、後に誅殺される(1577年))

二説とあるけど年代が離れてるので並立もするのでは?

1490年頃、清洲城の支城として寛定が居た。
(寛定の父敏定が亡くなったのも同じ争い中で数ヵ月前。清洲に移っても一時)
寛定が亡くなって廃城。

1540年前後、跡地の近くに信秀が古渡城を築く。
移動して廃城。

1555年、信長が清洲城を奪う。

1562年以降(それまでは楽田城に居た)忠寛が跡地に築く。
1568年、伊勢に行き廃城。

こんな感じ?(^^;

色々ありましたが

大クスノキは1000年以上あり、信長が戦勝祈願したと言われます(1560年)。
(また?これは日置神社の話と混ざってる可能性も有り)

その後、大クスノキを御神体に雲龍神社になりました。


空襲で幹が焼けてしまいましたが(1945年)、根本から芽が出て復活(^^)
(70年で頑張りましたね♪)

伐採して土地を売却する話が出ましたが、地元の反対により松原緑地として大クスノキは保存(2002年)。
(神社は廃されました。柵があって入れません)

地名は勿論、信長が植えた千本松原からです(* ̄∇ ̄)ノ


次も信長が祈願した神社へ…
また?
いや、今度は違う事を祈願してます(^^;