河田渡河、米野の戦い【濃尾国境】 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

12日の続きです。

木曽川堤防道路を西へ。


川島大橋のたもとに河田渡河戦の案内板。

岐阜城(織田秀信・信長の嫡孫)を攻める為に木曽川を渡る東軍(池田輝政・浅野幸長・山内一豊・一柳直盛等)とそれを迎撃する西軍(木造具政・百々綱家等)の戦いです。

東軍の面々は信長配下だった人達なんですが…(ー_ー;)


近くには昔の地形図もあります。

1600年8月22日の明け方、渡り始める東軍18,000。
迎え撃つ西軍は3000…。

地形図の現在地辺りで戦いますが 抑えられず西軍は後退。
池田輝政は現在地左上の緑の丸辺りに陣を張ります。


川島大橋。
輝政が陣を置いたのは現在の川島PA辺り…観覧車があるのですが、見えませんね(^^;


岐阜城も…肉眼では見えますがスマホの限界(^^;

では私も渡河しますι(`ロ´)ノ
(あれ?いつの間にか私も東軍にσ(^_^;)笑)


笠松町米野の堤防下に米野の戦い跡標柱。


少し東の墓地内にもあります。


更に北西の日枝神社にも案内板があります。
あれ?これは西軍が1000になってますね(^^;

どちらにせよ劣勢の西軍は昼に進軍してきた東軍をここでも抑えられず夕方には敗退します。

最初から籠城した方が良かったのでは?( ̄0 ̄;)


次は流れから輝政が首実験した円城寺…ではなく(ついでに行っても良かったな)別の寺へ(案内板に載ってます)。

(しかし目的は違って)時は一気に遡り父の話に。
続きます。


台風は過ぎましたが吹き替えしが強いです(^^;
怖くてシートが畳めません(ー_ー;)