昨夜、読響のコンサートで演奏されたブルックナーの7番を

聴いたあとに感じた事がうまく表現できなかったもどかしさが

あるが、時間が経つにつれて”こう言う事かなあ”と漠然と

頭に浮かんだのでチョット書いてみます。


8番や9番に比べて演奏する方も聴く方にも難しい曲だと

感じたのは曲の中でふと空白になる部分、間が空く部分が

7番には多いからではないかと思えます。もちろんゲネラル

パウゼ等の曲の休拍による空白では無いです。曲が凝縮された

次の瞬間に”無”の瞬間があるような気がしてなりません。

昨夜の読響とWph,ベルリンフィルなどとの大きな違いが

この”無”の部分をオケが演奏できるか、奏者がとまどって

しまうかの違いだと思える。昨夜の演奏では奏者の目が

戸惑いで虚ろになるような瞬間が多かったように感じました

(3階なので顔の表情は良く見えないのですが、、、)。

ミスターSはそのような奏者達を常に目覚めさせて集中を

失わせないように身振りやうなり声で統率している

のではないか、それを我々が感じて感動するのではないかと

思えてなりません。


やっぱり、何を言いたいかわからないかなぁ。