ふるさと         
                           作 ジャン・ナム

おさないころ まいにち がっこうに かよって、
じゅぎょうで ふるさとを いつくしむことを ならっていた。
テキストに のっていた、 「だれが、うしかいを つらいと いうだろう」と。
わたしは また ぼんやりと とりが えだで さえずるのに ききほれていた。

きれいな ちょうを とらえるために、がっこうを ぬけだし いけの ほとりで あそんでいた ところを、
おふくろに つかまって むちで うたれた。わたしは うたれるまえから
なみだを ぽろぽろと ながしていた。
そんな わたしを ひとりの おんなのこが ながめていた。
ひそやかな ふくみわらいをして、あのこは わたしのいえの となりにすんでいた。

かくめいの のろしが くにじゅうに もえひろがり、
わたしのくにが ながい ていこうを はじめ、
やつらが わたしのいえに ふみこんできた。
わたしは おふくろと わかれて せんじょうへ おもむいた。
ところが なんと ゲリラのなかに、
となりの あのこが いた。
あのこは やはり ひそやかな ふくみわらいを していた。
あのこの つぶらなまなこが きらりと ひかった。
こうぐんの さなか ひとことも かわさなかった。
ぶたいが ゆきすぎても わたしは いつまでも ふりかえっていた・・・・
どしゃぶりの あめが おそってきたとき、
あたたかい ながれが わたしのむねを はげしく ゆさぶりはじめた。
へいわが おとずれ わたしは ふるさとに かえった。
がっこうも いなだも さとうきびばたけも
まえと かわらなかった。
わたしは また おもいがけなく となりの あのこに であった。
あのこは はずかしそうに もんのうしろに ひっこんだ。
わたしは ひくいこえで あのこに はなしかけた。
あのこは やはり ふくみわらいを していたが
あのこは いった「けっこんは だいじなものよ くちにだしては
いえないもの・・・・・」
わたしは しかと あのこの かよわなてを にぎりしめた。
あのこのては わたしの あついてのひらの なかで じっとしていた。

きょう あのこの いやなしらせを きいた。
ああ これが ほんとうと おもえる だろうか。
やつらが あのこを ゲリラだったと ひきたてて、
うちころし むらのはずれで さらしくびに したという。

くるしみは わたしのこころを うちくだき、
からだの はんぶんは しびれている。

むかし ふるさとを いつくしんだのは、
そこに とりとちょうが とんでいたため、
おさないころ おふくろに むちで うたれたため、
ふるさとが わたしに みつのような おもいでを
おもいださせて いたため。
いま ふるさとを いつくしむのは
ふるさと
そこに みぢかなひとの なきがらが うずめてあるため。

                    (秋吉九紀夫 訳)

 昔、私が読んでノートに書き留めておいた詩です。
ノートを整理していて、たまたま発見しました。
泣きながら書き写した覚えがあります。
もう、他人の詩は私のブログに載せないと決めていましたが、この作品は、載せておかないと埋もれてしまいそうな恐れがありますので載せました。作者の方、及び訳者の方、申し訳ありません。
哀しい詩です。
今、まさに読んでいただきたい詩です。