あきれるほど、しばらくぶりの更新ですガーン


毎日、36度、37度などというとてつもない高温が続いております。晴れ


外出して、道路を歩きながら、

『あれ、私熱があるみたい・・・しょぼん

と、ふと違和感を覚えました。

戻ってきてエアコンを付けると、すぐに何ともなくなりました。

TVを付けると天気予報をやっていて、

「今日の京都の最高気温は37度でした」と・・・。


外の気温が体温より高くなると、発熱したように感じるものなんですねあせる

危険な兆候です!!


熱中症にかかって、わりと若い人も亡くなっているようだし、体力の過信は禁物。

家の中でさえ、危険が潜んでいるんですよ。


私は、昨日風呂掃除をしていて気分が悪くなり、頭痛がしてきて、あわてて外へ出て難を逃れました。

思えば、熱中症の初期症状だったのでしょう。

余りの湿度の高さと高温が重なると、身体に非常に悪いらしいので、お風呂掃除は要注意です病院


さて、今は子どもたちは夏休みに入ったばかり。

ラジオ体操の音楽が、朝早くから家の中まで響いてきますヒマワリ


今朝の朝日新聞に、落合恵子さんが、

「いつから子どもは、子どもでなくなるのだろう。」

という内容のエッセイを載せておられました。


『学齢や肉体的変化とは別に、それぞれの子には、それぞれの「子どもでなくなる瞬」があるはずだ』


そして、子どもでなくなる瞬間の例を、いろいろ挙げておられます。


『母は、祖父が亡くなった時がその時だったと言っていた・・・』


『スザンナ・タマーロの小説《心のおもむくままに》では、愛犬が死んだ時、そしてその事実を父親が隠した時だった、と・・・・』


私の場合は、と考えてみました。


大人と子どもの境目に当たる時・・・。

その際の感情のゆらぎのようなものは今も思い出せます。

その中でも、一番深く心揺さぶられて、鮮やかに思い出せるのは、12歳の頃の感情でしょうか。


《大人になったら、美しいものばかりを追いかける生活は、二度と出来ないんだろうな。

きっと、灰色の毎日が私を待っているんだろう・・・・》


チャイコフスキーのレコードを一人で聞きながら考えました。

心の中を深い深い絶望と哀しみが、しとしと降る雨つぶ雨のように伝って落ちていったのを鮮やかに覚えています。


大人とは、心が汚れてしまうもの

という絶望的な、暗いトンネルがどこまでも続くようなあきらめ、そして悟り。


実は、人間はそんな画一的なものではなく、多種多様な生き物なのですが・・・。

幼い私には、そこまで考えが至らなかったのでしょう。


ところで、朝日新聞の落合さんのエッセイの最後の部分は、こう綴られていました。


『子ども時代から遥か遠くに来てしまったのに、時に子どもであったときの感情生活が驚くほど身近に、リアルに体感できるのは、なぜだろう。』


私も、あの12歳の時感じた心の痛みが、今も昨日のことのように心の内に蘇ってくるのです。

ともすれば、涙さえ伴うほどの切なさと共に・・・。


それは、多くの人の共通の体験なのでしょうか?

このエッセイを読んで、それが自分ひとりの体験でないことに深い驚きを感じた私です。


そして今、思うのです。

タイムマシンがあって、もしあの日に戻ることが出来たら、12歳の私に告げてやりたいと。


「大丈夫。大人になることも、そんなに悪いことばかりではないよ。

もしそう望むなら、ずっと美しいものを追いかけて、自分らしく生きてゆけばいいんだよ。」

と・・・。


その一言をもし聞くことが出来たなら、その後の私の人生はもっと別の生き方が出来た・・・?


いいえ、それを知る、知らないにかかわらず、私という人間は、子ども時代と余り変わらない感性で生きて行ったような気がします。

マイペース人間なのが、自慢といえば自慢ですから、今と同じく、ただ美しいもののみを追い求める人生を生きて。


どんな生き方をしても、これは私だけの人生。

人生の最後に後悔だけはしたくない。

だから、自分の納得する生き方で生きて行きたいのです、たとえ、何があろうとも・・。


ただ一つ、美しいものを美しいと感じる心だけは、決して失くさない。

それだけは心の羅針盤に据えて・・・・。虹



いつも唇にうたを