今日は、3月というのに風が冷たくて寒かった。

明日は、もっと寒くなるそうです。霧


買い物に出かけるのに愛用のママチャリ自転車を漕ぎながら、やはり思い出すのは一昨日のシアターピースのこと・・・・。


私たち「『水のいのち』女声合唱団」、

(本当は、「淀川水系合同女声合唱団」というのだそうですが、わたし的には、やはりこの名前「『水のいのち』女声合唱団」の方が、しっくりくるのです)

その私たち合唱団もおととい、頑張って歌ったのだけれど、やはり第3部のプロの声楽家の歌には、全く太刀打ち出来ませんでした。

(当たり前ですが。太刀打ち出来ていたなら、プロからお呼びがかかるはず)


そもそも、太刀打ちしようと思うのがまちがいの元ではないのか?

向こうは、プロフェッショナル。

こちらは、(いろんな人がいますが)ほとんどが素人。

私など、合唱を始めてからまだ5年余りにしかならないという頼りなさ・・・・。


が、心のどこかで、その人たちに近づかなくてはならないというプレッシャーを感じてはいなかったでしょうか?


私が以前所属していた合唱団では、プロの声楽家に混じって歌う機会がありました。

隣でそのプロの歌声を聴きながら、いつかはこんな風に歌いたい、という野心を持っていなかったとは言いきれません。


しかし、今日ふと思ったのです。

その思いが、そもそもの間違いの始まりではないか、と。

声楽家は、何年もかけて声を磨いてきたプロの人たち。

対するこちら側は(いろんな人がいるのですが)、そのほとんどが所詮趣味で歌を歌っているだけのアマチュア合唱団員。

その間の差は、火を見るより明らかだと。


とするなら、競争する必要などない。

アマチュアは、アマチュアの土壌で戦ったらいい。

「声楽」というくくりで縛られているプロの人たちに比べ、アマはそれがない分強い。

(もちろん、必要最低限の声楽の知識は必要。でないと、表現が上手くできなくなるから)


私たちアマチュアには、プロを上回る何か+アルファがあるのではないだろうか。

それを、何とか私たちの合唱に生かせないものか、と・・・・。


お母さんをしたり、会社員だったり、親の介護をしたりと、日常は忙しく立ち働いている私たち女声合唱団員。

その合間を縫って集まる合唱団の練習日は、本当に心が弾むかけがえの無い一日なのです。


立川志の輔さんの落語、映画にもなった「歓喜の歌」。

そこには、そういう女声合唱団員の日常のシーンが満載で、涙もろい私は、思わず自分の事に置き換えて、観ながら泣いてしまいましたっけ・・・・。


誰よりも、私たちアマチュアの合唱団員こそが、その自分たちの日ごろの経験を生かして、誰の心にも染みとおるキラリと光った歌を歌えるはずだと思うのです。


私たちの歌を聴いたプロの声楽家の人が、たとえ一瞬でも

『あんな歌が歌えるなら、アマチュアになって合唱団に混じりたい』

と思ってくれることを目指して・・・・。


そう思うと、頭の上の暗い雲が払われて、一筋の光がこちらにサーッと差して来た思いがしました。


目指すは、アマチュアでナンバーワンの女声合唱団員メラメラ


これまでの、そしてこれからの自分の体験を総動員して、心をありのままに表わせる私ならではの歌を歌っていけるように頑張りたいと、今はただただ、そう思っているのです。


いつも唇にうたを