京都魔界ツアー報告、第2回目です。


前にも書きましたが、これは京都リビング新聞社主催の「文庫で学ぶ京都」という講座の現地講座。

正式名称は、『魔界伝説の地を訪ねる』といいます。


これに参加したのは、12月24日。

クリスマス・イブの日。

約25人が参加しました。

その人たちが口を揃えて言うことは、

「これに参加するて友達にゆうたらな、『あんた、なんでこんな日ぃに!』て、呆れられたわ」

「私もや。大掃除もまだやのに来たんやし。」


聞いてみると参加者のほとんどが京都人ばかり

推測すると、地元民は、いつでも行けるからと京都観光をしないので、案外地元のことに無知。

しかし、それを少し恥とも思っているところがあるのですね。

私もそうですが・・・。

だからこの講座をきっかけに、少しは京都通になろうとみんな思っているらしい。


さて、青い旗を持つ講師の先生が先頭に立たれています。

そのあとをゾロゾロと25人の参加者が列になってついて歩きます。


「私ら、どんな遠くから京都観光に来たんかと思われとんのちゃう?」

「うちの家、この道はさんで一つ向こう。」

「うちは、電車の駅二つ目」

なんと、地元も地元、ほんの近所ではありませんか!


「近すぎてな、案外来られへんのぇ。今日はええ勉強させてもらうわ」

「そうやそうや!」


みんな意気投合して先生のあとに従います。

が、その行列は、いやでも街の人の目に留まるらしく、行く人来る人、みんなジロジロと振り返っていきます。


自転車に乗ったおじいさんが、ついに好奇心を抑えきれなくなったのか、

「あんたら、『京都冬の旅ツアー』やろ?」

と、話しかけてきました。

「いいえ、そんな平凡なもんちゃうよ。

これは『京都魔界伝説ツアー』なんやよ!」

と、年配の女性が少し自慢げに答えるやいなや、おじいさんは何だか心外そうな顔で去っていきました。

自分の街を「魔界伝説の地」などと言われたのが悔しかったのでしょうか?

京都は、ほとんどの地にそういう伝説が残っているのですけれどね・・・。


さて、昨日は確か晴明神社まで写真をアップしたと思います。

今日はその続き。

首途(かどで)八幡宮です。↓

ここは、あの源義経(牛若丸)が奥州へ出発する際、詣でて旅の安全を祈願した場所。

もとは、「内野八幡宮」という名前でしたが、このことにより、「首途(かどで)八幡宮」と呼ばれるようになったそうです。


いつも唇にうたを



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参道の途中に石碑がありました。

「源義経奥州首途之地」と書いてあります。

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急な石段が続いています。

写真には写っていませんが、左にも石段があり、左が八幡宮、右が弁財天を

それぞれ祭ってあります。

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これが石段の上の八幡宮。 ↑
ここで、私は旅の無事を願うかわいい鳩のお守りを買いました。

1月に旅行に行くので、家族のと2個。


さて、「集合!」の声に、写真をとるのもそこそこに次の地へ向かいます。


少し歩くと、ここは総本山本隆寺。 ↓



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この寺は、日蓮宗のお寺です。

ここはたびたび火事に遭いましたが、この本堂・祖師堂・宝庫は焼けずに残りました。

それにより、「焼けずの寺」という異名を持ったそうです。 ↓

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境内の中にあったこれは、夜泣き止めの松。 ↓

赤ん坊の夜泣きに悩む母親は、この木の周りを、赤ちゃんをおんぶして回ると

夜泣きが直るといわれているそうです。


それにしては、ひょろひょろで頼りなげな松の木です。

本当に夜泣きが直ったらいいけれど・・・。 

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私がのんびり写真を撮っていると、また「早く、早く!」とせかされ、次の地へと向かいました。

次の目的地は、千本釈迦堂。 ↓

あの大根炊きで有名なお寺です。

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春に来てみたい!

なんとも見事な枝垂桜がありました。 

一体樹齢何百年でしょうか?↓

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なぜここが魔界伝説の地に選ばれているか?

それは、「おかめさん」が祭られているからなのです。

(おかめさんの像) ↓

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おかめさんの伝説です。

鎌倉時代のこと。

この釈迦堂を造った大工の棟梁が、誤って大事な柱の一本を短く切ってしまいます。

ひどく悩み苦しむ夫を見かねた妻のおかめ

「それなら残りの柱もみんな切って同じ長さに揃えて、枡組にすれば良いのでは?」

とアドバイスしたそうです。

(枡組とは、柱と柱の間につなぎとなるものを入れて組むものです。

下の写真に枡組がなされています。 ↓

おかめのアドバイスのおかげで、棟梁は本堂建築の大任を果たせました。

が、女のアドバイスで棟梁が仕事を完成させたことを知られてはいけないと、おかめは本堂の上棟式を待たずに自害してしまいます。

棟梁は上棟の日、妻おかめの冥福と、お堂の無事を祈っておかめの面を御幣につけて飾ったとされています。

この話を伝え聞いた人々が、貞淑で才知に長けたおかめの菩提を弔うため建てたのが、おかめ塚です。 ↑

この言い伝えから、大工の信仰を集め、今日でも上棟式にはお多福の面をつけた御幣が飾られるようになりました。

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境内にあった布袋様の像。 ↓

とてもにこやかに笑っておられ、うれしくなってカメラを向けました。

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ぼけ封じ観音像がありました。 ↓

熱心にお参りされる方も。

私は大丈夫・・・?

念のために、手を合わせておきました。

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また写真に夢中になり、集合に遅れそうになるところ。

でもみんな無事にそろい、次の目的地へ向かいます。

次は北野天満宮です♪

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ここは何度も訪れたことがあります。

今日はイブのせいか(?)カップルの姿が多かった気がします。


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北野天満宮といえば、梅。

「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

菅原道真公のこの歌は、あまりにも有名です。


ここの梅が、主人である道真を慕って一晩のうちに大宰府に飛んでいったという飛び梅伝説は、よく知られています。

50種2000本の梅の木が、この境内に植えられています。


私がその一本の木をまじまじと見つめていたら、一輪だけ咲いている梅を発見!

                                       ↓ 

ご一緒した人たちに教えてあげたら、

「すごい!よく見つけたね~!」

と、おほめの言葉をもらいました。うれしかった♪

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ここはその菅原道真公がお祀りされている神社。

道真公は、早良親王と並んで最強怨霊の一人とされています。


藤原時平との政争に敗れ、九州大宰府に左遷されて都を思いつつ恨みをのんで亡くなった道真公。

以後、時平一族に道真公の怨霊がもたらす災厄が次々と襲いかかります。

時平はその怨霊のために亡くなり、息子たちも若くして次々と亡くなってしまう。

ついには御所に大落雷があり、何と胸が裂けたり顔を焼かれたりして死ぬ人が出たのです。


朝廷は恐れおののいて道真公の左遷を取り消し、位を右大臣に戻し、正二位を追贈しました。

その後、道真公は、この北野の地に祀られ、その後学問の神様として信仰されるようになりました。


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おつかいとされる牛。境内のあちこちに、いろんなお牛さまが座っておられます♪

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それぞれいろんな表情を見せてくれるお牛さま。

おだやかなのもいれば、少し険しい面差しのものも。
いつも唇にうたを どのお牛さまも、よだれかけをかけてもらいうれ

                                               しそう  
こちらは黒石造りのお牛さま。

貫禄です。 ↓
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こんな人形の飾りつけの真っ最中でした。 ↓

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また、北野天満宮の境内の梅を使って、梅干を作り、事始めの12月13日から授与されるのが「大福梅」。

無くなると終わりなので心配していましたが、まだありました♪

私も一つ買いました。6粒入り500円です。

これを新年に食すると、一年無病息災で過ごせると言われています。 ↓

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ここでお守りや大福梅を買います。

今日はお参りの人は少なく、私たちものびのびとお参りや写真撮影ができました。

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12月25日(この日の次の日)は、終い天神といって、天神様の今年最後の縁日が立つ日。

その用意が、もう着々と出来つつありました。 ↓


道真公のお誕生日は6月25日。

薨去されたのが2月25日。

それに因み、毎月25日は天神様のご縁日として境内周辺に露天が立ち並び、お参りの人でにぎわいます♪



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ツアーの写真は、まだあるのですが、今日はもうこれくらいで。

明日またアップするつもりです。

お楽しみに♪