今朝十時半ごろ、ふとNHKテレビをつけると、先ごろ亡くなった画家の平山郁夫さんの番組をやっていました。


ー「シルクロード・祈りの旅人平山郁夫」平和を願い世界を歩き続けた足跡ー


という題名。


平山さんは、画家としてはもちろんよく知られた方ですが、東京芸大の学長や東京国立博物館の特任館長なども務めた人。

教育者としての横顔もお持ちなのです。


彼の若い時の被爆体験は、余りにも有名な話。


本当に多くの人々が、同じ広島で尊い命を落としました。
「この自分はそんな中で生かされたのだから、その原爆の絵を描いて残さなくては」と平山さんは思う。

それなのに、その原爆の絵をどうしても描くことが出来ない。


画家が、自分の体験した衝撃的な場面を描くことが出来ないのはさぞ苦しかっただろうと推察します。

が、それほどその体験は、想像を絶する恐ろしくてまた辛い体験だったのでしょう。


原爆の後遺症や、描くことが出来ない心の葛藤などと闘い続けて、やっと平山さんがたどり着いたのが仏教でした。

シルクロードを訪ね、感動した平山さんはそれを多くの絵に残しました。


「仏とは、平和を祈る心のこと」


平山さんはこういう言葉で仏教を述べられたと、番組中に話しておられる方がいました。


そして彼はまた、アジア各国の文化財保護活動に持てる力を惜しみなく注がれたといいます。

ユネスコ親善大使もつとめておられたとも聞きます。


被爆者として、原爆へ向けた深い怒りや憎しみの思いを、平山さんは平和を守り続けることへと転化されたのでしょうね。


亡くなる少し前に子どもたちのために平山さんは絵画教室を開かれた。

その時の様子が、TVに映し出されていました。

そこに参加した子どもたちに平山さんは優しく、


「どの花のどんなところでもいいから、

自分の美しいと感じるところを描いてみなさい」


と指導しておられました。


これに私はひどく胸を打たれました。


《自分の美しいと感じるところ》


いつの間にか大人になって、私は自分の感性で美しさを味わうことを忘れていた。


絵でも音楽でも、芸術と呼ばれるものはみな同じ。

自分の感性を磨いて、

外から取り入れた美しさを自分なりに消化吸収し、

より美しいものへと表現することができなければ

芸術をやる意味などない・・・。


そんなことも忘れて毎日をただ機械的に繰り返していた気がします。

今までの自分のそんな心の甘さへグサリと一刺しされた思いがしました。



「なぜ花が美しいと思うのか。

花だけでなく、動物でも、自然でも、人間でも、

美しいと思うことは、生きている証拠なのです。」


平山さんは、死ぬまで美しいものの中に生きる希望を見出し続けられた。

それが、上記の言葉に集約されています。


『自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ』


茨木のり子さんの詩の一節を、思わず心につぶやいてしまった私でした。



いつも唇にうたを