12月になり、喪中葉書がちらほら届きます。

その度に、そのご家族の心中をお察しして心が痛みます。

家族を亡くした心の痛みは、無くなることはないにしても、時と共にいつか少しずつ薄れていきます。

遺族となった人たちは、『日にち薬』という言葉どおり、その流れる時が傷みを癒してくれるのをひたすら待つことしか方法がないのかも知れません。

亡くなった人の存在を、今度は自分の中で違う何かに変化させて。


今日の天声人語に、先月の「声」の欄に載った喪中葉書の話が取り上げてありました。

余りにも印象的で深く心を打たれたので、その記事を切り抜いて取っていました。

その全文をご紹介することにしましょう。

投稿された大阪市の山村規子さん。

ここに掲載することを、どうかお許し下さい。


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             『亡き友自身から喪中はがき


                             無職 山村 規子(大阪市 55才)


 きれいな版画の年賀状を毎年くれる大学時代の後輩の死を告げる喪中はがきが、2通届いた。

1通は彼女のご両親から、ひっそりと家族葬をおこなったというおしらせ。

もう1通は、彼女自身からの喪の知らせである。

「7年の闘病の末、10月16日45歳で、未知の世界を旅することになりました。

今まで支えてくださった大好きなみなさんにお目にかかれなくなり残念です」

 パソコンで作られた文書の日付は、死後、ご親族が空欄に数字を書き加えたもの。末尾には、本人の直筆で、私への感謝の言葉と署名が記されていた。

死を目の前にして、ここまでの心配りができる人はどれくらいおられるだろう。

人生半ばで病に倒れた友を、決して忘れまい。

そう心に誓った。

 朝日歌壇で、自然と人間への深いまなざしに満ちた短歌を数多く詠んだ彼女。

はがきの中の小さな顔写真は、学生時代そのままの笑顔だった。


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天声人語には、

「それこそ天から舞い降りた、心に染みる一枚(ひとひら)だろう」

と書かれていました。


死を前にしての心構え。

果たして自分にも、この「後輩」さんのような潔い別れが出来るだろうか。

思わず自分自身を省みてしまいました。

きちんと、お世話になった人々に「ありがとう」と、感謝の念を伝えて逝く。

それだけのことが、どんなに大変であることか。

毎日をもっとていねいに生きなければと、しみじみ思いました。


この旅立った「後輩」さんは、今頃未知の世界のどの辺を旅しておられることでしょう。

私たちもみんないつか、そこに訪ねてゆくことになるのですね。


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                  《 十二月のうた   


                熊はもう眠りました

                栗鼠(リス)もうつらうつら

                土も樹木も

                大きな休息に入りました


                ふっと

                思い出したように

                声のない 子守唄

                それは粉雪 ぼたん雪


                師(し)も走る

                などと言って

                人間だけが息つくひまなく

                動きまわり


                忙しさとひきかえに

                大切なものを

                ぽとぽとと 落してゆきます 



                             ~茨木のり子~


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ペタしてね いつも唇にうたを