京都生まれの入江敦彦さんという人の書いた『KYOのお言葉』という本を読みました。
その中に、「世界で最も翻訳が難しい言葉」の第3位に京都語の「なぁ」が入ったと
いうことが書いてありました。
約千人もの言語学者を対象に、数年前に調査したそうです。
ちなみに、1位はコンゴ南東部で用いられるチルーバ語の「ilunga」。
(「一度目はどんな悪口でも許し、二度目には我慢し、けれど三度目は決して許さない人物」という意味)
2位は東欧のユダヤ系言語イーディッシュの「shlimazi」。
(「慢性的に不幸な人」を指す)
そして3位に輝いたのが、京都語(?)の「なぁ」だったらしいです。
上位の二つは、かなり複雑なニュアンスを含み、訳す時に非常に困難を伴うらしい。
そしてそれに続くのが、私たち京都人が使っている「なぁ」だったとは!
『やはり京都人の口語は世界中の学者を悩ませる複雑怪奇な存在であったか、と感慨深い』
と自身も京都人である作者の入江さんは述べておられます。
「なぁ」を共通語の「ね」と訳すと、そのニュアンスが微妙に違ってくる。
語りかける始めにも使う呼びかけなのですが、私たちが一番よく使うのは、話し終えた後。
「なぁ、今日行って良かったやろ、なぁ~あ?」
という風に、伸ばしたり、語尾を上げたり下げたりとその時々によって微妙に変えて
使うのです。
『音声化こそしないが、「なぁ」のあとも言葉は続いているということ』
と、入江さんは書いています。
『京都人と会話するなら、その無言の台詞を聞き逃してはいけない。
たいがいそちらの方に真意が隠されているのだから。
京都語は「なぁ」から始まるミステリーである。』
ミステリーかは知りませんが、確かに京都の言葉は後まで余韻を残す言葉が多い気がします。
隣の大阪の人と話している時、それをより強く感じるのです。
彼らの「竹を割った」というのとは正反対。
自分でも「ねちっこい性格やなぁ」と思ってしまう時がある。
本心をうまくカラッとは言えない。
いつも御所を仰ぎ見て暮らし、めったな失言は出来なかった京都の人々の血が、
私の中にも流れている、ということでしょうか?
それでも、「なぁ」という言葉は、とても好きな言葉の一つです。
私にとって、いつまでも大切にしたい言葉でもあるのです♪
