「 白鳥をあらってやる
白鳥の白さをたしかめる 」
これは、誰の詩だったでしょう。
たぶん、小4の頃だったかに何かの本で出会い、それから私の座右の銘になった言葉です。
子供の頃の我が家は、嫁姑問題や、さまざまな葛藤を抱えて毎日がグレーに彩られた何ともいえない暗い家庭でした。
一日のある時間にふと「死」を考えてしまう毎日・・・・。
それは、朝の朝礼の時間や休み時間など、大勢の中にいた時がほとんどだったと思います。突然、津波のようにその衝動が押し寄せてくる・・・。
私は本の世界と音楽に逃げ場を求めて、毎日手当たり次第読書をしました。
また、父の持っていたチャイコフスキーのレコードを、家に帰ると一人でずっと聴いていました。
今では、「え?チャイコフスキー?」と引いてしまうのですが、その頃は彼の音楽のもつロシアの哀愁のようなものが寂しい心と共鳴したのかも知れません。
動物が、負った傷を穴の中でひそかに癒すように、彼の音楽は私の傷ついた心にしみ入って、ゆっくりと暖めてくれました。
そして、その時出会ったのが冒頭の詩でした。
「まさに今のわたしだ」と心が震えたのをはっきり覚えています。
「大人になったら、美しいものを求めるこんな暮らしは、捨てないといけないんだろうな」そう思って、心がジンジンするほど疼いていました。まるで昨日のことのようにそれを思い出します。
「だから、せめて心が醜くならないように、自分の心の中の白鳥を洗い続けていこう!」
子供心にそう自分に言い聞かせたのです。
あれから、長い時が流れ、私はいい大人になりました。
でも、今でも私はあい変わらず美しいものを求めて、音楽や読書に夢中になっています。感性は、おそらくあの頃よりももっと豊かになり、広がって行っています。
だから、あの頃の自分に言ってあげたいのです。
「人生って、捨てたもんじゃないよ。美しいものは世界にたくさんあふれてる。だから私はやっぱり生まれてきて良かったよ。」
すぐに汚れてしまう白鳥・・・・。
でも、それを洗えるのは自分自身だけだから。
これからもずっと、洗い続けていきましょう。
美しいものを探し続けていきましょう!