『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』で、ながきにわたり助監督を務めてくれた堤健介くんが映画祭日記を書いてくれたので、ここでも紹介させてもらいます。
10月10日
釜山へ向かう大韓航空の飛行機の中にいた。窓際でなく中央列のシートに座れてホッとしたものの、高所恐怖症の僕は機体が揺れる度に身を固くしていた。つい二時間ほど前に成田を飛び立った飛行機は、もう着陸体勢に入ろうとしている。小谷忠典監督は隣に座った取材対象のキャストと何やら喋っている。小谷監督はビジュアルアーツ専門学校・大阪で講師をしていた時期がある。丁度、その時期、僕もビジュアルアーツの学生で小谷監督の顔を見知っていたが、直接授業を受けることも、話すことも無く、そのまま卒業してしまった。その後、いろいろなご縁があり、ポレポレ東中野で公開された小谷監督の『LINE』の宣伝活動を手伝うことになり、それが助監督として本作品に携わるキッカケになった。わくわくと旅行ガイドを読んでいるのは、プロデューサーの大澤一生さん。『LINE』は、小野さやか監督『アヒルの子』とのカップリング上映だった。同じ家族を扱ったタイプの全く違う作品を同時公開することで、ふたつの作品をどちらの客層にも届ける。そのアイディアを考えたのが大澤さんだった。結果、『LINE』も『アヒルの子』も大盛況だった。今、大澤さんは複数の作品を製作・配給している。その小谷監督と大澤プロデューサーが組んで完成された『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』が、お隣の国・韓国で開催される釜山国際映画祭でプレミア上映されることになったのだ。釜山空港のタクシー乗り場へ行くと、どやどやと現れた運転手たちが激しい口調で客の取り合いをする。なんとか、タクシーへ乗り込んだ一行は映画祭の会場へ向かう。高速を走るタクシーの荒々しい運転には頭がクラクラした。もの凄い勢いで流れ去っていく風景は、日本とよく似ていたけど、ハングル表記や街の雰囲気の違いで、ここは違う国なんだと感じた。ほどなく、韓国最大規模となる釜山国際映画祭が開催される海雲台(ヘウンデ)地区へ到着する。『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』の上映会場はセンタムシティという巨大な百貨店にあるCGVというシネコンだ。にぎやかな会場へ着くと、日本語の堪能な映画祭スタッフにチケット売り場まで案内してもらう。人数分のチケットを購入しようとすると、ソールドアウト状態。前列の数席しか残っておらず、驚く。上映時間も迫った頃、映画の出演者である女優・渡辺真起子さんがチームと合流する。初のお披露目。観客はどう反応するのか。小谷監督たちが緊張した様子で上映後の質疑応答の打ち合わせをする中、キャストさんたちと開場の始まった劇場へ入る。客席の埋まった劇場へ入って驚いたのは、そのスクリーンの大きさだ。思わず、「大きいね」という言葉が皆の口からもれる。そんな大きなスクリーンで、長い間スタッフとして携わってきた映画が披露されたのだった。上映後、劇場の灯りが点くと、盛大な拍手がわきおこった。「あんた、私が死ぬということをどう考えてるわけ?」――絵本作家・佐野洋子のもとを訪れた小谷監督は、いきなりそう問われた。ガンによって余命幾ばくもない佐野洋子からの問いかけ。その問いの答えを、映画を撮ることで見つけようとした。そのことを舞台に立った小谷監督が語った。小谷監督と観客のやり取りが、まるで通訳の時間を惜しむように続けられ、時間はあっという間に過ぎてしまった。質疑の後も、小谷監督のもとへやって来る観客の方がたくさんいた。
10月11日
目覚めると、ホテルを飛び出し、タクシーを拾い、映画祭の会場へ。マーケットへ行く小谷監督たちとは別行動だ。昨晩のうちに鑑賞する映画は、英語とハングルばかりのカタログから目星をつけてある。タクシーを降りると、目の前には目的地の釜山国際映画祭の象徴ともいえる「映画の殿堂」がそびえたつ。映画のために作られた巨大な建造物には空いた口がふさがらず、うっかり迷いこんでしまった四千席もある野外劇場にはめまいがした。ほかの会場も巨大な百貨店や娯楽施設にあり、映画祭への力の入れ様が感じられた。いろんな層の観客を見かけたけれど、若者が一番多かったような気がする。目的の映画のかかる劇場へ入ると、上映を待つ間、周囲を韓国語が飛び交う。客席の埋まった賑やかな劇場で、とても自分が浮いた存在であるような変な気分になったが、ひとたびスクリーンに光が投影されると、そこはいつも通っている映画館と変わりが無くなる。みんな、おかしければ笑うし、悲しければ泣く。言葉が違うだけで、この人たちは自分と何も違わないのだ。それから、散々映画を観て、集合場所である小谷監督の宿泊するホテルの前へ移動。一年ほど前からソウルで役者として活動する小鹿敬司さんと合流。小鹿さんは僕と小谷監督の共通の友人であり、10日の上映にも駆けつけてくれた。韓国語が喋れることから、案内を引き受けてもらった。キャスト・スタッフ全員集合し、小鹿さんの案内で通りにある韓国焼肉の店へ行く。食後は全員で夜の海雲台ビーチへ。パスをかけた映画祭関係者の姿もちらほらと賑やかだった。ビーチに設置された映画祭のパネルの前で、伊藤さんに集合写真を撮ってもらう。伊藤さんは映像関係の撮影・照明もやっているが、本業は写真家だ。伊藤さんは今回、舞台挨拶や釜山映画祭のレポート撮影も行っている。ホテルへの帰り道、映画『ヴィダル・サスーン』の監督、クレイグ・ティパーと遭遇。新作をひっさげて映画祭へ来ていたのだ。本人を前に感動するものの、緊張しすぎて近寄ることすらできなかった。
10月12日
見逃していた『ライク・サムワン・イン・ラブ』(監督:アッバス・キアロスタミ)を映画の殿堂で鑑賞。その後、製作補佐の光成さん、編集の辻井さん、伊藤さんでCGVへ移動していると、韓国のおっちゃんが親し気に絡んでくる。日本映画が好きだというので盛り上がる。が、なんのことはない宗教の勧誘だった。カフェで遅めの朝食。編集の辻井さんとキアロスタミの映画の感想を話し合う。そんな辻井さんがパソコンに向かって膨大な映像素材の前で黙々と編集作業する後ろ姿が職人のようで印象的だったことを思い出す。その日の『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』の上映は、舞台挨拶から始まった。「アニョンハセヨー」との小谷監督の韓国語の挨拶に満席状態の客席がなごむ。檀上に立ったのは、10日と同じく、小谷監督、渡辺さん、大澤プロデューサーの三人。「35週年の絵本で、僕と同じ歳です」という小谷監督の絵本の説明に客席から暖かい笑いがもれた。上映後にセンタムシティの書店へ行くと、なんと、絵本売り場にあった『100万回生きたねこ』が完売したとのこと。映画の効果なのかしら?すごい!その後、同劇場で渡辺さん出演の『おだやかな日常』(監督:内田伸輝)を観る。あるアパートに住む二人の女性の目を通して、3・11の震災以降の日本の姿がリアルに描かれていた。上映後の質疑応答には、渡辺さん、プロデューサー兼主演の杉野希妃さん、出演の西山真来さんが登壇。きれいな女優さんのならんだ舞台には華があった。震災後の日本の様子について語る渡辺さんの姿はとても凛々しかった。そんな舞台に立つ渡辺さん、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』の渡辺さん、『おだやかな日常』の渡辺さん、それから今まで出演してきた映画の渡辺さん、どの渡辺さんも同じひとだと思うと、とても不思議な気分になった。
10月13日
閉会式の行われる最終日。閉会式にはパスを持つ関係者以外は入場できないらしく、大澤プロデューサーと光成さんがパスのない他のスタッフやキャストが入場できるように受付へ交渉しに行く。その待ち時間、小谷監督たちと海雲台ビーチでのんびり過ごす。ビーチからは映画祭のパネル等が撤去され、テナントの骨組みをトラックが運び去っていた。ふと見ると、共同プロデューサーの加瀬さんが砂浜で何やら拾っていた。加瀬さんの手にある瓶にはきれいな貝殻がいっぱい詰まっていた。加瀬さんは日本で待つ子どもたちのために貝殻を拾っていたのだ。加瀬さんは良きお父さんだ。お昼時、ホテルの近くにある海雲台市場でおでんを食べる。こっちのおでんは串刺しの練りものだけで具材のたくさん入った日本の煮込み料理とは違うようだ。おでんは値段が割と安いので学生の間食になっているらしい。みんながもりもりと昼食をとる中、大澤プロデューサーと光成さんが合流する。残念ながら、パスのない関係者は会場へは入れないとのこと。昼食後はお土産を買う時間。全員で地下鉄を使って南浦洞(ナンポドン)へ移動。ジュースの自販機のような切符の券売機に悪戦苦闘する。大勢の人々で賑わう南浦洞は、もともと釜山国際映画祭の開催地だった場所だ。前回から会場が海雲台に移り、南浦洞では前夜祭とイベントのみが行われるようになったそうだ。そんな南浦洞にあるチャガルチの魚市場を見学し、それぞれ自由行動。小谷監督、大澤プロデューサーにひっついて、出店の溢れた狭い路地を行く。軽トラの荷台いっぱいの靴下販売。偽造バッグの押し売り。手押し車をひいた野菜販売。時折、古着屋に入っては、品物を物色。こういう場所では時間なんて、あってないようなものだ。すぐに集合時間が迫る。待ち合わせの映画館前へ行くと、すでに辻井さんと待っていた光成さんがニヤッとハングルの『100万回生きたねこ』の絵本を見せる。この姉さんはぬかりがない。今回、光成さんは現場には直接タッチしていないが、持ち前の英語力を活かし、映画祭を含めた海外展開で映画を支えている。閉会式へ向かう小谷監督、大澤プロデューサー、光成さんや南浦洞で買いものをするメンバーと別れ、ホテルの前で待っていた小鹿さんと合流。映画祭の結果を楽しみにしながら、晩御飯を食べる店を探しに出かける。小谷監督たちがレッドカーペットを歩いている頃、僕と小鹿さんは海雲台ビーチ近辺を離れ、繁華街を抜け、住宅街をさまよっていた。スーパーの前にたむろするおっちゃんたちや、ジョギングをするおばちゃん、飲食店の前でおでんを立ち食いする若者たち、賑やかなビーチの近くとは違い、どことなく郊外の町といった感じで生活のにおいが漂っていた。韓国映画でよく坂道が出てくるが、とにかく坂道が多かった。息を切らしながら急傾斜の坂道を昇っていると、鍛えられたガタイの良い軍服のお兄さんたちに一瞬で追い抜かれてしまった。軍服の後ろ姿を見ながら、ここは徴兵制のある国だったと思いだす。何軒か飲食店の目星をつけ、みんなの待つ集合場所の駅前へ。伊藤さんがキャストの方たちのスナップを撮っていた。別々の人生を生きてきた人たちが映画に出演することで繋がっていた。そこへ、閉会式から戻って来た小谷監督たちと合流。聞くと、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』は惜しくも受賞を逃したそうだ。少し残念だったけど、小谷監督のつむいだ時間がここまでたどりつけたことのほうが、やっぱり嬉しいと思った。『LINE』の宣伝活動をしていた公開までの半年間、小谷監督の提案で週に一度、光成さんの家にみんなで集まっては作戦会議を開いていた。宣伝のための作業はしていけど、自分たちの撮った映画を見せ合ったり、みんなでご飯を作ったり、普通の世間話をしたりと、まるで家族のようなチームになっていた。「せっかく、みんなで何かをやるんだから楽しくやろう」という小谷監督の言葉が今でも忘れられない。その仲間たちがそのまま『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』を支えるスタッフとなったのだ。「みんながこの場所へ来て、楽しんでもらえていたら、それで僕は満足です」映画祭から解放され、ふにゃふにゃになったお疲れ気味の小谷監督が言った。とても小谷さんらしい言葉だと思った。それから、お酒の飲めない小谷監督はコーラを片手に乾杯の音頭をとった。次の日の早朝、ホテル前で小鹿さんに見送られ、慌ただしく釜山空港へ向かう。日本への帰国だ。高速から遠ざかる海雲台を見ていると、まるで映画祭の四日間が夢のようだった。さあ、次は12月8日からの渋谷はシアター・イメージフォーラムでの公開だ!
(文・堤 健介)