幸せに生きる人生観

幸せに生きる人生観

アラフォー、7年レス夫婦ですが、仕事や人に恵まれ充実の日々を過ごしています。管理職、心理カウンセラー。ここでは等身大の自分自身、また人との関わりで得た気付きを綴ります

時に性に関わるテーマも扱います、嫌悪感を感じる方はページ移動して頂ければ幸いです

日々社会活動をしていると、何かにつれて、人とグループを組む機会が訪れるかと思います。PTA活動、町内会、マンション管理組合、社外研修・・・

例を挙げればきりがないかと思いますが、毎回チームで活動していると不思議な光景を見かけます。

例えば6人チームを組むのであれば、2~3人の人がとても良く働き、1~2人くらいが指示待ち様子見で、1~2人くらいは非協力的・・・皆さんはこんな経験お持ちではでしょうか?

『それは単純に人の能力の差だ』という意見もあるかも知れませんが、この現象は例え東京大学の学生でチームを組んだとしても起こる現象であり、自然に任せているとほぼ例外がないことが知られています。

北海道大学の長谷川 英祐(えいすけ)準教授は2012年にこの法則を働きアリの法則として世に発表されました。通称の『2:6:2の法則』としても有名な一説なのですが、働きアリ達が全員一斉に動いて全員が一度に疲れないように、交代で休みを取っているというという点から命名したとのことです。

この説、人間界にも当てはまるのですが、人間界においては一度組んだグループ内の下位20%は基本的に交代すること無く、低いパフォーマンスを発揮し続けるというのが実際のところだと言われています。

事実私の職場においても、2:6:2グループの逆転というものは起こっておりません。では、2:6:2の法則が起こることを前提に考えた場合、どのようにチームビルディングを行うことが重要でしょうか?

あくまでも私的経験則ですが、下位のグループには【他者や組織を批判しない人】が自然に当てはまるように人材配置することが重要だと考えています。

例えば製造業の現場においては、人によって器用・不器用の差がどうしても出てしまいます。生産効率は日々数字に現れる為、下位の方は毎回下位ですし、上位に上がることは基本的にはありません。

しかし、その下位の方が”とても人当たりの良い方”であれば、現場の仕事をする以外にも電話対応や来客対応を兼任して頂くことで別の貢献をしていただくことが可能です。

また上位グループの人も“自分は上位にいる”という点で自己承認欲求を満たすことができ、不平不満が出にくくなります。

少し複雑な話であり、チームリーダー目線の話かもしれませんが、この日記を読まれた方が、この先もし、チームリーダーやサブリーダーになったとして、その時に働かない人がチーム内にいたとしても、この『2:6:2の法則が起こる』ということを意識しておくと、不用意にイライラせずに済むかも知れません(苦笑)

本日も長文お読み頂きありがとうございました。

 

時々人前で話すことがあるのですが、「どうすれば聞いている人の心に残るような話をすることが出来るだろうか?」と毎回考えます。

スライドを用いた方が良いのか? 落語のように話す方が良いのか? 少々古いですが、上岡龍太郎氏や島田紳助氏のようなトーク力を目指した方が良いのか・・・

色々試行錯誤するのですが、ストーリーや実例を元にしたお話は、聞いている人の胸に響きやすいのかなと思っています。

しかし、本題でストーリー性のある話をするにしても、冒頭の部分で如何に興味を持ってもらうかは非常に重要です。そこで大切なことがパラダイムシフト(パターン化された視点がガラッと変わること)という考え方です。

ではどのような条件が揃えば、パラダイムシフトは起こるのでしょうか?大手進学塾で生徒からの支持率95%を誇ったカリスマ講師、木下晴弘氏は自身の著書(※1)の中で「意外性が大切と」仰っています。

例えば、【賢者】というテーマについて公演するとして

『みなさん、こんにちは。お忙しい中本日はありがとうございます。本日お集まり頂いた皆様は恐らく常に学びの姿勢をお持ちの方々だと思います。それに応えるべく、私も一生懸命頑張りますので宜しくお願いします。・・・』

このような冒頭でしたら、よくあるパターンなので、聞いている人のリアクションは薄いと思います。しかし、

『みなさん、こんにちは。お忙しい中本日はありがとうございます。本日お集まり頂いた皆様は恐らく常に学びの姿勢をお持ちの方々だと思います。ところで皆様は【賢者】とはどんな人のことだと思いますか?・・・』

最後の問いかけをすると、顔を上げる人が続出します。これは言わば“つかみ”の一つではありますが、このように問いかけた後に、既存のイメージを変える自説やユニークな言葉の定義を話すことが出来れば、聞いている人はメモを取り始めます。

テクニックは人前に限ることはありません。例えば子育てにおいてもこの考え方は有効で、子供はある程度大きくなると親を質問攻めにします。幼稚園児の頃までは親が正しい答えを教えてあげることが大切ですが、小学生以降になると自分で考える力を身につけることも大切です。

そんな時、是非子供に質問し、子供と一緒に考え、ユニークな回答や自説を述べて上げると「うそぉー」と言いながらも子供の目は輝きます。

勿論家庭環境や人間関係において、有効である場合とそうでない場合があるのであくまでも参考の一つ程度にして頂ければ幸いです。本日もありがとうございました。

 

 


※(※1引用) 「ココロでかわれば、人は“本気”で走り出す!」木下晴弘 氏

私は言葉を大切にしています。
言葉を紡ぐとは自分の想いの一つ一つを繋ぎ合わせ、書き綴るということだと考えています。

また、お会いしたことのない方々と対話をする為にも、言葉ほど最適なものはないと感じています。言葉は人生感そのものであり、生き様であり為人(ひととなり)を映し出す鏡だと思います。

かつて“平成の歌姫”と言われたアーティストの一人に、坂井泉水さんという方がいらっしゃいました。
ZARDという名で活動された彼女は、その楽曲の殆どを自らの言葉で作詞し、想いをメロディーに乗せて歌い続けられました。

その詩の世界観はとても優しく、想いやりに溢れ、彼女の素朴な人柄とファッションも含め、性別・年代を問わず多くの方々に愛されました。

坂井さんが他界してから既に15年以上の月日が経ちますが、今尚色褪せることなく、愛されて続けているのは、その優しい数々の言葉にあったのではないかと思います。

私見ですが、良い言葉(文章)とは、“人の心に寄り添えるもの”だと感じています。そこに難しい表現や専門用語は必要ありません。

邪(よこしま)な心を持った人が、例え体裁を整え、如何にも最もらしい言葉を書き並べたとしても、知識自慢や書き手の驕り、姿勢や態度は言葉の節々に現れるものです。

また、必ずしも整った文章である必要はないと思います。例え言い回しが幼くとも、誤字脱字があったとしても、読んだ人に想いが伝わればそれで良いのです。他者が土足で文章の粗を指摘する必要もないと思います。

私自身の力は小さく、出来ることなど知れていますが、言葉を通じて、少しでも“人の心や日常のプラス要素”になればと思いながら文章を綴っています。混沌とした世の中が、少しでも優しい空間となると良いですね。

本日もお読み頂きありがとうございました。