今年度はじめの頃の記録です


やや長文になります





長男が高1、三つ子が小4になりました



私は、はうつ病が悪化したため休職中です




先にフミと学校の事を書きます



三つ子の通う小学校は、4年生の教室は本校舎と渡り廊下で繋がれてる別校舎にあり

1階に2クラス、2階に2クラスの配置です。


 私は、三学期の時点で

 「医師からも学校生活では歩行器を使わず車椅子での生活をするように方針を変えることを言われました」 

と医師の意見書も提出して、交流級は1階のクラスにしてもらえるようにお願いをしていました。


 だけど、始業式の日の朝、学校へ送りに行ったら、2階のクラスが交流級でした…。


前年度の支援級の先生は、今年度は情緒級の担任をする事になったそうで少し話したところ


「クラス編成で仕方なく…」と言っていました…


だけど同じ学年にもう一人いる車椅子の子は1階のクラスだった。



 だったら空いてるもう1クラスに入れてもらう事はできなかったのかな?

そりゃ手すりと介助あれば学校の階段使えますよ。


でもそれで歩行器使ったり手引き歩行して体力削られて、
授業に集中できなくなって学校嫌だ!ってなる事が2年生の2学期から増えて、相談していたんです。

私→学校、私→発達支援センター、私→病院って、全部私が連絡係よ?


そして

そのような環境は本人にとっても良くないですね。せっかく学習ができる環境の整った学校へ通っているのに学習に集中できないのはもったいない。学習面に伸びを車椅子メインの学校生活にしましょう。


と医師も判断したのに…



音楽は交流級で受けるのだけど、別校舎から本校舎1階の支援級近くの階段から3階まで伝い歩きで上がって、音楽の時間が終わって次の授業も交流級となると、


また1階へ降りて別校舎まで車椅子を押してもらったとしても

更に階段上がって2階の交流級行くの、いったい何分かかるのかな


音楽の授業は2.3時間目の間にある20分休みの前になるような時間割にしてくれたとか??


しかも別校舎の男子トイレは1階にしか無い…

だったらなおさら1階の交流級にしてほしかったよ… 

たまにトイレ間に合わなくて着替えることもあるのに。 


 次男はあまり交流級での勉強はついていけないから、あまり来ないから2階でも良いでしょって事なの?


何だか長女が悪口手紙の運び屋にされた時みたいに、交流級の一員と思われてなくて【◯組のみんなより・(長女の名前)(支援級で同じ子の名前)】

って書かれた時みたいな、疎外感までも感じてしまいます。

(これは病気から来る被害妄想なのは自分でも理解していますが)


 一番不満なのは、本人や保護者に何の報連相もなく決められた事です。


致し方ない理由があるなら事前に言ってほしかった。 

そうしたら私や夫も何か策を考えたり、いい案が無ければ仕方ないなって思えたかもしれない。 


 三学期に書いた支援計画書の為の面談で、下校後の放デイでは 

「学校の疲れが出てしまい放デイに着く前や自宅に着く前に寝てしまうことが多い」

「動きが鈍くなる時がある」

 って伝えたのは一体何だったのか??


私だけの訴えでは学校も動かないだろうと思っていたから、

(フミが転倒した時に車椅子で学校生活送らせてくれと頼んだときも「教員と介護員が見てたら良いことなので」と頑なでした)


医師の意見書まで提出したのは何だったのか。 

 


高齢者や障害者の担当者会議、放デイの個別支援計画立てる時だって本人や家族同席でやることもあるってのに

学校や市教委は、同じ市の職員である次男の担当の発達支援専門員とも連携取ってくれないのかなと、疑問だし、とても悲しい気持ちです。 


 もっと学校とコミュニケーション取らないとならないと思いました。



ただ、こちらの意見を押し付けるのではなく、学校の気持ち、どうして2階の交流にせざるをえなかったのかの理由を聞きたいです 


 その上で、親として何かできることはないのか?
できることがあるなら、次男が楽しく…と言うより今は、少しでも嫌がらず学校へ通えるように協力したいです。


 いつか、学校楽しい!って言って、学校へ入っていく次男を、私も笑顔で見送りたいのです…。


そんな思いの丈を、発達支援センターに相談して、でも、発達支援センターは

学校との直接のやり取りはしない方針の自治体だと言っていて、私は担任の先生あてに連絡帳に

「今年度のフミの支援について話し合いたい」と書きました。




続く