皆が抱っこしてくれた。
皆がいい子いい子してくれた。
プレゼントも沢山貰った。
皆に可愛がってもらって、息子の名前を呼んでもらえるのがとても嬉しかった。
強く生きていた自慢の息子を、沢山の人に知ってもらいたいと思った。
9月8日、お昼過ぎに納棺となった。
夫と2人で小さなお棺に息子を寝かせた。
やっとお外に出られて、お家のベビーベットで過ごせるようにようになったのに、こんなに狭い場所に寝かせることが可哀相で、悔しくて、しばらく息子から手を離すことが出来なかった。
手を離したら、息子が私達の手から離れて行ってしまうような気がしてとてもこわかった。
納棺の少し前から、息子は涙を流し始めていた。
ずっとずっと、泣き続けていた。
この日から、昼も夜も息子の涙を拭き続けた。
なぜ涙が止まらないのか。
悲しくて泣いているのか、構ってほしいのか、チビコタがいなくなっちゃって寂しいのか。
いずれにしても、24時間、1分たりとも目が離せなくなった息子のお世話が出来ることが嬉しかった。
息子に必要とされている気がして幸せだった。
そして、私と二人きになる時や、歌を歌ってあげるとご機嫌になり、涙が少しおさまる気がした。
特に息子は『かえるのうた』がお気に入りだった。
やっぱりお母さんの事が分かっているんだね、と言われるのがとても嬉しかった。
9月10日、お通夜の日。
お外にお出掛け出来るのが分かって嬉しいのか、朝にはほとんど泣き止んだ。
相変わらず、『かえるのうた』がお気に入り。
お通夜の前に、息子の小さな唇に私の赤いリップクリームを塗った。
今はまで一番いいお顔になった。
9月11日、葬儀の日。
天気は晴れ。
息子が生まれた日もいいお天気だった。
晴れ男な所はお父さんにそっくりだね。
この日も涙はあまり流さず、穏やかないいお顔をしていた。
息子のお棺の中には、沢山のものを入れた。
お空で寂しくないように、困らないようにと、思い付く限りのものを持っていってもらうことにした。
お洋服、オムツ、ぬいぐるみ、オモチャ、絵本、家族で撮った写真、お手紙、母乳を入れた哺乳瓶…そして、私達の匂いが分かるようにと、入院中私が着ていたお気に入りのパジャマと夫のワイシャツなども入れた。
少しでも、私達の温もりを感じられるものを持っていってほしかった。
火葬の時、私は息子が苦しくないか不安でしょうがなかった。
息子はもう苦しくないよと皆に言ってもらい、自分にもそう言い聞かせ、ボロボロになりながら送り出した。
火葬後、骨壺に入った息子の立派なお骨の上に、私達夫婦のブレスレットを置いた。
息子を授かる前、お互いに対してパワーストーンを選び、お揃いで作ったブレスレット。
私達の想いをいつも感じてもらえるようにと願って、一緒に入れさせてもらった。
これでお墓に入っても、家族全員いつも一緒だ。
この日の夜、暗い部屋の中で元気に飛び回る息子の姿が見えた。
コタブラザーズの上に乗ったり、空中ではしゃぎ回ったり、とても楽しそうにしていた。
弘士郎、本当に楽になったんだね、自由に動けるようになったんだね。
楽しそうにしている息子を見て、心から安堵した。
体力的にも限界だったが、この日は久しぶりにぐっすり眠った。