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ウクライナ政府(緊急事態省)報告書
『チェルノブイリ事故から25年 ”Safety for the Future”』

(2011年4月20日‐22日、チェルノブイリ25周年国際科学会議資料)
「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク翻訳資料
http://archives.shiminkagaku.org/archives/csijnewsletter_010_ukuraine_01.pdf
原文
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/chornobyl25eng.pdf












1997‐2001年には、チェルノブイリ原発30 kmゾーンから避難した子どもと汚染地域にすむ子どもの両方で、健康な子どもの減少というはっきりした傾向が観察された。2001年における子どもの健康度による分布は以下のとおりである:30 kmゾーンから避難した子どもでⅠグループ(訳者注:健康)の子どもは一人もいなかった。Ⅱグループ(慢性疾患へのリスクグループ)は23.4%、Ⅲグループ(慢性疾患がある)は63.9%、Ⅳグループ(重篤な疾患がある)は12.7%であった。汚染地域の子どもたちの中では、Ⅰグループ(健康)の子どもは6.3%、Ⅱグループ(慢性疾患へのリスクグループ)は26.1%、Ⅲグループ(慢性疾患がある)は57.5%、Ⅳグループ(重篤な疾患がある)は10.1%と判定された。(p8)



17‐18歳の時、チェルノブイリ30 kmゾーンからの避難者の76.6%、汚染地住民の66.7%に慢性的な身体疾患が現れ、病理学的な変化の指数は5.7に達した。(p8)



・プリピャチ市とチェルノブイリ原発30 kmゾーンから子ども時代に避難した人を親として生まれた子どもたち(Ⅰグループ)、および放射能汚染第2ゾーン、第3ゾーンの住民で子ども時代に事故に遭った人びとから生まれて汚染地域に住んでいた、あるいは現在も汚染地域に住んでいる子ども(Ⅱグループ)の健康に関する評価によれば、実際、彼らの中に健康な子どもの数は10%を超えず、病理学的変化の指数は5.39に達した。
 健康状態の主な基準である身体的発達は、62.40‐62.58%の子どもで不調和であった。・・・ほとんど四分の一の(24.6%)子ども‐汚染地域住民が、身体的発達の不調和とともに、パスポート年齢に比べて生物学的年齢の遅れがあった。(p9)



・母親の甲状腺被曝線量、母親と/あるいは父親の全身被曝線量と、彼らの子どもの免疫不足状態の進展は、相関の可能性がある。(p9)



・被曝した親から生まれた子ども(基本登録の第4グループ)には、病気の発症率と有病率が有意に高い。(図3.35)(p14)



・図3.35 ウクライナの子どもと、被曝した親から生まれた子どもの病気の発症率(1)と有病率(2)の傾向(“ウクライナ医学アカデミー放射線研究センター”のデータ)(p14)





・基本登録第4グループの子どもたちのこれらのパラメーターの進展は、ウクライナ全住民よりも早い。この見積もりによれば、近い将来、負の傾向が蓄えられていくであろう。(p14)




★図3.36 被曝した親から生まれ慢性疾患のある子どもと健康な子どもの比重の事故後の期間における変動(“ウクライナ医学アカデミー放射線医学研究センター”のデータ)(p15)





被曝した人の子どもは1992年と比べ2009年には特定の分類の病気の登録が急速に増加していることが注目される。すなわち、内分泌疾患‐11.61倍、筋骨系疾患‐5.34倍、消化器系‐5.00倍、精神および行動の異常‐3.83倍、循環器系疾患‐3.75倍、泌尿器系‐3.60倍である。・・・
 彼らの中には、すでに生後最初の1年でしばしば発病するという多くのグループが形成され、6‐7歳では49.2%から58.7%に達し、免疫状態は、多くの免疫学的パラメーターの頻度が生理学的な変動の幅を超えていること(75.0‐45.7%)が特徴的になっており、これが慢性疾患形成の基礎となっている。(図3.36)(p15)



事故後の期間の変動では、(被曝した人の子どもの中で)健康な子どもの比重は1992年の24.1%から2008年には5.8%に減少し、慢性疾患のある子どもの数は1992年の21.1%から2008年の78.2%に増加した。(p15)



・ウクライナ国家登録では、1986‐1987年のチェルノブイリ事故処理作業者から13,136人の子どもが生まれており、それらの中で1,190人(1,000人当たり90.6)が先天性欠損(IBD)として登録された。(p15)




・放射線の影響を受けている小児期年齢集団の健康状態の動的な変化は、以下のような、持続する負の傾向という特徴を示している。


 子どもたちは、さまざまな病気の発症率が増加しているだけでなく、実際に健康な子どもが量的に減少しており、その傾向は変わっていない。健康状態が最低レベルの子どもは、事故時に甲状腺に高線量の被曝をした子どもたちである。


 慢性的な病気の発症とその経過に次のような特異性がある。すなわち、発症の若年齢化、病変が多系統・多器官にわたる、治療法に対して比較的抵抗性があり再発の経過をとる、といったことである。


 事故時に胎児発達期であった子どもたちの場合、胎児期の被曝線量と、出生後の健康状態、身体発達、多数の小さな異常を有する表現型の形成、体細胞の染色体異常の数の増加との間に、信頼性のある相関が存在する。


 被曝した親から生まれた子どもでは、多因子型疾患の疾病素質、発達上の多数の小さな異常を有する形態発生上の変動の形成、体細胞の染色体異常の頻度上昇、マイクロサテライト関連のDNA部分の突然変異頻度の上昇などによって特徴づけられる、ゲノム不安定性の減少が形成されている。(p17)



・チェルノブイリで被災した大人の中でもっとも一般的(40‐52%)な病気は甲状腺(TG)の病気であり、一方普通の人口集団では、ウクライナ保健省の公式統計にしたがえば、その頻度はずっと少ない。(p18)



・チェルノブイリ惨事のときに18歳未満だった人びとの中で被曝線量の高い人ほど甲状腺ガンの有病率が高いことが、ウクライナとアメリカの研究者の甲状腺プロジェクトによるスクリーニングと研究で観察されている。さらに、事故前に生まれた子どもたちの罹病率は事故後に生まれた子どもでの率と比べると15倍かそれ以上であり、このことが《事故後に子どもの》甲状腺ガンの発生が放射線によるものであることを一層確認している。・・・甲状腺ガンの発生率は1990年から2008年まで徐々に増加している。(p22)



・(甲状腺ガンに関して)特に注意すべきは、離れた部位への転移の発生がある患者のパーセントが1990‐1995年には23.0%であったのが、2006年‐2009年には1.8%に減少したことである(p<0.001)。(p24)







★ウクライナ国内におけるセシウム137の汚染状況マップ(1986年5月10日)(p25)








・★ウクライナ国内におけるセシウム137の汚染状況マップ(2011年5月10日)(p26)








・★ウクライナ国内におけるセシウム137の汚染状況予測マップ(2036年5月10日)(p27)



●第6章 チェルノブイリ大惨事後の腫瘍性疾患

〔6.1. 腫瘍の総罹病率の上昇〕

・現実に近いがん死の数は、旧ソ連圏ヨーロッパで21万2,000人、旧ソ連圏以外のヨーロッパで24万5,000人、それ以外の全世界で1万9,000人となる。チェルノブイリ大惨事後数ヵ月間にわたって残留していた高線量のテルル132[Te-132]、ルテニウム103[Ru-103]、ルテニウム106[Ru-106]、セシウム134[Cs-134]、と、いまだ放出され続けるセシウム137、ストロンチウム90[Sr-90]、プルトニウム[Pu]、アメリシウム[Am]の放射線が、数百年にわたり新たに腫瘍を発生させるだろう。(p137)

・多くの放射性同位体が安全な程度にまで減衰するのに半減期の10倍を経過する必要があることを考えれば、今後数百年にわたって、チェルノブイリ由来の放射線による新たな腫瘍が発生し続けることになる。(p137)

(ベラルーシ)1990年から2000年までの期間に、ベラルーシのがん罹病率は40%上昇した(Okeanov et al., 2004)。(p138)

・(ウクライナ)大惨事に続く12年間に、がん罹病率が重度汚染地域では18%から22%、全国でも12%上昇した(Omelyanets et al., 2001; Omelyanets and Klement’ev, 2001)。(p140)


〔6.2. 甲状腺がん〕

・甲状腺がんは大惨事に起因するすべての悪性腫瘍のなかでもっとも多く見られ、その発生率には特に注意を払うべきだ。甲状腺は内分泌系[の正常な働き]に不可欠の器官であるため、その機能障害によって他の多くの重篤な疾患が引き起こされる。・・・急速に上昇し、しばしば局所転移と遠隔転移を生じる(Williams et al., 2004; Hatch et al., 2005; 他多数)。(p141)

・★図6.3 ベラルーシとウクライナで1986年に17歳以下の子どもだった人びとの年間甲状腺がん発生率(10万人あたり)(Fairlie and Summer, 2006)。(p141)

・★図6.6 1986年に0~18歳だった人びとの甲状腺がん症例数(National Belarussian Report, 2006 : fig. 4.2)。(p142)

・(ベラルーシ)大惨事当時に18歳以下だった人びとの甲状腺がん発症数が、事故後20年で200倍以上に増加した(図6.6) (National Belarussian Report, 2006 : fig. 4.2)。(p142)

・(ウクライナ)甲状腺がんの症例数は、チェルノブイリ事故以前と比べ、1990年から1995年までの期間では5.8倍に、1996年から2001年まででは13.8倍に、そして2002年から2004年まででは19.1倍に増加した(Tronko et al., 2006)。(p144)

(ウクライナ)臨床的には、全身的な徴候や症状がないにもかかわらず、早期に、また高頻度にリンパ節転移が見られる。約46.9%の患者で腫瘍が甲状腺外に及んでいる。患者の55.0%に頸部リンパ節への局所転移が生じており、初回手術後まもなく切除しきれなかった転移巣が発現し、その切除のために繰り返し手術を要した。さらに、患者の11.6%に肺への遠隔転移が生じた(Rybakov et al., 2000; Komissarenko et al., 2002)。(p144)

・★図6.8 メルトダウン時に0~18歳だったウクライナ住民の甲状腺がん症例数(National Ukrainian Report, 2006: fig. 5.2)。(p145)

フランス:1975年から1995年にかけて、甲状腺がんの発生率が男性で5.2倍、女性で2.7倍に増加した(Verger et al., 2003)。(p147)

・★1986年以降2056年までのヨーロッパにおける放射線に起因する甲状腺がんの予測発生数と予測死者数(Malko, 2007)。(p151)

・全ヨーロッパにおける甲状腺がんの発症数と死亡者数の信頼区間は、それぞれ4万6,313例から13万8,936例と、1万3,292人から3万9,875人である(Malko, 2007: table 3)。(p152)

・甲状腺がんは外科手術によって容易に治療できると誤解されている(Chernobyl Forum, 2006)。ところが、患者の大多数が手術を受けているという事実にもかかわらず、約3分の1の症例でがんは進行し続けている(Demidchik and Demidchik, 1999)。さらに手術を受けても、患者は例外なく投薬によるホルモン補充に全面的に依存することになり、生涯にわたって健康面の重いハンディキャップを負い続ける。
 甲状腺がんは放射線に起因する甲状腺障害の氷山の一角にすぎない。がんが1例あれば、[その背景には]他の器質性甲状腺障害が数百例存在するからである。(p152)

・大惨事後3年にわたって続いた機密主義とデータの組織的な改ざん(p152)


〔6.3 血液のがん―白血病〕

〔6.4 その他のがん〕

・(ベラルーシ)(調査対象とした3万2,000人の)避難者において、肺がん罹病率が全国平均の4倍だった(Marples, 1996)。(p158)

・(ベラルーシ)大惨事後、がん罹病率の構成に著しい変化があり、胃腫瘍の割合が減少した一方で、甲状腺がん、肺がん、乳がん、泌尿生殖器がん、結腸がん、および直腸がんが増加した。(p158)

・★表6.19 ベラルーシ、ウクライナ、およびヨーロッパ側ロシアにおけるチェルノブイリに起因するがんの発生率および死亡者数の予測値(Malko, 1998)。※致死性のがんは全世界で9万例。(p160)

・セシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム241[Pu-241]、アメリシウム241[Am-241]、塩素36[Cl-36]およびテクネチウム99[Tc-99]の放射線放出による被曝が継続するため、これらの数字は今後、何世代にもわたってふえていく可能性がある。(p162)


●第7章 チェルノブイリ大惨事後の死亡率

ウクライナおよびロシアの汚染地域における1990年から2004年までの全死亡例のうち、3.8%から4.0%がチェルノブイリ大惨事に起因する(p163)

1987年には、バイエルン州のうちもっとも汚染度が高かった10地区(セシウム137の地表平均濃度が3万7,200Bq/m²)で、死産の比率が45%(p=0.016)上昇した(Scherb et al., 2000, Scherb and Weigelt, 2010)。(p166)

・(ウクライナ)小児死亡率が上昇し、1987年の1,000人あたり0.5例から1994年には同1.2例になった。神経系と感覚器の疾患による死亡が5倍、先天性奇形[による死亡]が2倍以上増加した(Grodzinsky, 1998)。(p172)

・(ウクライナ)公式データによれば、高濃度汚染地域の小児における1997年の死亡率は4.7%で、被曝した親のもとに生まれた小児では9.6%だった(ITAR-TASS[イタルタス通信], 1998)。(p172)

・(ウクライナ)1989年から2004年にかけて、ウクライナの男性リクビダートルの死亡率は1,000人あたり3.0人から16.6人へと5倍以上に増加した。(p172)

(ロシア)ヴォロネジ州では、3,208人のリクビダートルのうち1,113人(34.7%)が2005年末までに死亡している(出典はChernobyl Union[チェルノブイリ同盟]地区支部からの書簡)。(p174)

(ロシア)大惨事に続く12年間にカルーガ州で死亡した全リクビダートルの87%が30歳から39歳だった(Lushnykov and Lantsov, 1999)。(p174)

・(ベラルーシ)セシウム137による地表の汚染が55万5000Bq/m²(15Ci/km²)以上の地域に住む人びとの平均余命は、全国平均より8年短かった(Antypova and Babichevskaya, 2001)。(p176)

・ベラルーシの総死亡率は、1990年から2004年にかけて、1,000人あたり6.5人から9.3人へと43%も上昇した(Malko, 2007)。(p176)

・(ウクライナ)大惨事後の22年間に放射能汚染地域(12州74地区)の人口は16.1%(74万1,900人)減少したが、これは国全体の減少率(9%)よりもかなり高い(Dubovaya, 2010)。(p176)

・(ロシア)リペツク市はセシウム137による地表汚染が5 Ci/km²[=18万5,000Bq/m²]未満だったが、総死亡率は1986年から1995年にかけて67%増加し、1,000人あたり7.5人から12.6人になった(Krapyvin, 1997)。(p177)

・1986年4月から2004年末までの期間における、チェルノブイリ大惨事に由来する死亡総数は、過剰死亡数105万1,500人と推計される(Yablokov)。(p180)

・がんによる死亡率の有意な上昇がすべての被曝群で観察された
詳細な調査研究によって、ウクライナとロシアの汚染地域における1990年から2004年までの全死亡数の4%前後が、チェルノブイリ大惨事を原因とすることが明らかになっている。・・・
本章の算定は、不運にもチェルノブイリに由来する放射性降下物の被害を被った地域で暮らしていた数億人のうち、数十万人がチェルノブイリ大惨事によってすでに亡くなっていることを示唆する。チェルノブイリの犠牲者は、今後数世代にわたって増え続けるだろう。(p181)


●以下の引用記事は、ウクライナのルギヌィという小さな地区に住む人びとの、大惨事の10年後における健康状態に関する記録である。ジトーミル州ルギヌィ地区はチェルノブイリ原発から南西約110kmに位置し、5Ci/km²[=18万5,000Bq/m²]を超える放射能汚染がある。・・・大惨事の前後に同じ医療従事者が同じ医療機器を使用し、同じ手順に従ってデータを収集したばかりか、収集したデータを医師らが発表したという点でも他に類を見ない(Godlevsky and Nasvit, 1998)。(p182)

 大惨事10年後のウクライナのある地区における住民の健康状態の悪化
ルギヌィ地区(ウクライナ)。1986年の人口:2万2,552人(子ども4,227人を含む)。1986年、50村のうち22村が1~5Ci/km²[=3万7,000~18万5,000Bq/m²]に、26村が1Ci/km²[=3万7,000Bq/m²]未満レベルに放射能汚染された。

 肺がんもしくは胃がん診断時からの生存期間:
1984年~1985年: 38~62ヵ月。
1995年~1996年: 2~7.2ヵ月。

 新規結核患者(初めて結核と診断された患者)のうち活動性結核の割合:
1985~1986年: 新規結核患者(10万人あたり75.8~84.5例)のうち17.2~28.7%
1995~2006年: 新規結核患者(10万人あたり73.3~84.0例)のうち41.7~50.0%

 子どもの内分泌系疾患:
1985~1990年: 1,000人あたり10例
1994~1995年: 1,000人あたり90~97例

 子どもの甲状腺腫症例:
1988年まで: 症例なし。
1994~1995年: 1,000人あたり12~13例。

 生後7日までの新生児罹病率:
1984~1987年: 生産時1,000人あたり25~75例。
1995~1996年: 生産時1,000人あたり330~340例。

 総死亡率:
1985年: 1,000人あたり10.9例。
1991年: 1,000人あたり15.5例。

 平均余命:
1984~1985年: 75歳。
1990~1996年: 65歳。


・1986年から1996年にかけてルギヌィ地区の総人口が25%減少したにもかかわらず、先天性奇形の症例は増加した。
放射能汚染地域で多くの疾患の発生率が目に見えて上昇し、また公の医療統計には表れない徴候や症状にも同様の増加が認められる。後者には、子どもの体重増加が異常に遅いことや、疾病からの回復の遅れ、頻繁な発熱などがある。(p182)

・チェルノブイリ事故による1Ci/km²[=3万7000Bq/m²を超える放射能汚染(1986~1987年の時点で)は、ロシア、ウクライナおよびベラルーシにおける総死亡率の3.75%から4.2%を占めるばかりでなく、このレベルの汚染に曝された地域のほぼ全域で総罹病率を押し上げる決定的な要因となっている。(p183)

・ベラルーシ、ウクライナおよびロシアのチェルノブイリ事故の降下物に汚染された地域で活動する住民医療関係者に、以下の兆候についての注意を喚起する。
 ・現在の平均年間被曝線量と、1986年から1987年にかけての被曝線量とのあいだには相関が認められないこと。
 ・低レベル汚染地域に住む人びとの集団被曝線量が目に見えて増え続けており、注視すべきであること。
 ・汚染に曝された地域に住む多くの人びとの個人被曝量が(論理的には低下すると考えられるにもかかわらず)上昇していること。
 ・がん(皮膚がん、乳がん、肺がん等)の進行には20年の潜伏期間を要するという予断を捨てる必要があること。種々に異なる発がん物質への被曝により、それぞれのがんで潜伏期間が異なるからだ。子どもの被害者がその明らかな例である。
 免疫系が長期間にわたって抑制された結果、多くの疾患が増加するだろう。また、中枢神経全般、特に側頭葉‐辺縁系が被曝によって損傷されたために、ますます多くの人びとの知的発達に問題が生じ、国民全体の知的水準を低下させる可能性がある。放射能に誘発された染色体突然変異の結果、さまざまな様相、形の先天性疾患が、汚染地域だけでなく、人びとの移住に伴って多くの地域に、また何世代にもわたって広がるだろう(Yablokov)。(p184)



■第3部 チェルノブイリ大惨事が環境に及ぼした影響

・セシウム137[Cs-137]が生態系の食物連鎖から除去されるには、大惨事直後に予想されたより100倍も時間がかかる(Smith et al., 2000; 他)。(p186)


●第8章 チェルノブイリ事故後の大気、水、土壌の汚染

・氾濫原、低地湿原、泥炭湿原などにおいて、各種放射性各種の垂直[下方向への]移動速度は念におよそ2 cmから4 cmである。土壌中の放射性各種が垂直下方向に移動すると、根の深い植物が放射性核種を吸い上げ、地中深くにある各種を再び地表へ戻すことになる。・・・これが汚染地域の住民の内部被曝線量増加につながる。(p187)

・(ベラルーシ、ウクライナ、ロシア)植物、無脊椎動物、魚類における放射性核種の量は、生物濃縮が起こるため水に含まれる量の数千倍から数万倍に達しうる。(p192)


●第9章 チェルノブイリ由来の放射能による植物相への悪影響

●第10章 チェルノブイリ由来の放射能による動物相への悪影響

・セシウム137が魚類からは速やかに(7、8年で)除去されるとの当初の予測は正しくなかったようだ。3年から4年は急速に減少したが、その後の汚染値の低下は驚くほどゆるやかになった。(p223)

・重度に汚染されたウクライナのジトーミル州コロステニ地区およびナロジチ地区(セシウム137が5~15 Ci/km²[=18万5,000~55万5,000 Bq/m²])では、ポレーシエ種[地元品種]のウシの妊娠成果や子ウシの健康状態が、相対的に汚染の少ないバラノフカ地区(0.1Ci/km²[=3,700 Bq/m²]未満)で飼育された同種と有意に異なっていた。重度汚染地区では体重に異常のある子ウシが相対的に多く、罹病率および死亡率が高かった(Karpuk, 2001)。(p224)

・チェルノブイリ原発付近の最大限に汚染された場所では、ツバメの生存率はほほゼロである。[また、]汚染がそれほどひどくない地域でも年間生存率は25%に満たない。・・・全体として、チェルノブイリの全鳥類個体群で繁殖率の劇的な低下と子の生存率低下が認められる(Moller et al., 2005)。(p226)


●第11章 チェルノブイリ由来の放射能による微生物相への悪影響

・結核菌、肝炎ウイルス、ヘルペスウイルス、タバコモザイクウイルス、サイトメガロウイルス、および土壌細菌が、さまざまな場面で活発になった。

・ヒトの腸や肺、血液や諸器官、諸細胞内に生息する無数のウイルス、細菌、原生生物、菌類において必然的に生じる放射線被曝による遺伝的変化の影響に関し、今日のわれわれの知識はあまりにも乏しく、その主要な帰結すら理解できない。(p239)

・慢性的な低線量被曝は、ゲノムの不安定性を世代をまたいで蓄積させる結果を招き、その影響は細胞性および全身性の異常として表れている。事故当初の数世代のあいだに被曝した動物のゲノムに比べ、遠い将来の世代のゲノムはごく微量の放射線にも感受性が高まっていくので、このような世代を超えた長期的影響は有害だ(Goncharova, 2000; Pelevyna et al., 2006)。(p240)

・チェルノブイリ事故による汚染条件下で飼育された実験用ラットの70%以上が2、3年のうちにがんを発症し、さらに複数の疾病と免疫障害を患った。チェルノブイリ周辺で事故後5年から7年のあいだに生じたこれらすべての経過は、その後、被曝した人間集団に起きたことの明らかな前兆だった。(p241)



■第4部 チェルノブイリ大惨事後の放射線防護

・大惨事のあと、ベラルーシ、ウクライナ、およびロシアでは、数十万人の移住を放射能汚染による被曝の軽減に向けて多大な努力が払われた。・・・食物の摂取制限や調理法の変更のほか、適格な科学者の指導による農林漁業の方法の転換などがある(Bar’yakhtar, 1995; Aleksakhin et al., 2006)。(p245)


●第12章 チェルノブイリ原発事故による食物と人体の放射能汚染

・2000年にも、ウクライナのロヴノ州およびジトーミル州では、野生のベリー類とキノコ類の最大90%がセシウム137の許容値を超えていた。・・・子どもの放射線被曝は、同じ食事を摂った成人の3倍から5倍にもなる。1995年以降2007年までに、ベラルーシの重度汚染地域に暮らす子どもの最大90%に、体重1 kgあたり15~20 Bqを超えるセシウム137の蓄積があり、なかでもゴメリ州ナロヴリャ市では最高7,300 Bq/kgに達する最大値を示した。ベラルーシ、ウクライナ、およびヨーロッパ側ロシアの重度汚染地域において、体内に取り込まれたセシウム137とストロンチウム90の平均値は、1991年以降2005年までに減少するどころか、むしろ増加した。現存する放射性降下物の90%以上がセシウム137であり、その半減期が約30年であるところから、これらの汚染地域は今後およそ3世代にわたって放射能の危険に曝され続けることがわかる。(p245)

・★表12.1 1992年にセシウム137による汚染が公式の許容値を超えた食材の割合(BELRAD database[ベルラド研究所データベース])。(p246)

・(ベラルーシ)子どもの体内のセシウム137蓄積量が過去10年間、目立って減少したおもな理由として、学校での汚染されていない無料の食事の提供と、子どもを対象に毎年実施される保養施設滞在(ベラルーシ国内と国外)が挙げられる。(p255)

・(ベラルーシ)子どもの体内におけるセシウム137蓄積量を左右するおもな食材は林産物(野生動物の肉[狩猟鳥獣肉]、ベリー類、キノコ類)と、これより例は少ないが牛乳が挙げられる。(p256)

・(ベラルーシ)ベルラド研究所が1995年から2010年にかけて実施した40万人の子どもの検査結果から、相対的に汚染度の高い州に住む子どもの70%から90%で、体内に取り込まれたセシウム137蓄積量が15~20 Bq/kg(年間外部被曝線量0.1 mSvに相当)を超えていることが明らかになった。多くの集落で子どものセシウム蓄積量は200~400 Bq/kgに達しており、ゴメリ州、ブレスト州には2,000 Bq/kgを超える蓄積量の子どももいた。(p256)

・(ベラルーシ)1995年以降2007年までにベルラド研究所が検査を実施したベラルーシの重度汚染地域に住む子ども約30万人のうち、およそ70%から90%が15 Bq/kgから20 Bq/kg(内部被曝線量年間0.1 mSvに該当)以上のセシウム蓄積量を示した。(p258)

・(ウクライナ)ジトーミル州の高汚染地域に住み続けていた5歳から16歳の1万4,500人におけるチェルノブイリ大惨事の10年後から14年後のセシウム137による内部被曝量は、検査対象の69.8~72.0%が50 Bq/kg未満で、30.2~28.0%が50 Bq/kg以上だった(高い数値を示したのは村に住む子ども)(Sorokman, 1999)。(p259)

・大惨事から25年を経たいまなお、多くの人びとが持続する低線量放射線の影響に苦しめられているが、その主因は放射能に汚染された食物の摂取である。(p261)


●第13章 チェルノブイリ事故に由来する放射性核種の対外排出

・ベルラド研究所の長年にわたる経験により、子どもを放射能から効果的に守るには、子どもの介入基準値を公式の危険限界(すなわち体重1 kgあたり15~20Bq)の30%に設定しなければならないことが明らかになった。・・・実践的な観点からいうと、リンゴペクチン食品添加物(粉末リンゴペクチン含有食品)を治療的に用いることで、とりわけセシウム137の効果的な排泄に役立つ可能性がある。・・・放射能に汚染された食物の摂取が避けられない状況において、人びとを被曝から守るもっとも効果的な方法の1つはリンゴ、カラント(スグリ)、ブドウ、海草などを用いてペクチン(食品添加物)をベースにしたさまざまな食品や飲み物を製造し、それを服用して放射性物質を排泄することである。(p263)

・放射性核種の94%は食物、5%は水、1%は呼吸を介して体内に入る(p263)

・第1に、摂取する食物に含まれる放射性核種の量を減らすこと。第2に、放射性核種の対外への排出を促進すること。第3に、身体に備わる免疫系その他の防御系を刺激することだ。(p263)

・子どもの体内に蓄積されるセシウム137が50 Bq/kgに達すると、生命維持に必須の諸器官(循環器系、神経系、内分泌系、免疫系)、ならびに腎臓、肝臓、眼、その他の臓器に病理的変化が表れることが明らかになっている(Bandazhevskaya et al., 2004)。成人の慢性心不全は、心筋のセシウム137蓄積量が平均136±33 Bq/kgの場合に観察された。・・・
農村に暮らす子どもが受ける集積線量は、都市部の同年齢の子どもより5倍から6倍も多い。(p264)

ペクチンを用いた場合の実効半減期の短縮率は約2.5倍だった・・・汚染されていない食物とともにペクチン含有のビタペクトを服用すると、汚染されていない食物のみを摂った場合に比べ、セシウム137の蓄積量を低減させる効果が50%高くなる(p266)

・ビタペクトを服用した子どもの放射能汚染は1年あたり3分の1から5分の1に減少することが明らかになった。(p266)

・栄養補助食品、すなわち各種ビタミンと微量元素を含むペクチン製剤を摂取すると、蓄積した放射性核種の排泄にきわめて有効なことが明らかになった。(p270)


●第14章 チェルノブイリ放射能汚染地域で生きるための放射線防護策

・大惨事後20年の時点では、ベラルーシの民間農場が生産する牛乳の約10%から15%で許容値を超えるセシウム137が検出されていた(BELRAD database [ベルラド研究所データベース])。(p273)

・林産物のなかでもっとも汚染されているのはキノコ類、ベリー類、ヘーゼルナッツである。すべてのキノコ類やベリー類の50%近くがセシウム137の許容値(370 Bq/kg)以上に汚染されていた。ベラルーシでは、1人あたりの年間内部被曝線量の最大40%がこうした林産物の消費による。(p274)

・食事によって放射能汚染から身を守るには、放射性核種のすばやい排泄を促すために、ペクチンと繊維質を豊富に含み、放射能汚染のない果物や野菜を取り入れるべきである。(p276)

1986年に緊急防護策が何もとられなかったブルガリアにおける「平均的」個人の実効線量は0.7 mSvから0.8 mSvで、「平均的」ノルウェー人の約3倍だった。・・・ブルガリアのほうがノルウェーより汚染の程度は相当低かったにもかかわらず、個人の被曝線量においてこのような不均衡が生じたのである(Energy, 2008)。(p277)

・自然の放射性崩壊で放射能は減っていくにもかかわらず、放射線被曝のもっとも危険な形である放射性核種の体内吸収のため、1994年以来、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの汚染地域に暮らす人びとの放射線被曝量は増加し続けている。(p277)

・被曝の影響に苦しむ人びとの生きづらさを軽減するためには、体内に取り込まれた放射性核種のモニタリング[監視]と全食材(例外なくすべて)のモニタリング、客観的手法による1人ひとりの蓄積量の特定、医療相談や遺伝相談(特に子どもについて)の提供に向けて、大がかりな啓発活動と組織的取り組みを進めなければならない。(p278)


●第15章 チェルノブイリ大惨事の25年後における住民の健康と環境への影響

・現在、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの汚染地域に暮らす人びとにとって、被曝線量の90%は汚染された地元産食品の摂取によるものである。そのため、体内に取り込んだ放射性核種を排出する対策を取れるよう手立てが提供されなければならない。(p285)

・1963年7月、ジョン・F・ケネディ米国大統領は大気圏内核実験廃止の必要性を説く演説でこう述べた。
「・・・・・・骨ががんに侵され、血液が白血病を病み、肺に毒物を取り込むことになる子どもたちや孫たちの数は、普通の健康被害に比べて少ないように思う人もいるでしょう。しかしこれは普通の健康被害でも、統計上の問題でもないのです。失われるのがたった1人の命であっても、私たちが死んだずっと後に生まれてくるかもしれないのが、たった1人の奇形をもった赤ん坊であっても、それは私たち全員にとって懸念すべきことです。私たちの子どもたちや孫たちは、単なる統計上の数字などではありませんから、無関心でいるわけにはいかないのです」。
 原子力産業界は、原子力発電所によって人類の健康と地球環境を平気で危険に曝す。チェルノブイリ大惨事は、そうした姿勢が、理論上だけでなく実際上も、核兵器に匹敵する被害をもたらすことを実証している。(p287)



■日本語版あとがき チェルノブイリからフクシマへ

・チェルノブイリの経験は、高濃度の放射能に汚染された地域で、近い将来に元の暮らしに戻ることは不可能だと教えている。(p289)

・チェルノブイリのもう1つの教訓は、日本のような発展した大国でさえ国際的な支援が不可欠であることだ。チェルノブイリで実施された被災者支援のための(国の役割を補完する)大規模な人道的協力の経験や、放射能モニタリング[監視]と放射線防護を行う非政府の民間組織(NGO)による経験が生かされるだろう。(p289)

・日本国民が、危険きわまりない原子力エネルギーの使用をやめ、自然がみなさまのすばらしい国に与えた枯渇することのない地熱や海洋のエネルギーを発電のために利用することを願っている。(p290)


・IAEAとWHOのあいだに、1959年5月28日に締結された「WHA12-40」と呼ばれる協定。第1条第3項に「一方の機関が、もう一方の機関が関心を有しているか、有している可能性のある分野で(調査・報告等の)プログラムに着手する場合は、相互合意にもとづき調整を図るために、常に前者は後者の意見を求めるものとする」とある。
 そのためWHOはIAEAの許可なしには調査結果を公表できず、これが、放射能が人間の健康に及ぼす危険性についての調査や警告というWHOの本来の役割を阻み、WHOは事実上原子力分野での独立性を失う結果となった。(p294)

・本書も参考に、東電福島第1原発事故由来の放射能被害、とりわけ長期にわたる低線量被曝にどう対処していくか、私たち日本人の真価が問われる重い課題です(星川淳)。
『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』
(アレクセイ・V・ヤブロコフ, ヴァシリー・V・ネステレンコ, アレクセイ・V・ネステレンコ, ナタリア・E・プレオプランジェスカヤ, 2013, 岩波書店)





・「汚染地に住む子どものうち健康な子どもは20%以下である」という報告(pv)


■まえがき

・ウクライナのキエフでは、メルトダウン前は90%の子どもが健康とみなされていたが、現在その数字は20%である。ウクライナ領内にあるポレーシエのいくつかの地域には、もはや健康な子どもは存在せず、事実上すべての年齢層で罹病率が上がっている。(pviii)


■はじめに
■序論 チェルノブイリについての厄介な真実


・ベラルーシ、ウクライナ、ヨーロッパ側ロシアの、チェルノブイリ事故によって汚染された地域では、1985年以前は80%の子どもが健康だった。しかし、今日では健康な子どもは20%に満たない。重度汚染地域では、健康な子どもを1人でも見つけることは難しい。(pxv)

・民族的・社会的・経済的には同一の特質をもちながら、放射線被曝の強度だけが異なるさまざまな地域について独立した調査を行い、人びとの健康状態を比較している科学者たちがいる。時間軸に沿った集団間の比較(縦断研究[長期的調査])は科学的に有効であり、こうした比較によれば、健康状態の差はまぎれもなくチェルノブイリの放射性降下物に帰される。(pxvi)



■第1部 チェルノブイリの汚染―概観
●第1章 時間軸と空間軸を通して見たチェルノブイリの汚染

・大惨事の20年後の時点では、セシウム137が人の総被曝線量の平均95%を占めていた。ストロンチウム90、プルトニウム、アメリシウムの同位元素の線量は全体の約5%である。(p21)



■第2部 チェルノブイリ大惨事による人びとの健康への影響
●第2章 チェルノブイリ大惨事による住民の健康への影響―方法上の問題点

●第3章 チェルノブイリ大惨事後の総罹病率と認定障害

ベラルーシ保健省のデータによれば、大惨事直前(1985年)には90%の子どもが「健康といえる状態」にあった。ところが2000年には、そのようにみなせる子どもは20%以下となり、もっとも汚染のひどいゴメリ州では、健康な子どもは10%以下になっていた(Nesterenko et al., 2004)(p35)

(ウクライナ)放射能汚染された地域に住む「健康といえる」子どもの数(割合)は3.7分の1に減少した(27.5%から7.2%へ)。また、「慢性的な病気を抱える」子どもの割合は、1986年から1987年にかけての8.4%から2003年の77.8%に上昇した。(Stepanova, 2006a; ★図3.2)。(p39)

・ウクライナでは大惨事後15年目以降18年目までに、認定障害をもつ子どもの数がしだいに増加し、1987年の1,000人あたり2.8人から2004年には4.57人になった(Stepanova, 2006a) (p39)

・(ウクライナ)1988年から2002年にかけて、成人の避難者のうちの「健康」な人の割合が68%から22%に下降し、「慢性的に病気」の人の割合は32%から77%に上昇した(National Ukrainian Report[ウクライナ公式報告書], 2006)。(p40)

・(ウクライナ)1988年から1997年にかけて、放射能濃度に関連する罹病率の増加が、重度汚染地域でいっそう顕著になった。15Ci/km²[=55万5,000Bq/m²]超の地域では最大4.2倍に、5~15Ci/km²[=18万5,000~55万5,000Bq/m²]の地域では最大4.2倍に、1~5Ci/km²[=3万7,000~18万5,000Bq/m²]の地域では1.4倍に増えた(Prysyazhnyuk et al., 2002a)。(p41)

・★表3.7 ウクライナ国内においてチェルノブイリ事故の被害者を3郡に分類した場合の「健康といえる」人の割合(%)、1987~1994年(Grodzinsky, 1998)。(p41)

・★表3.8 ウクライナの放射能汚染地域における罹病率(1,000人あたり)(Grodzinsky, 1998; Law of Ukraine, 2006)。(p41)

(ウクライナ)大惨事後の18年間に「病気」のリクビダートルの割合が94%を超えた。2003年にはキエフ市のリクビダートルのほぼ99.9%が、スームィ州では96.5%が、ドネツク州では96%が公式に「病気」と認定された(Pedchenko, 2004; Lubensky, 2004)。(p42)

・(ウクライナ)公式データによると、大惨事が原因と認定されたウクライナの疾病障害者数は1991年には200人、1997年には6万4,500人、2009年には11万827人となっている。(Ukrainian Ministry of Public Health, 2011)。(p42)

・(ロシア)放射能汚染地域では新生児の43%以上が低体重だった。そのため、同地域において病気の子どもが生まれるリスクは対照群[対照地域]の2倍になり、汚染地域が66.4%±4.3%であるのに対し対照群は31.8±2.8%だった。(Lyaginskaya et al., 2002)。(p43)

・ロシアのリクビダートルのほとんどは若い男性で、もとはみな健康だった。しかし、大惨事後5年以内に30%が公式に「病気」と認定された。さらに、10年後には「健康」とみなせる人は9%以下になり、16年後に「健康」だったのはわずか2%だった(★表3.11)。(p44)

・比較した集団が社会的・経済的状況、自然環境、年齢構成その他において等しく、違うのはチェルノブイリの放射能汚染に曝されたかどうかだけである以上、社会経済的要素はその理由にはなりえない。オッカムの剃刀、ミルの規範、ブラッドフォード・ヒルの基準といった科学的規範[いずれも因果関係解明のための指針や基準]に照らせば、われわれはチェルノブイリ大惨事による放射能汚染以外にこれほどの規模の病気の発生を説明する、いかなる理由も見出すことはできない。(p46)


●第4章 チェルノブイリ大惨事の影響で加速する老化

●第5章 チェルノブイリ大惨事後に見られたがん以外の各種疾患

・チェルノブイリ事故による被曝の結果引き起こされた悪影響が、調査対象としている全集団に認められた。(p49)

・甲状腺がんが1例あれば甲状腺の機能障害は約1,000例あるというほど、大惨事後に著しく増加している。(p49)

〔5.1.1. 血液・リンパ系の疾患〕

・(ベラルーシ)1Ci/km²[=3万7,000Bq/m²]以上のセシウム137[Cs-137]汚染地域に住む122万424例の新生児において、血液学的な以上の発生率が有意に高かった(Busuet et al., 2002)。(p49)

・(ウクライナ)リクビダートルの子どもと放射能汚染地域に住む子どもたちは、非汚染地域の子どもと比べ、血液と造血器疾患の罹病率が2倍から3倍高かった(Horishna, 2005)。(p51)

・(ウクライナ)汚染地域に住む人びとの血液および循環器系の疾患は、大惨事に続く12年間(1988~1999年)に11倍ないし15倍に増加した(Prysyazhnyuk et al., 2002a)。(p51)

・(ウクライナ)1996年の汚染地域における造血器疾患の罹病率は、ウクライナの全国平均に比べて2.4倍高かった(全国平均が1万人あたり12.6例に対し汚染地域は30.2例)(Grodzinsky,1998)。(p51)

(ウクライナ)大惨事に続く10年間に、ジトーミル州の汚染地域に住む成人における血液および造血器疾患の症例数が50倍以上に増加し、0.2%から11.5%になった(Nagornaya, 1995)。(p51)

・(ウクライナ)大惨事後の10年間に、汚染地域に住む成人と十代の少年少女における血液および造血器の罹病率が2.4倍に増加(Grodzinsky, 1998)。(p51)

・(ウクライナ)集中的なヨウ素汚染期(大惨事直後の数ヵ月間)には、汚染地域に住む調査対象として子ども7,200人の92%以上に血液細胞の形態異常が認められ、32%には血球数の異常も見られた(Stepanova et al., 2006a, 2006b)。(p52)

・(ウクライナ)放射能汚染地域で1986年以降1998年までに検査した1,926人の子どもにおいて、11.5%に貧血症が見られた(Bebeshko et al., 2000)。(p52)

・日本の若年原爆被ばく者は、2世、3世になっても対照群の10倍も造血器の疾患にかかりやすいことが知られている(Furitsu et al., 1992)。このことから、チェルノブイリ大惨事の場合も放射線被曝の結果として、数世代にわたり造血器の疾患を発症することが予測される。(p54)


〔5.1.2. 心血管系の疾患〕

・(ベラルーシ)心血管系の疾患がチェルノブイリ事故前に比べて事故後の10年間に全国で3、4倍に増加し、汚染度の高い地域ほど増加幅が大きかった(Manak et al., 1996)。(p54)

・(ベラルーシ)1994年から2004年にかけて、ベラルーシの子どもにおける循環器系疾患の発生率が2倍以上に上昇し、高血圧症も6倍に増加した(Belookaya and Chernenok, 2010)。(p55)

・(ウクライナ)子宮内で被曝した子どもにおいて、心血管系疾患の発生率が有意に高かった(子宮内被曝した子どもが57.8%に対し対照群は31.8%、p≺0.05)(Prysyazhnyk et al., 2002a)。(p55)

(ウクライナ)大惨事の4年後から5年後にかけての検診と8年後から11年後にかけての検診で、ジトーミル州から避難した、十代の少年少女を含む子どもの50%以上に、心筋と脳血管における機能障害(心筋血流の減少、心機能障害による脳の血液循環異常)の進行が観察された(Kostenko, 2005)。(p56)

・(ロシア)検査したリクビダートル前任に眼の血液循環の異常が認められた(Rud’ et al., 2001; Petrova, 2003)。またリクビダートルは血管壁の耐菌性が弱まっていた(Tlepshukov et al., 1998)。(p57)


〔5.2. 遺伝的変化〕

・(ベラルーシ)大惨事後もベラルーシの汚染地域に住み続けていた親のもとに、1994年に生まれた79人の子どもにおけるDNA突然変異の平均発生率は、105人の対照群(英国の家庭に生まれた子ども)の2倍以上だった。(Dubrova et al., 1996, 1997, 2002)。(p59)

・★図5.4 (1986年と1987年に作業に従事した)リクビダートルのうち、1988年から1994年までの期間にロシアの原子力[核]産業にきんむした男性の家庭に生まれた乳児における先天性発生異常の発生率(1,000人あたり)(Lyaginskaya et al., 2007)。(p67)

・被曝した男性のもとに生まれたウクライナの子どもの年間総罹病率が、全国平均より高かった(ウクライナの全国平均1万人あたり960人~1200人に対し1,135~1,367人)。これらの子どものうち「健康といえる状態」とみなせるのはわずか2.6%から9.2%である一方、対照群は18.6%から24.6%だった(National Ukrainian Report[ウクライナ公式報告書], 2006)。(p67)

・1945年に2発の原爆で被爆した日本人の2世代目、3世代目の子どもたちは、循環器系疾患と肝機能不全は対照群の10倍、呼吸器系疾病は3.3倍も多く罹患した(Furitsu et al., 1992)。チェルノブイリ事故で被曝した人びとの子どもたちが経験している数々の健康問題も、後々の世代にまで尾を引くだろう。(p69)

・チェルノブイリに起因する遺伝的変化の圧倒的大多数は、何世代も先まで表出しないだろう。(p70)

・チェルノブイリ大惨事の遺伝的影響は何億人にも及ぶだろう。そうした影響を受けるのは―(a)1986年の爆発当初に放出され、世界中にまき散らされた半減期の短い放射性核種に曝された人びと、(b)ストロンチウム90[Sr-90]やセシウム137は放射線量が環境放射線の値にまで下がるのに少なくとも300年を要するところ、それらに汚染された地域に現在住み、これからも住み続ける人びと、(c)プルトニウムやアメリシウム[Am]は、そのきわめて危険な放射能が完全に減衰するのに1,000年単位の時間を要するところ、それらに汚染された地域に今後住むであろう人びと、(d)被曝した親から子へと7世代にもまたがる人びと(たとえチェルノブイリ由来の放射性降下物のない地域に住んだとしても)、などである。(p71)


〔5.3 内分泌系の疾患〕

・甲状腺は、成人では体内に入った放射性ヨウ素全量の最大40%を、子どもでは最大70%を集積する(Il’in et al., 1989; Dedov et al., 1993)。・・・
身体および知能の正常な発達には、甲状腺が適切かつ適時に働く必要がある。胎児や新生児が甲状腺に損傷を負うと、知的能力が抑えられたまま一生を送ることになるかもしれない。(p71)

・放射能汚染地域の胎児は通常の胎児に比べて交感神経の活性度が50%低く、副腎皮質の活性度は36%低い。汚染地域で検査した新生児の28%は、生後第1週目の終わりから第2週目の初めにかけて下垂体‐甲状腺系の障害が甲状腺の機能障害として表れ、最終的には甲状腺機能低下症により知能と生理機能の双方に異常を伴うにいたった(Kulakov et al., 1997)。(p72)

・(ベラルーシ)大惨事の数年後に、ベラルーシの全汚染地域で内分泌疾患の急増が認められた(Lomat’ et al., 1996; Leonova and Astakhova, 1998; 他多数)。公式登録簿によると1994年の内分泌系罹病率は10万人あたり4,851例に達した(Antypova et al., 1995)。(p72)

・(ウクライナ)1988年から1999年にかけて、汚染地域における内分泌疾患の罹病率が最大8倍にまで上昇した(Prysyazhnyuk et al., 2002a)。(p73)

・(ウクライナ)内分泌疾患は、放射能汚染地域に住む子どもにおける健康障害の主因だった(Romanenko et al., 2001)。子宮内被曝した女子の約32%が、内分泌系に受けた損傷により不妊になった(対照群は10.5%。p≺0.05)(Prysyazhnyuk et al., 2002a)。(p73)

・(ウクライナ)放射能汚染地域に住む50歳以上の女性のうち、30%程度が潜在性甲状腺機能低下症である(Panenko et al., 2003)。(p74)

・(ベラルーシ)ベラルーシでもっとも汚染度の高い地域の子どもたちの保養施設での調査。・・1986年以降1990年までに生まれた300人の少女を調査対象に選んだ。1年半の調査の結果、医師たちは驚くべき結果を目にした。身長、体重、胸囲、下肢周径を測定した結果、チェルノブイリの汚染地域から来た少女たちは、それらすべての測定値が平均値を下回っていたのだ。しかし、肩幅は平均値を上回り、前腕、肩、脚は非常に毛深かった。
 次の調査で、医師たちはさらに深刻な病理学的変化に直面した。少女はふつう12歳から13歳で初潮を迎える。しかし、調査対象とした300人の少女のうち誰ひとり初潮を迎えた者はいなかった。超音波検査は、この少女たちの至急と卵巣の発育が不十分であることを示していた。・・・この300人の少女のなかに内性器がまったくない子が1人いました。・・・同様の発生異常が1万人の少女のうち少なくとも3人に見つかったら、生理学上の凄まじい大惨事が起きていると言えるでしょう。・・・ヴヴェンスキー博士のグループは、この異変はホルモンバランスの乱れに起因するという結論に達している。放射線に曝されると、女性の体内に大量のテストステロンが分泌される。テストステロンは男性ホルモンであり、通常であれば女性の体内には非常に少量しか存在しない。しかし、テストステロンが多すぎると、その女性は女性的な特徴を失ってしまうことがある(Ulevich, 2000)。(p77)

・すべての放射能汚染地域で、非悪性の甲状腺疾患が顕著に増加している(Gofman, 1994a; Dedov and Dedov, 1996)。この疾患群に伴う症状としては、創傷や潰瘍が治りにくい、毛髪の伸びが遅い、皮膚の乾燥、虚弱、脱毛、呼吸器感染症にかかりやすい、夜盲症、頻繁な目まい、耳鳴り、頭痛、疲労および無気力、食欲不振(拒食症)、子どもの成長が遅い、男性のインポテンツ、出血の増加(月経過多症を含む)、胃酸の欠乏(塩酸欠乏症)、軽度の貧血などが挙げられる。
 甲状腺機能低下症のなかに、必ずしも疾患としては記録されないが汚染地域で頻繁に見られる以下のような症状がある。顔面浮腫および眼瞼浮腫、寒がり、発汗減少、嗜眠、舌の腫れ、のろのろとした話し方、声が荒れたりしわがれたりする、筋肉痛や筋力の低下および筋肉協調障害、関節のこわばり、皮膚の荒れや乾燥、皮膚蒼白、記憶力が低下し思考力が鈍る、呼吸がしづらい(呼吸困難)、難聴などである(Gofman, 1990; 他多数)。
 甲状腺の異変は副甲状腺と密接に関連している。甲状腺の外科手術を受けた人の16%は副甲状腺の機能も損なわれていた(Demedchik et al., 1996)。・・・症状としては、男性および女性の性機能低下症、身体的および性的に正常な発達の障害、下垂体腫瘍、骨粗しょう症、脊椎圧迫骨折、胃潰瘍および十二指腸潰瘍、尿路結石、カルシウム胆のう炎などが挙げられる(Dedov and Dedov, 1996; Ushakov et al., 1997)。(p77)


〔5.3.2. 甲状腺の機能障害〕

・(ベラルーシ)2000年までに数十万人が甲状腺の病変(結節性甲状腺腫、甲状腺がん、甲状腺炎)により正式に記録された。年間約3,000人が甲状腺の外科手術を必要としている(Borysevich and Poplyko, 2002)。(p77)

・(ベラルーシ)もっとも汚染の激しかった地域の1つであるゴメリ州では、1993年に検診を受けた子どもの40%以上に甲状腺肥大が認められた。この地域では地方性甲状腺腫が1985年から1993年にかけて7倍に増加し、自己免疫性甲状腺炎は1988年以降1993年までに600倍以上に増加した(Astakhova et al., 1995; Byryukova and Tulupova, 1994)。(p78)

・(ベラルーシ)セシウム137による汚染が1~15Ci/km²[=3万7,000~55万5,000Bq/m²]の地域では、在胎4,5ヵ月の胎児の43%に甲状腺の病変があることが検査によって明らかになった(Kapytonova et al., 1996)。

・ベラルーシの公式統計データによると、1992年から2003年にかけて、十代の少年少女を含む子どもと青年の甲状腺異常が、ゴメリ州だけでなく他の州でも認められた。(p78)

・笹川プロジェクトの一環として診察を受けた大惨事当時10歳未満だったウクライナ、ベラルーシ、ロシアの子ども11万9,178人に甲状腺がん62例およびその他の甲状腺疾患4万5,873例が認められた(Yamashita and Shibata, 1997)。(p78)

・Ⅱ度の甲状腺肥大のある子どもは、アレルギー、血管の疾患、免疫障害、腸の疾患、う歯[虫歯]、高血圧の発生率が2倍から3倍も高い。(p79)

・ジトーミル州の放射能汚染地域に居住する学齢期[日本の小中高にあたる]の子ども(検査対象は約1万4,500人)において、64.2%から75.2%にⅠ度~Ⅲ度[甲状腺腫の大きさを表す]の甲状腺肥大、2.4%から2.5%に自己免疫性甲状腺炎、0.5%から1.2%に甲状腺ののう胞性変化や腫瘤、0.01%に甲状腺がんが認められた(Sorokman, 1999)。(p79)

・大惨事当時10歳未満だったウクライナ、ベラルーシ、ロシアの子ども11万9,178任を笹川プロジェクトの枠組みで診察したところ、甲状腺がん1例につき740例の比率で甲状腺の病変が認められた。(Yamashita and Shibata, 1997)。別の調査研究では、診察した5万1,412人の子どもに、甲状腺がん1例につき1,125例の比率で甲状腺の病変が見られた(Foly, 2002)。(p80)

・今日までに得られた重要な知見の1つは、甲状腺がんの症例が1例あれば、他の種類の甲状腺疾患が約1,000例存在することである。これにより、ベラルーシだけでも150万人近い人びとが甲状腺疾患を発症する恐れがあると専門家は見積もっている(Gofman, 1994; Lypyk, 2004)。(p82)


〔5.4. 免疫系の疾患〕

・(ベラルーシ)放射能汚染地域の子どものうち合計40.8±2.4%において、高濃度の免疫グロブリンE(IgE)、リウマチ因子、CIC、サイログロブリン抗体が見られた。(p82)

(ウクライナ)大惨事に続く2年間、子宮内で被曝した小児43.5%に免疫不全が認められた(対照群は28.0%、p≺0.05)(Stepanova, 1999)。(p85)

・大惨事の10年後でも、放射能汚染地域に住む45万人以上の子どもの計45%は、免疫状態が低下したままだった(ITAR-TASS[イタルタス通信], 1998)。(p85)

・トゥーラ州の放射線汚染地区では、2002年までに、子どもの免疫障害および代謝障害の発生頻度がチェルノブイリ以前との比較で5倍に上昇した(Sokolov, 2003)。(p86)

・チェルノブイリ由来の放射性各種で損なわれた免疫機能は、チェルノブイリ事故による追加放射線に曝されたすべての人びとに、例外なく悪影響を与えたと見られる。(p87)


〔5.5. 呼吸器系の疾患〕

・チェルノブイリ由来の放射性降下物に汚染された地域ではどこでも、呼吸器系疾患の罹病率が著しくしく上昇した。(p87)

・(ベラルーシ)チェルノブイリ由来の放射能汚染地域で、事故当時、妊娠中だった女性から生まれた子どもにおける急性呼吸器疾患の発生率は、非汚染地域の子どもの2倍だった(Nesterenko, 1996)。(p88)

・(ベラルーシ)リクビダートルの子どものうち1歳までの子どもでは、滲出性体質のある10%を含む19%に呼吸器疾患が見られた。2歳以上の子どもの60%にも呼吸器疾患があったと記録されている(Synyakova et al., 1997)。(p88)

・(ベラルーシ)気管支喘息で入院した子どもの数は放射能汚染のひどい地域ほど多く、慢性的な咽頭の病気は、汚染が比較的低い地域の2倍も見られた(Sitnykov et al., 1993; Dzykovich et al., 1994; Gudkovsky et al., 1995)。

・(ベラルーシ)大惨事の10年後に検診を受けた十代の避難者2,335人において、呼吸器系の罹病率は全罹病率中3番目に多い病因であり、1,000人あたり286例を数えた(Syvolobova et al., 1997)。(p88)

・(ウクライナ)子宮内で被曝した345人の新生児の半数に、1986年から1987年にかけて仮死が観察された(Zakrevsky et al., 1993)。(p89)

(ウクライナ)放射能汚染地域の子ども、ならびに避難者における1994年の呼吸器系総罹病率が、子どもで61.6%にも及び、成人と十代の少年少女でも35.6%に達した(Grodzinsky, 1998)。(p89)

・ウクライナ保健省によると、放射能汚染地域に住む十代の少年少女、成人、および避難者では、気管支炎と肺気腫が1990年から2004年にかけて1.7倍に増加し(1万人あたり316.4例から528.5例へ)、気管支喘息は2倍以上に増えた(同25.7例から55.4例へ)(National Ukrainian Report[ウクライナ公式報告書], 2006)。(p89)

・(ウクライナ)大惨事の15年後、検査を受けた男性リクビダートル873人の84%に気管支粘膜の萎縮があり、その多くは気管支樹の変形を伴っていた(Shvayko and Sushko, 2001; Tereshchenko et al., 2004)。(p89)

・(ウクライナ)慢性気管支炎と気管支喘息は、リクビダートルの罹病率と障害、および死亡率の二大主要原因である。(Tereshchenko et al., 2003; Sushko and Shvayko, 2003a)。(p90)


〔5.6. 泌尿生殖器系の疾患と生殖障害〕

・(ベラルーシ)汚染地域における一次性不妊症(対比、二次性不妊症)の発生率が、1991年には1986年の5.5倍に増加した。精子異常の6.6倍増、硬化のう胞性卵巣の倍増、内分泌障害の3倍増などが原因であることは疑いない(Shilko et al., 1993)。(p93)

・(ベラルーシ)若い男性(25~30歳)のインポテンツと地域の放射能汚染値には相関が認められた(Shilko et al., 1993)。(p93)

・(ウクライナ)ジトーミル州の汚染度の高い地域では第二次性徴の開始が遅れ、女子における第二次性徴の期間が標準より長くなっている(Sorokman, 1999年)。(p94)

・(ウクライナ)★表5.35 1986年に未成年で被曝し、その後も汚染地域に住む女性の出産データ(Nyagy, 2006)。

・(ウクライナ)1986年に未成年で被曝した女性が産んだ新生児は、被曝しなかった女性が産んだ新生児に比べて身体障害の発生率が2倍に達する(Nyagy, 2006)。(p94)

・(ウクライナ)大惨事の8年間にわたり、汚染地域で1万6,000人の妊婦を対象に行われた調査の結果、次のことが明らかになった。すなわち、腎疾患の罹病率が12%から51%に上昇、羊水過少症が48%、新生児の呼吸器疾患が2.8倍、早産がほぼ2倍に増加。また、妊娠30週から32週という通常より早い時期に胎盤劣化[胎盤の老化現象]が見られた(Dashkevich et al., 1995)。(p94)

・(ウクライナ)汚染地域では月経周期障害と診断される患者が多く(Babich and Lypchanskaya, 1994)、月経障害の症例数は大惨事前の3倍になった。・・・月経過多・・・月経の回数減少・・・月経停止・・・。被曝し検診を受けた1,017人の少女の14%に月経障害が見られた(Luk’yanova, 2003; Dashkevich and Janyuta, 1997)。(p94)

・(ウクライナ)汚染地域に住む妊婦のうち合計54.1%に子癇前症、貧血、胎盤の損傷が見られた(対照群は10.3%)。78.2%は出産時に合併症と過多出血を経験したが、これは対照群の2.2倍だった(Luk’yanova, 2003; Sergienko, 1997)。(p95)

(ロシア)リクビダートルの家庭から登録の届け出があった妊娠のうち、合計18%が流産に終わった(Lyaginskaya et al., 2007)。(p96)

・(ロシア)大惨事の翌年、リクビダートルの生殖力は目に見えて低下し、精液検体の検査で最大42%が量的な基準値を満たさず、最大52.6%が質的な基準値に達しなかった(Mikulinsky et al., 2002; Stepanova and Skvarskaya, 2002)。(p96)


〔5.7. 骨と筋肉の疾病〕

・(ウクライナ)放射能汚染地域では、筋骨格系疾患の罹病率が1988年から1999年にかけて2倍以上に増えた(Prysyazhnyuk et al., 2002a)。(p99)

(ロシア)検診を受けたリクビダートルのうち、30%から88%に骨粗しょう症が見られた(Nykytyna, 2002; Shkrobot et al., 2003; Kirkae, 2002; Druzhynynak, 2004)。(p100)

・骨の気質的な障害(骨減少症、骨粗しょう症、骨折)は、リクビダートルの大多数ばかりか、汚染地域の住民に多く見られる特徴であることはいまや明らかであり、これには子どもたちも含まれる。(p101)


〔5.8. 神経系と感覚器の疾患〕

〔5.8.1. 神経系の疾患〕

・(ベラルーシ)大惨事の10年後、神経系疾患は放射能汚染地域から避難した十代の少年少女がかかる病気のうち2番目に多く、罹病率は検査を受けた2,335人の十代において1,000人あたり331例だった(Syvolobova et al., 1997)。(p102)

(ウクライナ)汚染地域から避難した70人の子どもを検査したところ、その97%の脳波(EEG)が皮質下および皮質の脳組織の構造的・機能的な未成熟を示唆した。つまり、この70人の子どものうち脳波が正常だったのはわずか2人だけだった(Horishna, 2005)。(p103)

・(ウクライナ)放射能汚染地域で、精神疾患を患う子どもが増加し、1987年の発生率が1,000人あたり2.6例だったのに対し、2004年までに5.3例になった(Horishna, 2005)。(p103)

・(ウクライナ)被曝した子どもたちは相対的に知的発達の量的指標(IQ)[知能指数]が低い(Nyagu et al., 2004)。(p103)

・(ウクライナ)放射線汚染地域における神経系および感覚器の罹病率が、1988年以降1999年までに3.8倍から5倍上昇した。(Grodzinsky, 1998)。(p104)

(ウクライナ)リクビダートルの93%から100%が精神神経障害を患っており、その大部分が器質的症状[神経症状]を伴う精神障害(F00~F09)である(Loganovsky, 1999, 2000)。心的外傷後ストレス障害(PTSD)、心身症、器質性障害、異常なスキゾイド・パーソナリティ[統合失調型人格障害]の進行が・・・記録されている(Loganovsky, 2002)。(p104)

・(ロシア)子宮内で被曝した子どもは知的障害を示す指標がもっとも高く、出生前の放射線被曝と関連する境界知能及び精神遅滞を示す傾向が強かった(Ermolyna et al., 2006)。(p106)

・(ロシア)放射能汚染地域に住む16歳から17歳の生徒における短期記憶障害および注意欠陥障害と、地域の汚染度に相関が見られた(Ushakov et al., 1997)。

・(ロシア)「チェルノブイリ認知症」と呼ばれる現象の事例増加が見られた。「チェルノブイリ認知症」は成人の脳細胞が破壊されることによって引き起こされ、記憶や書記行動の障害、けいれん、拍動性の頭痛などの症状がある(Sokolovskaya, 1997)。(p107)

・(ロシア)検査を受けたリクビダートルのうち合計12%が、耐えがたいほど」激しい痛みを症状とする多発性神経障害、および四肢の萎縮を患っていた(Kholodova et al., 1998)。(p108)

(ロシア)34歳から70歳の男性リクビダートル96人における脳波の臨床記録によると、その過半に知的障害(56%)と無気力・抑うつ症(52%)が認められた(Aleksanin, 2007)。(p109)

・ロシア公式登録簿の1986年から1996年にかけての(男性リクビダートル6万8,309人の)データには、2万9,164例の精神障害(ICD-9[疾病および関連保健問題の国際統計分類第9版]のコード290~319)が登録されている。・・・もっとも多いのは、神経症、心因性生理的機能不全、依存症的疾患[主としてアルコール依存症]、非心因性精神障害である。リクビダートルにはロシアの成人平均よりも機能性精神障害[統合失調症や躁うつ病など心因性精神障害]が多く見られる(Sushkebich and Petrov, 2007)。(p110)

・エストニア:チェルノブイリ原発事故以降、エストニアに暮らすリクビダートルにおいて自殺が第1位の死因だった(Rahu et al., 2006)。(p110)

低線量の放射線は植物神経系(自律神経系)に損傷を与える。広島や長崎の核爆撃を経験した女性が産んだ子どもの45%に知能の遅滞が見られた事実は、非常に悩ましい懸念事項である(Bulanova, 1996)。(p111)


〔5.8.2. 感覚器の疾患〕

(ベラルーシ)白内障の初期症状である水晶体混濁が、対照群は2.9%であるのに対し、被曝した子どもでは24.6%に認められた(Avkhacheva et al., 2001)。(p111)

・(ベラルーシ)相対的に放射能汚染度の高い地域ほど水晶体混濁が頻繁に発生しており、体内に取り込んだセシウム137の量と相関が見られる(Arynchin and Ospennikova, 1998)。(p111)

(ウクライナ)汚染地域の住民の54%以上に聴覚障害が認められ、一般集団における割合より目立って高い(Zabolotny et al., 2001)。(p112)

・(ウクライナ)放射能汚染地域の住民やリクビダートルにおいて、・・・退行性白内障は、1993年の1,000人あたり294.3±32.0例から、2004年の同766.7±35.9例に増加した(Fedirko, 2002; Fedirko and Kadoshnykova, 2007)。(p113)

・(ウクライナ)放射能汚染地域における退行性白内障の発生率が1993年から2004年にかけて2.6倍に上昇し、1,000人あたり294.3±32.0例から766.7±35.9例になった(Fedirko, 1999)。(p113)

・(ロシア)検査を受けた500人のリクビダートルの52%異常に網膜血管の異常が認められた(Nykyforov and Eskin, 1998)。(p114)

・(ノルウェー)大惨事の1年後、新生児の先天性白内障が2倍の頻度で発生した(Irgens et al., 1991)。(p114)


〔5.9. 消化器系疾患とその他の内臓疾患〕

・(ベラルーシ)ブレスト州における慢性胃炎の発生率を1991年と1996年で比べると、州全体の平均値は1996年までに倍増し、特に[汚染度の高い]同州ストーリン地区では4倍以上にものぼった(Gordeiko, 1998)。(p115)

・(ベラルーシ)1996年に検診を受けた十代の避難者2,535人では、消化器系の病気が第1位の病因で、罹病率は1,000人あたり556例だった(Syvolobova et al., 1997)。(p115)

・(ウクライナ)子どもにおける消化器系の罹病率は、1988年には1万人あたり4,659例だったが、1999年には同1万122例と2倍以上になった(Korol et al., 1999; Romanenko et al., 2001)。(p116)

・(ウクライナ)大惨事に汚染地域で子宮内被曝をした子どもにおける消化器系疾患の発生率は18.9%で、対照群の8.9%に対し有意に高かった(Stepanova, 1999)。(p116)

・(ウクライナ)汚染値が5,000~1万5,000Bq/m²の地域に住む子どもには、胃粘膜萎縮症が対照群の5倍、腸上皮異形成は2倍も多く発生した(Burlak et al., 2006)。(p116)

(ウクライナ)1989年から1990年にかけて検診を受けたリクビダートルのうち、胃および十二指腸の粘膜の状態が正常な人はわずか9%だった(Yakymenko, 1995)。(p116)

・(ロシア)より汚染度の高い地域に住む子どもほど、歯に異常を発生させる頻度が顕著に高い。大惨事前に生まれた236人を検診したところ、32.6%が正常な歯列だったのに対し、大惨事以降に同じ地域で生まれた308人の検診においては、正常な歯列をもっていたのはわずか9.1%だった(Sevbytov et al., 1999)。(p117)


〔5.10. 皮膚と皮下組織の疾患〕

・(ロシア)放射能汚染地域に住む学齢前の乳幼児において、過敏性体質が大惨事前の4倍も多く発生した(Kulakov et al., 2001)。(p121)


〔5.11. 感染症および寄生虫症〕

・放射能汚染地域における遺伝的不安定性が著しく高まり、ウイルスや他の種類の感染症にかかりやすくなるという結果が生じている(Vorobtsova et al., 1995)。(p122)

・(ベラルーシ)ヴィプテスク州では、1993年から1997年まで、汚染値が1~5Ci/km²[=3万7,000~18万5,000Bq/m²]の地域に住む成人および十代の少年少女における感染性肝炎の持続感染が、汚染値1Ci/km²未満の地域に住む対照群より目に見えて高かった(Zhavoronok et al., 1998a)。(p123)


〔5.12. 先天性奇形〕

・チェルノブイリ由来の放射能汚染があるところではどこでも、遺伝的異常や先天性奇形をもった子どもの数が増加した。これらの異常には、以前はまれだった四肢、頭部、胴体にわたる多発奇形も含まれる(Tsaregorodtsev, 1996; Tsymlyakova and Lavrent’eva, 1996; Goncharova, 2000; Hoffmann, 2001; Ibragymova, 2003; 他)。(p125)

・(ベラルーシ)1986年まで一定していた先天性奇形の発生率が、大惨事後、目に見えて上昇した。先天性奇形の増加は主として重度汚染地域で目立つが、比較的汚染度の低いヴィプテスク州など全国で奇形の発生率における有意な上昇が公式登録されている(Nykolaev and Khmel’, 1998)。(p125)

・(ベラルーシ)先天性奇形の発生率に有意な上昇が見られ、大惨事前の1,000人あたり5.58例から、2001年から2004年にかけて9.38例になった(National Belarussian Report[ベラルーシ公式報告書], 2006)。(p126)

・(ベラルーシ)14歳までの子どもの先天性奇形発生率を1990年と2001年で比較すると、10万人あたり0.2例(1990年)から0.4例(2001年)へ倍増した(UNICEF[国際連合児童基金(ユニセフ)], 2005: Table 1.3)。(p126)

(ウクライナ)1986年と1987年に作業に従事したリクビダートルの家庭に生まれた1万3,136人の子どものうち、9.6%が先天性奇形があるとして正式に登録された。[公式登録が必要な先天性奇形の有無にかかわらず、リクビダートルの子どもに]しばしば認められる発生異常には、脊柱側湾症、喉や歯の変形、早期のう歯[虫歯]、乾いてざらざらした硬い皮膚、異常に細いか硬く縮れた髪、脱毛症などがある(Stepanova, 1999, 2004; Horishna, 2005)。(p129)

・(ウクライナ)1987年から2002年にかけて、3歳児未満の小児における脳腫瘍の発生率が2倍になり、1歳未満の乳児で7.5倍に増加した(Orlov et al., 2001, 2006)。(p130)

・(ロシア)放射能汚染地域で、1991年と1992年の先天性奇形発生率が大惨事前の3倍から5倍に増え、生殖器、神経系、感覚器、骨、筋肉、消化器系の異常および先天性白内障が目に見えて増加した(Kulakov et al., 2001)。(p130)

・(ロシア)1987年以降にリクビダートルの家庭に生まれた3万人以上の子どものデータを含むロシア公式登録簿のデータによれば、リクビダートルの子どもの46.7%に先天性発生異常と、しばしば骨と筋肉の異常を伴う「遺伝性症候群」が認められた。リクビダートルの子どもにおける先天性奇形の発生率は、ロシア国内の対照群より3倍から6倍高かった(Sypyagyna et al., 2006)。(p131)

・先天性奇形の発生率はいくつかの汚染地域で上昇し続けており、症例数の増加と被曝量には相関が見られる。したがって、先天性奇形が被曝に起因するとの推定は、完全に裏づけられたといえよう。(p133)


〔5.14. 結論〕

・放射能汚染地域に住む人びとへの被害は広範囲にわたる。ほぼすべての生理系が悪影響を被り、障害から死亡までさまざまな結果が表れている。・・・
放射能汚染地域に住む人びとの健康状態が、リクビダートル群より悪いかもしれないと考えるのには理由がある。表5.78と表5.79に、ベラルーシとウクライナの汚染地域に住む人びとの健康状態の悪化に関する総合的な所見を示した。(p135)

・★表5.77 リクビダートルにおける12疾患群の発生率(1万人あたり)(Pflugbeil et al., 2006)。(p134)

・★表5.78 ゴメリ州(ベラルーシ)に住む15~17歳の少年少女における疾患発生率(10万人あたり)(Pflugbeil et al., 2006, ゴメリ健康管理センターの公式データにもとづき簡略化)。(p134)

・★表 5.79 北ウクライナに住む成人および15~17歳の少年少女における1987年から1992年にかけての疾患発生率(10万人あたり)(Pflugbeil et al., 2006)。(p134)


『放射能を食えというならそんな社会はいらない、ゼロベクレル派宣言』(矢部史郎, 2012年6月, 新評論)



・知識を得れば得るほど、「ああ、これは住めないな」ということが、深く理解されていく・・・「市民社会」というのは、国家に対峙するもののはずでしょう。国家が「避難の必要はない」といえば、逆に極めて危険だと判断し、ただちに退避するのが「市民社会の厚み」というものかと思っていました。でも、そうではなかった。(p39)


・たとえ1ベクレルでも、内部被曝によって人体は負の影響をこうむる。その先にまっているのは、長期にわたる不安と闘病です。人工放射性核種に「ここまでなら摂取してもだいじょうぶ」などという「基準値」をもうけることはできないのです。(p46)

・最大の脅威である内部被曝を避けるためには、食品のみきわめが死活問題になってくる。(p51)

・私が腹の底から怒っているのは、きちんとした検査の方法がないじゃないかということです。目の前の野菜が何ベクレルなのか、じっさいにはわからない。そういう困難さをネグレクトしたところで、基準値を設定して、かけ算して、年間何ミリシーベルトですなんていうのは、まったく机上の空論(p55)


・(「がれき広域処理」の)最大の目的のひとつは、低レベル放射性廃棄物のリサイクルを既成事実化することだろうと思います。(p75)

・がれき拒否運動は、個別の自治体とのせめぎあいだけでなく、原子力産業全体との闘いともなっていく(p79)


・「セシウムをどれくらい食べたらアウトか。それは、これから日本人がたくさん死ぬことで証明されていく科学なのです」(ブログ「チダイズム 毎日セシウムを検査するブログ 2012年4月7日)。(p93



・原子力産業は、テイラー主義的な「管理」がどこに向かうのか、その究極的な姿をあらわしていると思います。それは、寄生的で非生産的な「頭脳」が肥大した、いびつな生産管理の方法なのです。(p117)


・工業都市から原子力都市へとシフトしていくプロセスというのは、資本と労働の軋轢を解除していくプロセスでもあった。それはただ労使協調ということではなくて、労働者の生活意識全体を根切りにしていくことでもあったわけです。
だから原子力というのは、たんにエネルギーの夢であっただけでなく、経営の夢でもあったのです。資本主義がもつ負の側面や労使の軋轢というものを、きれいにジェントリファイしていく。組合とか社会主義者に煩わされない、「清潔な」資本主義が実現するわけです。(p130)


・いま被曝を恐れて避難している人たちが考えているのは、個人レベルの「健康」ではなくて、種の健康であり未来なんです。(p132)

・放射能との闘いにおいては疲弊が懸念されます。毎日のことですから。関東に住み続けて、食品を選びぬき、マスクをしつづけるのはむずかしい作業です。
すくなくとも私は、関東で自分が闘いつづけるのは無理だと思ったので、愛知に退避したんです。(p138)


・こうした民衆運動は、従来のような個別的な政策批判ではなくて、より一般的で普遍的な批判を提起することになる。もう、すべてが許せない、という状態です。全部ひっくり返してやる、と。そういう転覆的な感情がひろがっている。(p140)

・革命revolutionの動詞revolt(反抗する、反逆する、叛乱・暴動を起こす)の語源は、「ぐるりとまわすこと」です。・・・つまり、「レボルト」というのは、社会をぐるりと回転させる、時間をぐるりとまきもどす行為なんですね。ぐるりとまわすことから、「転覆」とか「復古」とか、「一からやりなおし」というニュアンスをふくむわけです。(p142)

・いま、インドでも反原発運動が最高潮に達しています。(p145)


・核兵器というのは存在自体がデモクラシーの敵・・・現代では、産業は労働集約型ではなく技術集約型になっていて、戦争は動員型ではなく無人型・・・産業も戦争も人間に依存しなくなっている。もう人間はいらないという時代になりつつある。そういう状況のなかで、たとえば新自由主義政策にみられるように、権力はもう労働階級に依存しなくなっているわけです。(p150)

・では、国家が独占している核兵器という「法外の暴力」にたいして、民衆の側はどのような「法外の暴力」を対置しうるのか。ストライキにかわるわれわれの「法外の暴力」はどこにあるのか、ということです。
そのひとつの道として、海賊や山賊、「犯罪」化された武装集団、「非合法」化された戦争という形態があるだろうと思います。それは局地的な低強度戦争だけではなくて、朝鮮やイランのような大きな国を、まるごと「ならずもの国家」と名指しするような事態です。(p150)


・これら4基(福島第一の1~4号機)については、ストライキが有効といえるのではないか。もしいま、1~4号機でたいへんな被曝をしいられながら作業についている労働者たちがストに入ったら、どうなるか。「収束作業の拒否」が国家主権にとって看過できない現実的な脅威となる構図が生まれているのです。
そして、この「収束作業の拒否」を拡張するなら、東北・関東が経済圏として成立しなくなるほど大量の人間が退避し、産業と経済をマヒさせるという、いわば「東日本ゼネスト」と呼べる事態が想像できます。これは、被曝地帯で「日常生活」をおくることや、平静を装うことを、それじたい不払い労働であるとして全面的にしりぞけていくという、「収束の拒否」の態度と思想にほかならない。・・・われわれではなく、国家の側がリーチをかけられている状態なんです。
「3.12」後の世界において、いま、転覆的な労働者暴力・民衆暴力が、その暴力の条件が、準備されているのではないか。退避・移住という民衆の実力行使が、「核をもつ国家」と互角に対峙する状況が生まれているのではないか。(p159‐p160)


・私は、未来の若者たちに期待しています。第一世代のわれわれとちがって、これからの世代は生まれたときから戦争状態のリアリティのなかにある。東日本に残った同世代の人間が、つぎつぎに倒れていくのですから。
そのように短命をあらかじめ背負わされた者たちは、われわれの想像もおよばないような、われわれのやっていたことなんてぬるすぎると思われるような、ものすごい緊張感をもった議論をしていくはずです。(p162)


・「民衆とともに歩む科学者」しか、みんなもう信じなくなっていますよね。個別の大学がどうという話を超えて、そういう科学者が増えてほしいし、増えていくべきです。(p166)

・とりわけ人文系の知識人は、民衆のやっていることを肯定し、激励し、前にすすめる言葉を出していかなければならない。(p168)

・まずは何よりも「放射能は怖い、いやだ」という自己保存の表明、それだけでいいんだ、ということを、知識人が明言しなきゃいけませんよね。(p168)

・負ける気がしないですね、今回は。(p172)


・やっぱり、「3.11と3.12のあいだの葛藤」を避けては、議論はできないのだと思います。このせめぎあいからでないと、話ははじまらない。(p174)


・結論は「東電つぶせ」「米倉死ね」なんだけれども、複雑さも同時にとらえている。単純にただ祈ったり、怒ったりしているのではない。この1年、すさまじい知性と情動の大爆発が起きている(p175)


・私がいまテイラー主義を問題にしようとしているのは、帝国主義国家であれ社会主義を経由した国家であれ、近代の産業社会(産業資本主義)が共通して依拠してきた思想的な基盤を問いなおす必要があるからです。
つまり近代・現代の人間は、生産をどのように考えてきたのか。人間のどのような働きと成果を、「生産」だと考えてきたのか、そのイデオロギーを検討しなければならない。(p179)


・放射線防護活動にみられる生産活動は、「サブシステンス生産」(商品化がおよばない領域でおこなわれる生活経済活動)と呼ばれてきたものです。それはほとんど無賃労働で、シャドウワークです。ほんらい、こうした働きにこそ報酬が支払われるべきだし、必要な資金が投入されなければならないはずです。
しかし現実には、われわれにはカネがまったくまわってこなくて、原発を爆発させた無能集団がいまだに巨額の報酬を受けとっているわけです。「家事労働に賃金を」というマテリアル・フェミニズムの思想が、レベル7の日本であらためて提起される必要があると思います。
レベル7における放射線防護活動が暗示しているのは、こうしたラディカルな次元での分業批判であり、「生産」様式の批判であり、資本主義批判なのです。(p181)


・大学という場所は、学校とはちがいます。自分の頭で考える習慣をもたない人間をどれだけ集めても、そんなものは大学として成立しない。大学が大学としてあるためには、まず大学生であろうとする人間がいなくてはならない。(p184)


・いま、薄く、ひろく、ある種のテロリズムが日本全体を覆いつつあるのではないでしょうか。
「放射能の被害を訴えることは、東北・関東の、ひいては日本の経済を破綻に導くことになる。GDPを維持するために、放射能については騒いでくれるな」―そういう社会的圧力が、みえないかたちでくわえられている。
つまり「古い経済学」にもとづく白色テロ(反革命側、体制・為政者がしかける恐怖政治。フランス王国のシンボル「白百合」から)です。・・・「放射能よりもっと怖いものがある」と脅す、こうした白色テロによって、ほんとうに怖がるべき放射能から目をそらされてしまっている。
このような状況だからこそ、私は日本経済の中心地である東京からの退避を呼びかけたいのです。失うものがあるから怖いのであって、そんなものはこのさい捨ててしまえばいい。
すでに東京から逃げた人たちは、日本経済がもつかもたないかなんて知るか、壊れてしまえ、と考えています。だから放射能のほかにはなにも怖がっていない。これはいわば、テイラー主義/テイラー・システムを破壊する思想です。そういう人たちがもっともっと増えてほしい。・・・原子力都市にの残滓は、残滓という以上の強力さをもって、この社会を覆っている。この状況の総体を考えると、これはひとつの社会戦争だとあらためて感じます。(p192-p194)

・レベル7の世界において、収束の拒否、退避・移住という民衆の実力行使は、「核をもつ国家」にまっこうから対峙する力となりつつあります。何よりも、この点に希望をみいだしていかなければなりません。(p199-p200)


野生の生活者
・くりかえしますが、放射能による健康被害は、確実に短命な人々を生みだします。もっと長いスパンでみれば、遺伝子レベルの障害は種としての人類を損なっていきます。
「頭脳」の人たちは別にして、ふつうの人はこの悲劇的な事態を等閑視することはできません。じっさい、運動の主体は若年層だけではなくて、いわゆる「生殖年齢」」をすぎた人たちもおおぜいかかわっています。
レベル7の苛烈な状況のもとで、民衆は「人類」の視座をよみがえらせ、自分に健康被害が出ようが出まいが、いやなものはいやだと考えたのです。
統治や管理の思想が現実にうまく対処できないことは、テイラー主義の話であきらかになったと思います。じつは、みんながそれぞれの主観にもとづいて自律的に行動しているほうがうまくいく。
・・・構築された「環境」をはぎとられ、むきだしの「世界」に投げだされたとき、私たちのなかに還ってきたものは何でしょうか。自己保存の力と、それを肯定する意志です。
それはひとりの人間が自分の生命とありようを保存するという「小さな自己保存」のなかに、人類という巨大なスケールで命脈を維持しようとする「大きな自己保存」が包含されているということでもある。
・・・「レベル7」が意識化されることで、自己保存の力が覚醒し、「反社会」が昂進している。多くの人々が、冷淡に「社会」を突きはなし、「社会」を裏切ろうとしているのです。
放射能を食えというならそんな社会はいらない、という意志が生まれている。
これはもうわれわれが知っていた人間ではない、何か別のものです。
私たちのなかに潜在していた存在と行動の様式―真の生産をなす者、裏切り者、発明家、魔女と海賊、つまり野生の生活者―が、レベル7において目をさましたのです。(p205-p207)