マインクラフトとメタ認知 | こころのいばしょ、じぶんのありか。

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いっぽずつ、自分らしく生きていくために。

感じたこと
考えたこと
気づいたこと

すべての自分を認めてあげるために、

その先にある「答え」 にたどり着くために。

 

「マインクラフト」

 

https://www.minecraft.net/ja-jp

 

 

私は全然やらないんだけど、

 

プログラミングの勉強になるということで、

 

 

息子が小学生だった頃に、

 

パソコンにダウンロードした。

 

 

 

高校生になった今でも、

 

たま~に遊んでるみたいだけど。

 

 

 

 

で、

 

最近になって、

 

小学生の娘も興味を持ったらしく、

 

 

お兄ちゃんに教わったり、

 

YouTubeで調べながら、

 

ちょこちょこいじって、

 

 

何かしら、つくっては、

 

お兄ちゃんに報告したりしている。

 

 

 

 

後ろからのぞいている限り、

 

あんまり、プログラミングしているようには、

 

見えないんだけどな・・・

 

 

 

 

 

で、

 

このマインクラフトの「視点を変更できる機能」が、

 

ちょっと興味深いなと思った。

 

 

 

子どもたちが遊んでるマインクラフトの視点は、

 

主に2種類あって、

 

 

 

それは、

 

1人称視点(自分の目線で見る視点)と、

 

3人称視点(自分のキャラクターを背後や側面から見る視点)となる。

 

 

彼らは、この視点を使い分けて遊んでいる。

 

 

 

「1人称視点」では、

 

プレイヤーは自分のキャラクターの目線でゲームの世界を体験する。

 

 

こんな感じで、

 

自分の目線で、ゲームを進めるから、

 

没入感もあって、

 

まるで自分がその世界の中にいるかのような感覚を味わうことができる、らしい。

 

(右下に見えている茶色い棒みたいなのが、たたいたりできる道具で、これをガンガン振るう)

 

 

ブロックを設置したり、何かをつくるとき操作がしやすいんだけど、

 

視野が狭いため、周囲の状況を把握するのが難しい。

 

 

 

 

 

「3人称視点」では、プレイヤーは自分のキャラクターを外部から観察できる。

 

 

 

この視点だと、キャラクターの全体像や周囲の環境を広く見渡すことができる。

 

だから、自分がどこにいるのかが、わかりやすい。

 

移動やジャンプするときに便利とのこと。

 

 

 

 

 

で、
 

この「3人称視点」が、

 

「メタ認知」と呼ばれる視点と同じだなと思った。

 

 

https://c-arrive.com/menu/aftercare.html#afterstep1

 

 


 

 

「メタ認知」っていう考え方で使う、

 

 

「ちょっと高い所から自分を見る」感覚って、

 

実際には、無理なことなんだけど、

 

(本当に「自分で自分を見る」ためには、幽体離脱とかする必要がある)

 

 

 

 

 

でも、

 

そんな「客観的な視点」とか、

 

「俯瞰したところから自分を観察するイメージ」を持ちながら、

 

何かをすることって、

 

実は誰でも、やっているはず。

 

割と無意識に。

 

 

 

 

 

 

今だって、私は、

 

「部屋の片隅で、

ノートパソコンに向かってブログを打ち込んでいる」

 

そんな、自分の姿を想像することは、

 

容易にできるし、

 

 

どんな感じなのか、すぐにイメージできる。

 

 

 

 

 

 

その俯瞰した視点、「メタ認知」は、

 

「想像」「イメージ」ってとこがポイントで、

 

 

 

自分が実際に見ているわけではない、けれど、

 

自分が、その場所にいる映像を、「つくり出す」ことを、

 

脳内でしていることになる。

 

 

 

 

もうちょっと簡単な感じに、言い換えるなら、

 

 

日常生活の中で、

 

誰かと会話している場面なんかで、

 

 

私たちは、

 

自分は「他人からは、どういう風に見えてるのか」を、

 

「想像」したりして、

 

気を配ったり、失礼のないように振舞ったりしている。

 

 

 

その自分像を描くときの参考資料として、

 

 

過去の経験の中で、

 

まわりの人から、

 

自分がどう言われたのかを記憶していたり、

 

 

 

自分の映っている写真やビデオを見たときの、

(いまは、画像とか動画というのかな?)

 

「印象」や「感想」を組み合わせて、

 

 

今、

自分は、

まわりから、

 

「どういう風に見えるのか」を、

 

 

「頭で、つくりだす」ことを、

 

人間は、することができる。

 

 

その自分の見え方、認識が「メタ認知」。

 

 

 

 

 

で、その、

 

「自分を観察している自分」って感覚が、

 

 

マインクラフトの中で、

 

自分の動かしているキャラクターを、

 

ちょっと高いところから見た視点(三人称視点)ってことに、

 

なるなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

マインクラフトで、

 

メタ認知的視点(三人称視点)を使うと、

 

 

 

ゲームの中のキャラクターが、

 

どんな場所で、

 

どんな動きをしているのかを、

 

把握しやすいから、

 

 

 

ちょっと危ない場所にいるから、

 

慎重に行動しようとか、

 

 

自分を狙う敵が近づいてきたから、

 

戦いに備えようとか判断できる。

 

 

 

 

「一人称視点」のときは、

 

基本、目の前しか見えないから、

 

 

たとえば、

 

後ろから攻撃とかされても、

 

ダメージを受けるばっかりで、

 

何が起きたかわからないし、

 

どう対処したら良いのか、わからないまま、

 

混乱してしまう。

 

 

 

だから、メタ認知(三人称視点)は、

 

状況判断のためには、

 

とても便利。

 

 

 

 

でも、

 

俯瞰した視点で、

 

ちょっと離れたところから観察していたとしても、

 

 

そのゲームの中のキャラクターが、

 

「どんな気持ちなのか」は、ちゃんと、

 

認識して、把握できる。

 

 

 

そのキャラクターを動かしている人の、

 

気持ちや感情や意志は、

 

そのままキャラクターの気持ちと同じと、言えるから。

 

 

 

 

 

ゲームしている人(この場合は娘)が、

 

「探検しよー」って思って、

 

フラフラしているのか、

 

 

 

帰り道がわからなくなって、

 

「困ったな~」と思って、

 

フラフラしているのかは、

 

操作している本人には、当然わかるけど、

 

 

 

後ろから画面を見ているお父さんは、

 

「何かフラフラしてるな~、何してるんだ?」

 

ぐらいしか、わからない。

 

 

 

自分の分身であるキャラクターを、

 

動かしている本人は、

 

どんな視点を使っていようが、

 

そのときの心情は、絶対にわかる。

 

 

 

それを、現実の世界にあてはめてみると、

 

メタ認知は、

 

自分の内面、感情や気持ちを、

 

いつだって、

 

客観的に見れるってことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、さらに、

 

メタ認知を使えば、

 

 

その世界(ゲーム)の登場人物(キャラクター)の、

 

 内面の状況、

 

「何を見て、何を感じて、何を考えて」いるのかに対して、

 

「自分(操作している人)が、どう思っているのか」まで、

 

認識できる。

 

 

 

自分の認知(見ていることや、感じていること)に対する認知。

 

 

 

例えば、マインクラフトをしている娘が、

 

ゲームを通じて、

 

 

せっかく、いろいろ調べて、

 

試行錯誤しながら、

 

 

自分の好みのカッコイイ建造物なんかを、

 

一生懸命につくったときに、

 

 

頑張ったはずのキャラクターに対して、

 

その気持ちを無視するかのように、

 

 

「全然すごくないし」とか、

 

「こんな程度じゃ恥ずかしいだけだ」とか、

 

「こいつ動きが悪いな、クズめ」とか、

 

「敵にやられちゃってもいいや、しょーもないヤツだから」とか、

 

 

もし、思ってしまったとしたら、

 

 

 

そう思って操作している人の認知、

 

ものの見方や心情、気持ちも、

 

客観視して、認識できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

マインクラフトという世界の中にいる、

 

自分の分身のような存在のキャラクター。

 

 

 

そんな、

 

ゲームの中のキャラクターの特徴を理解しようとしたり、

 

大切に育ててあげたりして、

 

大事な存在として扱っているのか、

 

 

 

逆に、

 

ダメだしして、

 

イライラしながら、

 

テキトーな感じで扱っているのかで、

 

 

 

キャラクターの運命は左右されてしまうし、

 

そのゲームの中の世界は、

 

天国にも地獄にも、なる。

 

 

 

そのキャラクター、主人公である自分と、

 

そのゲームの世界観、自分のいる世界を、

 

 

「つくり出している」のが、自分だとしたら、

 

 

その世界を観ている自分の認知こそが、

 

世界をつくる根源に、あるとしたら、

 

 

 

自分はどんな世界をつくっていると、言えるのだろうか。

 

 

 

 

目の前で繰り広げられる、

 

その世界の中では、

 

 

 

冒険を楽しんでみようが、

 

敵を見つけて戦ってみようが、

 

自分好みの家を建ててみようが、

 

何もしないでフラフラしてみようが、

 

 

本来、

 

何をしても構わないし、

 

何をしても許される。

 

 

なのに、

 

その自由なはずの世界で、

 

 

いったい、

 

 

何に縛られて、

 

何に追われて、

 

何を怖れて、

 

その行動を、選択しているのだろうか。

 

 

 

 

人からの評価が怖いのか、

 

うまくできない自分への劣等感がイヤなのか、

 

誰かからの否定されるのを避けたいのか、

 

 

それとも、

 

 

もっと、もっと、

 

人に見られたくない「何か」が、

 

あるのか。

 

 

 

 

無自覚に自分を動かしている何か。

 

 

その本当の正体を、

 

自分自身で、客観的に観察できるのなら、

 

 

 

自分自身が、

 

「自分のことを、どんな存在だと思って、どんな風に扱っているのか」


それを、メタ認知は、


認識させてくれる。

 

 

 

 

 

自分がいる世界を、自分自身が、つくり出しているのなら、

 

 

 

 

自分はどこに向かっているのだろうか。

 

 

自分は何を成し遂げようとしているのだろうか。

 

 

自分は本当は何が欲しいのだろうか。

 

 

 

 

何をしたって、大丈夫なはずの、

 

誰かに許しをもらうことなんか、不必要なはずの、

 

 

 

今、自分がいる、その世界を、

 

 

どんな世界だと無自覚に思い込んで、

 

いったい何を、

 

しようとしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

座間カウンセリングスペースArrive

岩佐利彦

 

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