もちまる日記 2022 4月はじまりカレンダー ([カレンダー])
精神的に追い込まれて、
深いところに落ちて、
どうしようもなく、ふさぎ込んでいるときは、
本当に、自分でも、どうにもできない。
つくづく、自分は引きこもり体質なんだと思う。
引きこもったあげく、
まわりの家族には、
どす黒いオーラを振りまいている(らしい)から、
たちが悪いと思う。我ながら。
そんな、「殻にこもった自分」を、
「何とかしようとする」のを、やめた。
ある意味、あきらめた。
見たくない自分を認めるまで、
心の底から受け入れるまで、
自分の一部として「統合」するまで、
同じ状況は続いてしまうんだなと、
あらためて、つくづく、納得した。
どんなに、まわりのせいにして嘆いても、
自分に足らないものを、必死にかき集めようとしても、
こうなってしまった原因を、分析してみても、
いっときは、「抜け出した」と思えても、
いずれ、気がつくと、また、
まったく同じような場所に、戻っている。
自分自身が「何をしているのか」を、
心の底からわかるまで。
まるで、自分自身が、
「そうしたくて」そうしているかのように、
「おんなじ場所」に、気がつくと、戻っている。
嫌で、嫌で、仕方がない(はずの)、
不快な気持ちも、
煮詰まった現実も、
自分自身が、そうしたくて、
気づきたい、思い出したい、証明したい、
「何か」があって、
今も、また、そうしているのかもしれない。
ただ、
自分以外の、他の人から見たら、
自分で自分を否定して、
まわりを勝手に排除して、
変に意地になっているようにしか、見えないけれど。
「どうにもならない自分」を理解するための、
「今までの自分の身に起きたこと」の意味を納得するための、
自分にしかわからない「何か」があって、
それを、心底、
わかりたいのだと思う。
どんなに、参考になりそうな見本を探しても、
どんなに、自分は大丈夫だと思い込ませようとしても、
「どうにもならない、困り者の自分」から、
逃げ切ることは、できなかった。
自分の場合、
「殻にこもること」が、
そのときの自分にできる、
ある意味、自分らしい、
ある意味、唯一の方法だったのかもしれない。
そうすることしか、
自分を貫く術を、持ち合わせていなかったのだと思う。
まわりに迷惑をかけて、甘ったれているのは、百も承知。
自分勝手にしているはずなのに、まったく満たされない。
たとえそれが、無自覚であっても、
そのやり方の奥には、自分だけの理由がある。
それを見失っている限り、満たされることはない。
いろんな人が、様々なやり方、それぞれのルートで、
一人ひとりが、それこそ、必死に生きて、
自分の求めている「真実」を、掴もうとしているのなら、
自分は、自分のやり方で、
自分にとっての真実に、たどり着きたいのだと思う。
自分の中にあるそれからは、逃げ切れないのだと思う。
どうせ、逃げ切れないなら、
認めてしまえば良かった。
変な抵抗をやめて。
殻に閉じこもる自分も
何かを訴えている自分も
自分を心底、信じられない自分も
全部、
認めてしまえば良かったのかなと思う。
それが、なかなかできないことも、含めて。
全部、もう、認めてしまおうと、やっと思えた。
岩佐利彦