今日、また鬼滅の刃の映画観に行ったんだよ。前回割と寝ちまったからさあ。そのリベンジで。

ああそうだよ。また泣いちまったよ。アラフィフがキモいとか言うな。無理だろあれは。泣かずにいられるかよ。

で、もちろん今日はその感想を書きまくることになると思ってたさ。


だけど、たった30分『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』を観てたら、情緒が持って行かれたわ。

何だあれ?何なんだあれ?おかしいだろう、何もかも。

そりゃあ僕も昔はライダー好きだったさ。ライダーカード集めてたし、仮面ライダー大百科とか鬼リピしてたさ。

でも、あそこまで度を越してはいなかった。絶対おかしいぞアイツら!異常者だ、異常過ぎる!

だけど、アイツらの熱さに、本気さに魅入られている自分を感じてもいる。

歯車が幾つか掛け違ってたら、僕も東島みたいにライダーに魅入られ続けてたかもしれないとちょっと思ったりもした。


まあ、僕は17のときにとあるヤンデレの洗礼を受けて、そっちの道に行っちまったんだけどさ。

その話はまたいずれ。




ラノベ史上に燦然と輝く不朽の名作『ソードアート・オンライン』。
この物語の中で、ログアウト不能のデスゲームと化したフルダイブ型MMO『ソードアート・オンライン』から生還した者たちは「SAOサバイバー」と呼ばれ、その勇気と折れない心の強さを讃えられた。



 僕は、50代までまったく未経験だったビルメンテナンス業界で職を得るために、7ヶ月間職業訓練校に通いながら3つの資格試験を受験した。
いや、正確には最初の5ヶ月で3つだったけどさ。
あの頃は、まさにデスゲーム並みに過酷だった。
だから、僕も名乗っていいんじゃないかと思う。
『SAOサバイバー』になぞらえて

 **「資格試験サバイバー」**と。


 正直に言えば、以前は自分のことを「元職業訓練校生」と名乗っていた時期もあった。
でも最近、その肩書きに少し違和感を覚えるようになったんだ。

僕にとって職業訓練校は、人生を立て直すための最後のチャンスであり、職業人生を賭けたサバイバルの場そのものだった。
頭の中では、福本伸行先生の『カイジ』に登場する“エスポワール”や“鉄骨渡り”のように、落ちたら終わりの世界をイメージしていた。

ところが、実際に通ってみると、そこには想像していたような緊張感はあまりなかった。いささか「ぬるい」とすら感じられた。


 もちろん、みんなそれぞれ事情もあるし、努力の仕方も違う。
だけど、資格試験に落ちても「まあ仕方ないよね」と笑える空気に、どこか違和感を覚えた。 

これまでいくつかの試験で不覚を取ってきた僕にとっては、痛恨の極みであり、悔しさで眠れないほどの出来事だったから。 


 「ぬるい」と感じたのは、他人を責めたいからじゃない。
むしろ、自分がどれだけ本気で生きたかったかを再確認したかったからかもしれない。
だから今は、“元訓練校生”というより、
**“あの場所で自分の覚悟を見つめ直した人間”**として、

今後のビルメン人生を語りたいと思っている。


そんな訳で、シーズン6改 『資格試験サバイバーは挫けない』開幕します。




YouTubeで公開されてるこの動画を一気に全部観てしまったよ。全てを自分一人で作ったからこその粗さは沢山あったけど、逆にそれが味になって楽しめた。


いじめられてる高校生ワタルは護身術を学び、自分のみならず多くの被害者を生んでいる主犯の藤井に鉄槌を与えようと多くの仲間を巻き込んで立ち上がる。だが、藤井の傍には喧嘩では無敗の元柔道エリートの肥田が用心棒として立ちはだかる。果たしてワタルは本懐を遂げる事が出来るのか?ってなお話。


諸悪の根源は藤井の父親かな。彼が息子の起こした事件(凄惨ないじめを受けて追い詰められ、いじめの主犯をナイフで刺した)を揉み消さずに、罪を償わせていれば、間違った事をしたとの認識が生まれただろうに、揉み消した事で成功体験になってしまった。だからいじめる側に回った彼はいじめられてる側に「立ち向かう勇気も出せずに弱いままでいる根性なし。だったらいくらでも踏みにじって構わないよね。いや、と言うよりむしろ自分は彼らに強い気持ちを持って欲しくて発破かけてるだけなんだよ。赤の他人をそこまで慮れる自分ってマジ尊い!」って程度の認識しか出来なくなったんじゃないだろうか。


主人公が最終的には「自分は武道家だ」との矜持から、一線を越える事なく踏みとどまれたのも良かった。『推しの子』のアクアは自分が罪に問われなきゃそれでいいとかそんな馬鹿な事を考えて一線を越えちまって作中人物全てどころか読者まで悲しませたけどさ。


最終的には多くの人が笑顔でいられる結末で、本当に良かった。作り手の方、本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。