昔、NHKで、山本周五郎原作の「柳橋慕情」とか言うドラマがやっていた。現代風にアレンジして言うとこんな話だ。


ある土地に出世競争を繰り広げる二人の男がいた。仮にその二人をSとKと呼ぶ事にしよう。二人の実力は伯仲していたがほんのわずかな差でKが次期リーダーとして認められ、SはKの下風に立たされるのを嫌って別の土地で一旗揚げようとそこを出て行った。


その二人はその土地の評判の美女、彼女を仮にOと呼ぼう、を争う恋の上でのライバルでもあった。出世競争に敗れたSは、せめて恋に関しては勝ちたいと考え、ロマンチックなデートスポットに彼女を誘い、「別の土地で一旗あげて帰ってくるまで自分を待っていてくれ。帰って来たら結婚しよう」とか言って告白し、Oは雰囲気に流されてうっかりイエスと答えてしまった。


その事はたちまち周囲の知る事となり、当然Kの耳にも入ったのだが、Kはその後も何くれとなくOの世話を焼いた。自分は既にSと結婚の約束をしていて貴方の想いには応えられないのだからやめて欲しいとOがいくら言っても、Kは変わる事なく接し続けた。


やがてその土地に大災害が発生する。Oが祖父と二人暮らしで避難もままならない事を知っていたKは何もかも投げ出してOの元に駆け付けた。元々病気だった祖父は避難の最中に息を引き取り、KもOを守って命を落としてしまう。死ぬ間際に、「どうしてここまでしてくれたのですか?」と尋ねるOに、Kは「あなたを愛していたからだ。どうしても放っておけなかったからだ」と言い残した。


すべてを失い、崩壊したその土地をさまよっていたOは赤ん坊を拾い、その子を育てる事にした。


別の土地で仕事に明け暮れていたSは仕事が一段落してからOの元に駆け付けたのだが、彼女は赤ん坊を抱いていた。Kにはその赤ん坊がKとの間に出来た子供の様に思えてならなかった。世間も同じ様に考えた。身の潔白を言い立てるOに対してSは、
「本当に潔白なんだったら、その子供を捨ててみな」と言い放ってしまう。


一度はそうしようとしたOだったが、自分の姿が見えなくなって泣き叫ぶ赤ん坊をみてどうしても捨てる事が出来なくなった。


「どうしてもこの子を捨てる事は出来ない。でもそれでも私はあなたとの結婚の約束を果たしたい」と言うOの言葉を、不貞の何よりの証拠だと捉え、SはOの元から去って行った。


Sに去られた事や、周囲の白眼視にさらされ、信用を失って辛く当たられる毎日を送る中で、Oは次第に精神を病んでいった。しかもSがOを見限って他の女と結婚したことを知り、彼女の心は決定的に崩壊してしまう。



しばらくたった後、再びSがOの元を訪れた。SはOをよく知る人物に怒られたのだそうだ。


Oはたえず世話を焼こうとするKを拒み続けていたし、大災害の直前までOに妊娠した様子も無く、赤ん坊は育ちすぎているし、OとKの間の子供であるとは考えられない。それより何より、お前は惚れた女の言葉を信じないのか?彼女が不貞を働く様な女じゃない事ぐらいわかるだろうが!と。


疑って済まなかったと頭を下げるSに、Oは微笑み、こう言った。


「いいえ、間違いなくこの子は私とKの間の子供です」と。


辛い毎日を送る中で、彼女の脳は、Kの想いを受け入れて結ばれ、彼との幸せな結婚生活を送り、この子が生まれたのだと言う偽りの記憶を捏造してしまったんですよね。


誰の目にも、彼女は頭がおかしくなったと映るだろう。

だけど彼女はそれでも幸せだった。

そしてその幻想を抱いたまま、ずっと幸せであり続けるだろう。


まあ、そんな話でした。


…これだとどう考えても、Sが悪人の様な気がするんだけど、ドラマの公式設定とかを読むと、Sは相当に寂しい生い立ちなんだよね。親を早くに亡くし、幼い頃から他人の中で育ってるんだわ。だから、幸せになりたいって気持ちが強くて、それで出世すれば幸せになれると思い込んで、出世競争に身を投じたんだろう。でも、それは破綻した。だから今度は、評判の美女のOと結婚出来れば幸せになれるんじゃないかと思ってプロポーズする事にした。彼女の気だての良さや誠実さは折り紙つきで、例え多少卑怯な形でも、一度約束をさせれば決して裏切る事はないと思った。なのに、大災害の後彼女のところに駆け付けたら、彼女は大切そうに赤ん坊を抱いていた。実に手痛い裏切りに思えただろう。それは彼にとってどれだけのショックだった事か。どうしておれは何をしても幸せになれないんだと嘆いた事だろう。そして更に彼女が自分を騙そうとして、出来すぎた取り繕いを言いたてている。こんなのを許す訳にはいかない。だったら潔白の確かな証拠を見せてくれよと言いたくなっても不思議は無いよな。


だけど、SはOに一体どれだけの事をしてあげてただろうか?ロマンチックな雰囲気の中でプロポーズして、多幸感を味あわせてあげただろうけれど、与えたのはそれだけで、後は一貫して要求してばかりなんだよな。



結局、人生で幸せになれるのは、人にたくさん優しくして、幸せにしてあげた人なんじゃ無いだろうか。誰だって、幸せになりたいんだよ。だからと言って、全人類が優しくしてと要求してばかりいて、誰も自分から他人に優しくしようとしなかったら、誰一人として幸せになんかなれないよ。


おれは今まで淋しい生い立ちだったから、といいたくなるのも判るよ。判るけどさ。でもそれでも、自分の幸せよりまず先に、誰かの幸せのために心と体を動かしてみるべきじゃないのかな?かな!




…何だかなあ。

この文章、以前に


どうせだったら惚れた女を守り抜いて死ぬとか言う様な有意義な死に方をしたいや。


とか書いた時に、このドラマのKの事を思い出して、彼の様で在りたいと言う趣旨で書き始めたんだけどなあ。


Sの事は散々に悪し様に書くつもりだったんだけどなあ。


ドラマのあらすじ部分だけを書いたまま、練成会がはじまって、続きを書けないでいるうちに、気持ちが変わって来てしまったよ。


人はそれぞれの立場から、他人の事を許し難い「悪」として裁くけどさ。


でも、人間はすべて神の子で、悪意のみで動くものでは無いと言う前提に立つと、それぞれの立場では、そうせざるをえない理由があってそうしているんだと思えてくるんだよね。


これも練成会を経て、おれの中の何かが変わったことの表れかな?