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実をいうと、おれは15歳の頃から三十代半ばぐらいまで、日記みたいなものを書き続けていたのだったよ。
そのきっかけは15歳の時に高野悦子という人の『二十歳の原点』という本を読んだ事だった。
高野悦子という人は、1960年代の学生運動が華やかなりし頃の女子大生で、いろいろあって自殺してしまったんですが、彼女は中学時代から日記みたいなものを書いていて、死後に遺族が本にして出版したのが、『二十歳の原点』って本なんです。
さっきから再三「日記のようなもの」と表現しているのは、本来の日記の様に毎日欠かさず書かれている訳でも、出来事を克明に綴ったものでさえも無いからなんだわ、これが。
こんなフリーダムな日記があっていいのか!?と僕は衝撃を受け、そんでおれはその真似事をするようになったのでしたよ。なので決して毎日書こうとはしなかったし、思ったことや感じたことは書いても、どんな出来事から思ったり感じたりしたのかは大抵の場合は割愛するなど、フリーダムなだけでなく、非常に不親切なものだったりしました。
基本、おれは口が達者ではないので、人には思っていることの半分も伝えられないことが多いんですよ。だけど、表現すらしなかったら、おれ自身すら何を思い考えていたのかさえいずれは忘れ去っていく。そんなのは絶対嫌だった。だから、残して置きたかったんだ。自分が思い、悩み、考え、感じた事の記録を。
まあ、三十代半ばにmixiで日記を書くようになってからは、ほとんど書かなくなりましたけどね。
本来は誰にも見せないつもりで文章を書き続けてきたおれだったけど、自分以外の誰かが読んでくれて、しかも場合によっては感想やコメントまでもらえるというのは、想定外に嬉しいものだったからね。
なので、その喜びが得られない形で文章を書くことからは急速に冷めてしまったのだわ。
今では高野悦子さんが書いてた文章の内容はほとんど思い出せないおれですが、それでも彼女には計り知れないほど大切なものを貰った。
そんな風に思わずにはいられないおれなのでしたよ。
実をいうと、おれは15歳の頃から三十代半ばぐらいまで、日記みたいなものを書き続けていたのだったよ。
そのきっかけは15歳の時に高野悦子という人の『二十歳の原点』という本を読んだ事だった。
高野悦子という人は、1960年代の学生運動が華やかなりし頃の女子大生で、いろいろあって自殺してしまったんですが、彼女は中学時代から日記みたいなものを書いていて、死後に遺族が本にして出版したのが、『二十歳の原点』って本なんです。
さっきから再三「日記のようなもの」と表現しているのは、本来の日記の様に毎日欠かさず書かれている訳でも、出来事を克明に綴ったものでさえも無いからなんだわ、これが。
こんなフリーダムな日記があっていいのか!?と僕は衝撃を受け、そんでおれはその真似事をするようになったのでしたよ。なので決して毎日書こうとはしなかったし、思ったことや感じたことは書いても、どんな出来事から思ったり感じたりしたのかは大抵の場合は割愛するなど、フリーダムなだけでなく、非常に不親切なものだったりしました。
基本、おれは口が達者ではないので、人には思っていることの半分も伝えられないことが多いんですよ。だけど、表現すらしなかったら、おれ自身すら何を思い考えていたのかさえいずれは忘れ去っていく。そんなのは絶対嫌だった。だから、残して置きたかったんだ。自分が思い、悩み、考え、感じた事の記録を。
まあ、三十代半ばにmixiで日記を書くようになってからは、ほとんど書かなくなりましたけどね。
本来は誰にも見せないつもりで文章を書き続けてきたおれだったけど、自分以外の誰かが読んでくれて、しかも場合によっては感想やコメントまでもらえるというのは、想定外に嬉しいものだったからね。
なので、その喜びが得られない形で文章を書くことからは急速に冷めてしまったのだわ。
今では高野悦子さんが書いてた文章の内容はほとんど思い出せないおれですが、それでも彼女には計り知れないほど大切なものを貰った。
そんな風に思わずにはいられないおれなのでしたよ。