昨日のブログネタの、ラブゾンビの巻 、は僕の昔からくすぶっていた想いに油を注いで火をつけてしまいましたよ。


牡丹灯籠って物語がありますよね。


イケメン浪人の新三郎のところに、いつの頃からかお露という美女が夜な夜な牡丹灯籠を手にして通ってくることになった。


新三郎にとってはウハウハの展開だったのですが、彼のところの下男が、新三郎が夜ごと髑髏を抱いているのを障子越しだかに見てしまい、どうやらお露はこの世のものでは無いと判明するのです。


で、このままじゃ取り殺されると怯えた新三郎は坊さんからありがたい仏像とお札をもらって、家中にお札を貼って結界を作る訳ですよ。


お露は何とかして中に入ろうと、泣きわめいたり、怒り狂ったりするかもしれないが、決して彼女を入れてはいけない。


この状態で一晩しのげば彼はお露から逃れられる、そういう寸法だったんです。


が、一緒に結界の中に籠もっていた下男が、月の光が差し込んだのを夜明けと勘違いして、戸を開けてしまうんですよ。


次の瞬間お露が侵入し、家中を血まみれにして、一瞬にして新三郎を連れ去ってしまう、そんな話でした。



ひぐらし風に言うと、


「嫌な事件だったね!」


の一言だと思うんですが、僕はこの物語が、


大っ嫌い!!!!!


なんですよ。



おい、新三郎とか言うヤツ、あんたは最低だ!


毎晩毎晩、あんたはお露にさんざんいい目を見させてもらったんだろうが?


なのに何だ?この世のものじゃないと判ったとたん、手のひらを返すとは何事だ!


そういう態度を、FU・JI・TSUと言うんだよ!


富士通じゃないよ、不実だよ?


確かに彼女は本当は取り殺すつもりだったのに、あんたにはそれを黙って、偽っていたのかもしれないさ。


だけど、あのコックだって言ってるだろうよ!


「女の嘘は許すのが男だ!」って。


死んだはずなのに、もう一度会いたくて、愛を交わしたくて黄泉返ってくるほどの想いだけはちゃんと受け止めてやれよ!


もうさあ、そんな女に愛され、愛してしまったのが自分の罪だったと割り切って、何もかも承知の上で、笑って取り殺されてやればいいじゃあないかよ。



坊さんも坊さんだ!


ありがたい教典の一体どこに、死者と生者が愛を交わすことが許されないだなんて、書いてあるんだよ!


それほどの想いを抱いたまま、むざむざと三途の川を渡らせてしまうほど、お釈迦様には情がないって言うのかよ!


そのまま死なせたりしたら、彼女の魂は一体どこへ行くと言うんだ!


横槍なんか入れないで、思いを遂げさせてやればいいじゃないかよ。



まあ、いろいろと言ってしまいましたが、要するに、


愛情の前には、人の生き死になんて、些細な問題でしかないじゃねえか!


死んだ人間だから、生きた人間を愛しちゃいけないなんて、そんなの差別だろうがよ!


たとえ相手が生きた人間以外の何であっても、ちゃんと想いを受け止めてやるのが人の道ってもんだろうよ!


そんなようなことを考えちまっている僕なのでしたよ。