「胡蝶の夢」一〜四 | Jiro's memorandum

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泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

 

 

 

「胡蝶の夢」一〜四(司馬遼太郎)

 

 

大好きな、幕末・維新の時代。司馬遼太郎さんのこの時代の本は随分読んだし、半藤一利さん、磯田道史さん、あるいはジャレド・ダイヤモンド氏、マクニール氏の本などでも、この時代をくり返し、しかし違った視点で、堪能してきた。

 

しかし、まだこんな視点での楽しみ方、味わい方、学び方があったのか・・・ と今回も幕末・維新を堪能した。

 

 

黒船来航をきっかけに、日本は西洋の思想、制度、文明、技術に影響を受けてきたわけだが、本書「胡蝶の夢」は、医学という視点、医者という立場からみた日本の変化を検証する。

そして松本良順の、医者としての(あるいは日本の常識を疑う一人の人間としての)その時代の変化に対する洞察力、さらには松本良順が診療・治療で関わる徳川慶喜、近藤勇、土方歳三、沖田総司らとの掛け合い、などが楽しめる。

 

 

 

以下、備忘

 

(伊之助の町で――あとがきのかわりに――、より抜粋)

 

江戸期の分際という倫理は、人間の普遍的美徳である謙虚、謙遜、恭しさというものを生み、ついにはときに利他的行為までを生むほどの力を持った。
同時に強烈な副作用として日本人に卑屈さを植えつけた。
幕末から明治初年にきた外国人は日本の倫理風俗として礼儀正しさ、謙虚さ、出すぎないことなどを指摘し、かつほめた。しかし日本人に物事を交渉する場合、相手がほとんど意見を言わず、即断せず、いつも結論を宙ぶらりんにすることに手を焼いた。
これは交渉をうけた役人が分際を心得すぎ「自分の役どころで、そういう問題は決めるべきでない」という倫理判断が慣習的にあったからで、上は老中から下は小役人にいたるまでこの倫理的価値基準でもって政治や行政上の課題の中で身を処していた。
「なにぶん先例になきことにて、御同役とも相謀りませねば私一存にては何とも御返答いたしかねます」
ということばが、行政の最高職から卑職の者にいたるまでどれほど使われてきたであろう。


『胡蝶の夢』を書くについての作者のおもわくのひとつは、江戸身分制社会というものを一個のいきものとして作者自身が肉眼で見たいというととであった。
それを崩すのは、蘭学であった。むろん蘭学だけではなく、それに後続する幾重もの波のために洗いくずされてゆくのだが、蘭学もまたひきがね作用の一つをなしたととはいうまでもない。
蘭学――医学、工学、兵学、航海学――といった技術書の叙述に本質的に融けこんでいるオランダの市民社会のにおいから、それを学ぶ者はまぬがれることができなかった。たとえば漢学者や漢方医、または諸技芸の宗家が物事を秘伝にしたがるのに対し、おなじ社会にいながら蘭学者は多分に書生じみていたし、さらには学んだものはすぐ本にして世間に公開する(『解体新書』がその好例であり、また伊之助が、『七新薬』を刊行したように)といった西洋式のやり方が早くからごく自然におこなわれていた。
末期には幕府機関の重要な部分が”蘭学化”することによって身分社会は大きくくずれるし、さらに皮肉なことに蘭学を学んだ者が、卑賤の境涯から身分社会において異数の栄達をした。
一つの秩序――身分社会――が崩壊するとき、それを崩壊させる外的な要因が内部にくりこまれ、伝統秩序のなかで白熱するという物理的な現象が、人間の社会にもおこりうるらしいということも、作者は風景として見たかった。
良順にせよ、伊之助にせよ、関寛斎にせよ、あるいはかれらと一時期長崎でいっしよだった勝海舟にせよ、夢中でオランダ文字を習っているこのグループがのちにやってくる社会の知的な祖であるにはまちがいないが、しかしそのほとんど無意識的ともいうべきかれらの営為が、のちの社会にとってどれほどプラスであったかということになると、まことに混沌としていまなお未分というほかない。
さらに見方をかえれば社会という巨大な、容易に動きようもない無名の生命体の上にとまったかすかな胡蝶(職であってもよい)にかれらはすぎないのではないかと思えてきたりもする。