「世界史」(マクニール) | Jiro's memorandum

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泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

 

 

「世界史」[上][下](ウィリアム・H・マクニール)

 

 

この本は、世界で40年以上読みつづけられているとか。

 

大学受験では日本史を選択していたので、世界史の基礎知識に乏しく、ここ数年世界史関係の本を読む機会を増やしているものの、まだまだ新鮮な学びが多かった。

 

「歴史を勉強した~!」という充実感。そして、歴史(=事実)なのに、物語か小説を読んだような感覚、感傷に浸った。

 

ちなみに、

英語で歴史はhistory、物語はstory

フランス語では、歴史はhistoire、物語もhistoire

ドイツ語では、歴史はGeschichte、物語もGeschichte

イタリア語では、歴史はstoria、物語もstoria

スペイン語では、歴史はhistoria、物語もhistoria

 

 

また、日本に関する記述が興味深かった。簡潔に、しかし的確に書かれていて、かつ民族的に高く評価されている(と感じた)。

 

ジャレド・ダイヤモンド氏の「危機と人類」でもそうだったが、世界を公平に客観的に見れる外国の知識人による日本の分析は、とても参考になる。

 

 

日本人はもっと自信を持っていいのではないか、と思った。

 

 

 

 

以下、備忘

 

 

 

■上巻


紀元前1700-1500年、文明世界はあちこちで蛮族の征服者に蹂躙される。

蛮族が用いたのは戦車戦法。戦車を駿馬に引かせ、雨あられの矢を射る。なお、この時代はまだ青銅器。


鉄器時代になり、鉄の武器や器具は、戦争や社会を大衆化。

 

軽量で丈夫な鉄の武器と馬具の発達で、馬に乗りながら戦う騎馬が最強に。馬や戦車を持たない貧しい人も、鉄器で武装して身を守れるようになった。鉄器が戦争における力のバランスを変える。

鉄製の農具は、密林の開拓を容易にし、肥沃な農園をつくり、生産性を著しく高めた。

 

農民と工人に互恵的な交換関係ができる。




600-1000年

ゲルマン人が大型犂(すき)を発明、農耕技術が大きく改良。

騎士、大型犂、独立の気概に燃えた商業人口、この3つが西欧にまったくあたらしい(他の文明とははっきり区別される)制度と技術とを与えた。



1000-1500年

ヨーロッパおよび日本は、近隣の文明社会から、良いと思ったものをなんでも取り入れた。かつ、誇りや文化的個性も保持した。結果、類例のないほど柔軟な進歩成長の能力を持つようになり、世界のどの文明と比べてもひけを取らない文化水準や文明スタイルに到達した。

ヨーロッパでは、海岸線が内陸に入り込む地理的好条件にめぐまれ、各地方のほとんどの地点まで海上輸送が可能だった(かつ輸送技術にも熱心だった)。そして、交易と商業が繁栄。



■下巻


1500年以降、ヨーロッパの船が多くの疫病を中央および南アメリカに運び、ほとんど人が住めない状況にしてしまった(アメリカ原住民の人口は1500年5000万人ほどから1650年400万人に)。


1600年以降、ヨーロッパ、アジア、中東の一部では人口増加率高まる。

オランダとイギリスが東インド会社設立(1600年と1601年)。オランダ、イギリス、フランスの船が、スペイン、ポルトガルにとってかわり始める。

世界中から、新しい技術と知識がヨーロッパに集まる。これに刺激されて、ヨーロッパ人の発明の才と能力が怒涛のように高まる。



1540年代、日本にポルトガル人が到着。日本は、ヨーロッパ・スタイルの衣服、キリスト教、など新しいものを取り入れた。

特に、ヨーロッパの火器の効用を認めないものはおらず、地方の領主は熱心に交易を行った。

大砲や小銃が戦争における決定的な武器になると軍備費が増大、大領主しか勝利できなくなり、日本列島は大将軍秀吉によって事実上統一される。



1688年以後、イギリスにおいて議会政治が成功。

1694年、議会はイギリス銀行を設立(議会に金を貸し、議会によって保証され、議会が賦課する税金によって保証される)。イギリス政府は、自国民のみならず外国人からも借金できるようになる(他国の政府は借金返済に対して議会の保証がなかった)。

七年戦争におけるフランスに対するめざましい成功は、政府がいかに恐るべき力を発揮するかを示した。



プロイセンの発展はイギリスとかなり異なる。

スウェーデンその他の外国軍隊にくりかえし破壊された苦い経験から、充分な軍事力を目標に(領土は貧しく人口も多くなかったが)厳しい節約と、たゆまざる努力で、国を守るだけでなく領土を広げるに充分な強力な常備軍をつくる。

しっかりと中央集権化され、厳しい規律に支配された国家となり、ヨーロッパ列強のひとつに。



ジャガイモの普及がヨーロッパ農業に重要な貢献(カロリーは穀物の4倍)。特に、ドイツの人口と繁栄は劇的に高まる。



イギリスにおける産業革命

企業心と発明の才は、ヨーロッパ大陸の厳しく規制された経済よりも、自由活動が可能なイギリス経済と相性がよかった。

加えて、炭田が豊富。コークスが発明され、石炭を鉄鉱石の製錬に使うことが可能となると、鉄と鉄鋼の供給が拡大、機械の部品は木ではなく金属が使われるようになる。

最も重要な変化は、石炭の燃焼による蒸気エネルギー。紡績機の動力として利用され織物の生産量が増大(しかもインドの手作業より安い)。蒸気エネルギーは輸送機関にも活用される。


産業革命により、ヨーロッパの総人口は1800年1億8700万人から1900年には4億人へ。




鎖国時代も、ひと握りの日本の知識人は、中国だけでなく西欧の学問をも学ぼうとしていた。長崎に入港が公認されていたオランダ船が持ち込んでくる書籍を通じて、外国の学問は浸透していた。

1854年、将軍が鎖国政策を捨てることに決めたとき、自国がとるべき新しい政策を明確に頭に描いている人たちが、少数ながら活発な集団として存在していた。

日本の開国は、いわば銃の引き金をひいたようなものだった。

ヨーロッパ文明を、これほどうまく受け入れる用意ができていたアジア民族はほかになかった。

近代的な陸海軍の建設が最初の目標となった(指導者はその必要性を知っていた)。

一刻もはやく軍事強国になるために、独自の産業革命に突入した。

多くの困難がともなった。工場はうまく動かず、粗悪な製品を作ることもあった。しかし、断固として改良への努力を惜しまなかった。まず手をつけたのは、外国製品をできるかぎり精密に模倣することだった。このようにして次第に成功していった。


工場の支配人は、国に奉仕し、上司に従い、部下を訓練し保護することが自分たちの義務と考えた。その姿勢は、何世紀にもわたって日本を支配してきた武士階級の倫理に由来。勇気、忍耐、忠誠といったかつての武士の美徳は、製鉄所、繊維工場、造船所などの建設や経営の面で大きな役割を果たす。

会社や工場での人間関係も、武士と農民との関係にならう傾向があった。労働者は支配人の命令や指示に従い、それとひきかえに一生の面倒を見てもらう。不況のときでも解雇されない。そのかわり絶対の忠誠ときびしい服従とが期待された。



政府は早くから初等教育制度を重視。日本の子どもたちは全員文字が読めるようになった。西欧式の技術専門学校や大学がいくつもつくられた。

その結果、1930年頃になると、科学者たちは世界の知識に貢献しはじめ、技術者や技師たちは世界のどの国にも負けないだけの能力を身につけていた。