「ホモ・デウス(下)」★★★★☆ | Jiro's memorandum

Jiro's memorandum

泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

人工知能が人間を超えるシンギュラリティの時代到来で世界はどう変わるのか。

 

ロボットが人間を支配するSFの世界が実現するのかどうか。

 

 

私のような一般人には、まだまだぼんやりとしか考えることができないが、様々な分野でテクノロジーが加速度的に進化している中、最先端にいる人たちは真剣にシミュレーションし始めていると思う。

 

いずれにしても、農業革命や産業革命とはけた違いの大変化が起きてもおかしくない、ということは非常に感じました。

 

また、孫正義氏が、とにかくこれからはAIに投資する、と言っているワケについても、本書を読んで納得しました。

 

 

以下、備忘

 

知識の公式

中世ヨーロッパ 知識=聖書×論理

科学革命後  知識=観察に基づくデータ×数学

人間至上主義後 知識=経験×感性

 

進歩の列車は再び駅を出ようとしている。ホモ・サピエンスと呼ばれる駅を離れる最後の列車となる。この列車に席を確保するためには、21世紀のテクノロジー、とくにバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの力を理解する必要がある。これらの力は蒸気や電信の力とは比べ物にならないほど強大。21世紀の主要な製品は、体と脳と心で、心と脳の設計の仕方を知っている人と知らない人の格差は大幅に拡がる。サピエンスとネアンデルタールの間の隔たりさえ凌ぐだろう。進歩の列車に乗る人は神のような創造と破壊の力を獲得する一方、取り残されれる人は絶滅の憂き目に遭いそうだ。

 

進化論によれば、住み処、食物、交尾相手など、何についてであれ動物が行う選択はみな、自分の遺伝子コードを反映している。

 

チェス、自動車の運転、病気の診断、テロリストの割り出し、これら高い知能を必要とする仕事は意識のある人間しかできなかった。ところが今では、人間よりはるかにうまくこなす。そうした仕事はみなパターン認識に基づいており、意識を持たないアルゴリズムがパターン認識で人間の意識をほどなく凌ぐかもしれない。

 

人間が一生かかっても見つけられないほど多くの判例を検索アルゴリズムが一日で見つけ出したり、脳スキャンで噓やごまかしを見破れるようになったりしたら、大勢の弁護士たちはどんな運命をたどるのか?

 

もし私たちがすべてを結びつけ、バイオメトリック機器や、DNAスキャンの結果や、医療記録へのアクセスをグーグルなどに許せば、全知の医療保険サービスが手に入り、感染症と戦ってくれるだけでなく、癌や心臓発作やアルツハイマー病からも守ってくれる。

 

グーグルが正しい判断を十分積み重ねていけば、人々はしだいにグーグルに権限を与えるようになるだろう。そうすると、データベースが充実し、統計が精度を増し、アルゴリズムが向上し、決定がなおさら的確になる。

 

私たちは、この全知ネットワークから一瞬でも切り離されてはいられなくなる日が来るかもしれない。切り離されたら、それは死を意味する。

 

21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、人間ではないアルゴリズムに権限を与えるかもしれない。責任はコンピューターマニアではなく生物学者たちにある。生き物はアルゴリズムであると結論したのは生命科学だった。

 

一部のアップグレードされた人間(超人)が、前代未聞の能力と空前の創造性を享受する。彼らは、世の中の最も重要な決定の多くを下し続け、社会を支配するシステムのために不可欠な仕事を行う。ほとんどの人はアップグレードされず、コンピューターアルゴリズムと新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる。

 

最新の生物学の定説では、情動や知能はたんなるアルゴリズムにすぎない。

 

自由市場資本主義者が市場の見えざる手の存在を信じているように、データ至上主義者はデータフローの見えざる手の存在を信じている。

 

自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない。

 

もはや感情は世界で最高のアルゴリズムではない。グーグルとフェイスブックのアルゴリズムは、あなたがどのように感じているかを正確に知っているだけではなく、あなたに関して、あなたには思いもよらない他の無数の事柄も知っている。したがって、あなたは自分の感情に耳を傾けるのをやめて、代わりにこうした外部のアルゴリズムに耳を傾けるべき。

 

生命が本当にデータフローに還元できるかどうかは疑わしい。生き物はけっきょくアルゴリズムではないことが判明するかもしれない。

 

1 科学は一つの包括的な教義に収斂しつつある。それは、生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。

2 知能は意識から分離しつつある。

3 意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。

 

1 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?

2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?

3 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

 

 

人間至上主義に取って代わるものとして最も有力なのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義。データ至上主義の観点に立つと、人類全体を単一のデータ処理システムとみなし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができる。この効率化の極致が「すべてのもののインターネット」。

 

 

※参照:「ホモ・デウス(上)」