続きです。
例えば、次のような挿絵が1948年の号には登場します。
年端もいかないような子供が銃を構えています。
この挿絵が掲載されているのは、下の表紙の号です。
歓喜する兵士とその歓喜の輪に加わる子どもという絵に見えます。
パレスチナでは1948年(イスラエルの独立宣言)より前もその後も、武力を用いなければユダヤ側もアラブ側も相互にその生存が脅かされる状況が続いていたはずですが、この雑誌に関しては1948年発行号にとりわけこうしたイメージが多く掲載されていました。
それだけイスラエルの建国が危うい状況にあったからだろうと思われます。
というのも、1949年以降の同雑誌にはこうした愛国的なというのか緊迫したような絵はあまり登場しないからです。
ちなみに、上の挿絵と表紙絵にはどちらにもグットマンのサインが入っています。
1948年発行の号から他に紹介すると、
おそらく、兵士と子どもが触れ合っている景色。
日本でも戦中に発行された雑誌には愛国的な文章や挿絵がこれでもかと掲載されましたが、それらと比較した時、グットマンの挿絵はちょっと違うのかなとどこか感じられるところがあります。
上の三つの挿絵は、どの絵も単純に自国(イスラエル)万歳という一方的なメッセージだけではないようにも感じられます。
想像するしかないのですが、グットマンの眼差しはおそらく、子どもが守られる(守られた)ということにあったのではなかったか。子どもたちが守られるには、イスラエルという今さっき生まれたばかりの国がなくなってはならない。
グットマンの中で、生まれたばかりの国(イスラエル)と子どもたちというのはもしかしたら等しい存在であったのかもしれません。