イコン(聖像画)と言うと、修道士が修行の一環として板にテンペラで描くもの、というのが一般的なイメージかもしれません。それはその通りで今でも実際にそうしてイコンは描かれています。
一方で、19世紀の比較的早い時期には、イコンを分業制で描く「工房」というスタイル(というか商売)がロシアで出現します。
このあたりの事情はゴーリキーの自伝的小説(『幼年』だったかな?)に活き活きと描かれていて、それを読むと、板を作る職人、下地を塗る職人、下絵を描く職人、色を塗る職人、最後に眼を入れる職人、という具合に幾人もの人の手を経てイコンが作られる様子がよくわかります。
ここまでは一人で描くか分業で描くかの違いでしたが、ところが、それから少し後の19世紀の中葉あたりから、技術革新も手伝って(ドイツからの印刷技術の導入)、石版(リトグラフ)でイコンを大量生産することが可能になりました。そうしたイコンを売る工房がいくつか現れました。初期のものは紙に印刷するスタイルでした。
紙ということもあって現存するものはかなり少なく、当方の手許には下↓の一点があるだけです。
(石版+紙のイコンについては Jacquot & Bonacœurのイコン(番外編) に後日少々書きました。)
そのような中、Jacquot & Bonacœur工房(モスクワ)は、リトグラフを用いた質の高い多色刷りの金属製イコンを開発し、たちまち人気を博しました。それ以前の石版刷(紙のもの)とは一線を画す出来映えであったことに加え、手描きのイコンよりもかなり安価であった為、手描きのイコンを駆逐するような勢いを見せることになりました。
こうした状況を受け、当時の皇帝(ツァーリ)ニコライ2世が手描きイコンを保護する為の対策を命じたほどに・・・
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