文明の担い手は“組織”を動かすマネジメントである - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/14839 より
『 diamond.jp 11月14日00:06
文明の担い手は“組織”を動かすマネジメントである - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言

「マネジメントのリーダーシップなくしては、生産資源は資源にとどまり、生産はなされない。彼らの能力と仕事ぶりが、事業の成功さらには事業の存続を左右する。マネジメントこそ、企業が持ちうる唯一の意味ある強みである」(ドラッカー名著集(2)『現代の経営』[上])

 産業社会は社会として成立するか、それは社会的存在としての人間を幸せにするかとの問いを発したドラッカーが、当時世界一の自動車メーカーだったGMにおいて、一年半をかけ、すべての重要な会議を傍聴し、すべての主要な事業所を訪問して下した結論が、「成立する」「幸せにする」だった。

 しかし、それには条件があった。それが“マネジメントの体系化”である。ところが、組織のマネジメントについての文献はおろか、研究さえ、ごくわずかしかなかった。それらごくわずかのものさえ、役には立たなかった。いずれも企業活動の一つの側面を取り上げているにすぎなかった。

 GM研究の成果たる『企業とは何か』は、世界中でベストセラーになり、世界中の企業で組織改革の教科書になった。フォード・モーター社を救い、GE(ゼネラル・エレクトリック)を立て直した。

 ドラッカー自身は、GMに続き、GEやシアーズ・ローバックの経営を指導した。ところが、その間、つまり1950年代に入ってもまだ、マネジメントについての体系的な研究や文献は現れなかった。そこで、ドラッカーが行なったことが、マネジメントの世界の地図を描き、欠けているものを明らかにし、それを自ら生み出し、体系としてのマネジメントをまとめ上げることだった。

 こうして生まれた世界で最初の本格的なマネジメント書が1954年刊行の『現代の経営』であり、ドラッカーに“マネジメントの父”としての地位を与えるものだった。この本は、今日に至るも、経営者の座右の書となっている名著である。しかも、経営する者に気概を与える書である。

「マネジメントとは、現代社会の信念の具現である。それは、資源を組織化することによって人類の生活を向上させることができるとの信念、経済の発展が福祉と正義を実現するための強力な原動力になりうるとの信念の具現である」(『現代の経営』[上])』



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予測はせずとも見えてくるグローバル化の流れ - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/14732 より

『 「おそらくは1970年代から国民国家の基盤がゆるぎ始めた。いくつかの分野では、国民国家はすでに唯一の意味ある存在ではなくなりつつある。あらゆる政府が、一国だけではもとより、多国間協力によっても対処できない問題に直面している。それら新しい問題は、それ自身主権を有するグローバルな機関を必要とする」(ドラッカー名著集(8)『ポスト資本主義社会』)

 ポスト資本主義社会における“ポスト”とは、○○の後という意味である。したがってそれは、資本主義社会の後の社会である。

 今から15年前の1993年、すでにドラッカーは、われわれが資本主義社会から抜け出し、ポスト資本主義社会という“転換期”にあることを確認し、その様相を描写した。その一景がグローバル化の進展だった。

 ドラッカーは、もはやグローバル化は、経済と情報だけの問題ではないとした。

 第一が、地球環境問題である。人類の生息地としての大気であり、大地である。地球の肺臓ともいうべき熱帯雨林であり、海洋である。加えて、温度である。しかも一方には、途上国の産業需要の増大と、生活水準の向上が控えている。

 第二の分野が、テロの根絶である。私兵の復活と一部国家の私兵化の阻止である。たとえば、核爆弾を大都市のロッカーや郵便箱に仕掛ければ、遠隔操作で爆発させることができる。炭疽菌の入った細菌爆弾を使えば、大都市を居住不能にすることもできる。すでに9.11同時多発テロがあった。

 第三が軍備の管理、とりわけ核の不拡散である。

 じつにすべてが洞爺湖サミットで議題となったものだった。

「現在必要とされているグローバルな諸機関の構想は、いずれもいまだ提示さえされていない。創設にどのくらいの時間がかかるかも分からない。各国の政府が、そのようなグローバルな機関とその決定を受け入れるには、何らかの破局的な事態を経験しなければならないのかもしれない。しかし、今後数十年にわたって、グローバルな機関を構想し創設することが、政治の中心課題となる。すなわち、国民国家の行動を制限することが、外交内政のいずれにおいても中心課題となる」(『ポスト資本主義社会』)』



企業は社会的組織であり共通の目的に向けた活動を組織化するための道具である - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/14638 より
『 「企業が社会や人間のために働くには、事業体として機能できなければならない。したがって、利益をあげつつ財サービスを生み出すことが、企業を評価するうえでの必須の尺度である」(ドラッカー名著集(11)『企業とは何か』)

 ドラッカーは、いかなる経緯でマネジメントを体系化し、“マネジメントの父”とされるようになったのか。もともとは、1909年にウィーンで生まれたオーストリア人である。ギムナジウムを卒業した後は、ドイツのハンブルク大学に籍を置きながら、商社マン見習いとして自活した。

 1年半ほどしてフランクフルト大学に籍を移し、米国系の証券会社にアナリスト見習いの職を得る。株式市場の大暴落に遭遇して職を失ったが、ただちに地元の新聞社で国際経済担当の記者となる。

 やがて、博士号を取得して無給の助手をしていた頃に、ヒトラーの政権獲得に逢着し、文筆家としても教員としても、ドイツでは将来のないことを察知する。そしてフランクフルトを去る最後の夜、新聞社の先輩記者からナチスへの入党を誘われ、世直しに手を貸すよう頼まれる。

 その夜、目の前に浮かんだヨーロッパの景色、経済を至上のものとする資本主義と社会主義の失敗がファシズムを招いたことを描写して分析したものが、6年後に処女作『「経済人」の終わり』として発表され、後の英国首相チャーチルから絶賛を受ける。

 3年後の42年には、第二作『産業人の未来』において、経済至上主義の後を継ぐべきものとして、産業社会を提示する。これを読んだ当時世界最大の自動車メーカー・GMの幹部に請われ、同社を1年半にわたり調査・分析した結果が、46年にまとめられた『企業とは何か』だった。ただちに世界中で組織改革の教科書となる。

 若い頃のドラッカーは、政治学者である。しかし、『経済人』『産業人』『企業とは何か』の政治三部作が、じつはドラッカー経営学の基盤となった。そこから、『現代の経営』『創造する経営者』『経営者の条件』の経営三部作が生まれ、われわれ人類にとってのマネジメントが体系化されたのだった。

「企業は社会的組織である。それは、共通の目的に向けた一人ひとりの人間の活動を組織化するための道具である」(『企業とは何か』)』

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株主至上主義によって“産業が機能する社会”は構築することができるか - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/14542 より
『 「もはやわれわれは、社会の基盤としての“経済人”の理念を維持することはできない。われわれは、人間の本質および社会の目的についての新しい理念を基盤として、自由で機能する社会をつくりあげなければならない。しかしわれわれは、その新しい理念が何であるかを知らない」(ドラッカー名著集(10)『産業人の未来』)

 今から約70年前の1939年、ドラッカーは、処女作『「経済人」の終わり』を書いた。「経済人」とはエコノミック・マン、すなわちエコノミック・アニマル、経済至上主義のことだった。ドラッカーの目には、すでに経済至上主義が終わったと映っていた。

 では、その後に来るのは何か。ドラッカーは、第二作の書名を『産業人の未来』とした。これほどに野暮ったい書名も珍しい。

 だが、ここでいう「産業人」こそ、現実に産業界で働く人のことである。特に、会社という名の組織に働く「組織人」のことである。よりよい社会をつくるのは、それら企業の社長、部長、係長である。

 世のため人のために優れた財・サービスを提供する「産業人」が、文明をつくる。

 ところが、80年代の米国での会社乗っ取りブームが、無能な経営者を叱咤すべき存在としての株主に至上の地位を与えた。そして、その株主至上主義が、原油価格高騰によるオイルマネーの怪物化を受け、経済の様相と社会の様相を急激に変貌させつつある。

 いまや、一定の短期利益を上げない役員会は、産業活動の経験のない投資ファンドによって信任を拒否され、“機械的に排除”されることがあるのだという。

 そんな権力を手にした新種の株主が、株式会社という“有用だが脆かった制度”を壊すことさえ危惧される。

「自由で機能する社会を可能とするには、企業をコミュニティへと発展させることが必要である。産業社会は、企業が自らの成員に対し、社会的な位置と役割を与えるときにのみ機能する。そして企業内の権力が、その成員による責任と意思決定を基盤とするとき、産業社会もはじめて自由となる。今日必要とされているものは、全面計画でも、一九世紀のレッセフェールでもない。分権と自治を基盤とする産業現場の組織化である」(『産業人の未来』)』



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RT @siteviewer 現代日本が抱える機会不平等にも通じる“経済至上主義” - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/14440 より

『現代日本が抱える機会不平等にも通じる“経済至上主義” - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言

「経済的自由によって平等を実現できなかったために、ブルジョア資本主義はそのもたらした物質的恩恵にもかかわらず、プロレタリアだけでなく、経済的、社会的に大きな恩恵を受けた中流階級の間でさえ、社会制度としての信用を失った」(ドラッカー名著集(9)『「経済人」の終わり』)

 生産手段を人民のものにするというマルクス社会主義の処方もブルジョア資本主義と同様、約束した平等は実現できなかった。しかも両者は、経済を中心に置く経済至上主義だった。

 ドラッカーの処女作、一九三九年の『「経済人」の終わり』でいう「経済人」とはエコノミック・マン、すなわちこの経済至上主義のことだった。しかし、当時、経済至上主義たるブルジョア資本主義とマルクス社会主義に代わるものとしての脱経済至上主義は、ファシズム全体主義しかなかった。

“現代社会最高の哲人”とされ、“マネジメントの父”とされたドラッカーの問題意識は、ここに端を発していた。

 しかし、ファシズム全体主義という逃げ場さえ用意されていないとき、社会から疎外された者はどこへ行くのか。だからこそ、ドラッカーは行き過ぎを懸念しつつも、日本の会社主義に期待していたのである。あるいは、カルト集団が事件を起こしたとき、社会の病の劇症としてとらえたのだった。

 経済のために生き、経済のために死ぬという経済至上主義からの脱却を説いたドラッカーの問題意識は、じつに約70年を経た今日、ニート、フリーター、契約社員、委託先社員、アルバイトなど、非正規社員の問題を抱えるわれわれの問題意識とまったく同じである。

 ドラッカーは、かつてフォード・モーター社が、賃金を三倍に引き上げることによって、定着率を高めて労務コストを下げ、米国の中流社会化の口火を切る偉業を成し遂げたという昔の物語を伝える。その志を、現代日本に期待するのは無理なのか。

「一人ひとりの人間は、その意味を受け入れることも自らの存在に結びつけることもできない巨大な機構の中で孤立している。社会は、共通の目的によって結びつけられたコミュニティではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌たる群集となった」(『「経済人」の終わり』)』



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RT @siteviewer 中国 12匹の赤ちゃんパンダ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111008/k10013127081000.html

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社会責任と経営戦略を両立させる「経済人」を超えて - ドラッカーの慧眼 http://diamond.jp/articles/-/13714
より

『本稿が発表された1955年の日本産業界といえば、その翌年の『経済白書』で「もはや戦後ではない」と宣言されたように来るべき高度成長期に向けた胎動期であり、また助走期でもあった。

一方アメリカ産業界は、日本がその10数年後に迎えることとなるジレンマに直面していた。国際経済における覇権を手にしていながら、労働組合との折衝に疲弊し、企業資本主義は曲がり角を迎えていた。

このような時代の変わり目において、ドラッカーは経営者の基本原理を説く。すなわち、「道徳的目的」と「経済的目的」の同時実現である。時代は変われど、この普遍の理はいまなお経営者が向き合うべき課題である。

「経済人」と「道徳人」の両立

 1世代前のアメリカでは、マネジメントは次の2つを柱としていた。

 (1)設定された目的を達成するために、長期計画および体系的な組織を重視すること。

 (2)経営者の社会的および道徳的責任を常に認識すること。それは同時にスキルおよび業績水準の向上を必要とする。

 これら2つを同時に実行した場合の効果は、この国のマネジメントに関する理論と実践を1変させるものと考えられてきたが、多くの場合、2つの基本方針は別々に進められてきた。

 それぞれの方針を実践したのは、人種も言語も異なる人たちで、しかもその目的も違っていた。外部の者がこれら2つの方針をまったくの別物と考えたとしても、それは仕方のないことだった。

 2つの基本方針は、どちらも企業経営という共通する活動に関係していることは言うまでもない。ただし、1人の経営者によって同時に実行されるものである。したがって経営者は、9~10時までは実務上の意思決定を下す「経済人」として、10~11時まで多様な責任から解放された「道徳人」として行動するわけではないのだ。

 思慮深い経営者たちは、現代の経営の柱となるこれら2つを1つの経営課題として統合させる必要性を長い間感じてきた。年を追うごとにその必要性は高まってきている。

 人材マネジメント、そして倫理的かつ精神的な基本価値の認識、これらを長期計画に組み込まなければ、経営者に課せられた事業目標の達成は難しくなるだろう。そして企業の社会的あるいは道徳的ニーズを満たすために、合理的かつ体系的な長期事業計画がますます必要になっている。』






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RT @siteviewer イノベーションに成功する者は左脳と右脳の両方を使う - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://diamond.jp/articles/-/13962 より

『 「イノベーションとは論理的な分析であるとともに、知覚的な認識である。イノベーションを行うにあたっては、外に出、見、問い、聞かなければならない」(ドラッカー名著集(5)『イノベーションと企業家精神』)

 ドラッカーは、1000件に上るイノベーションの事例を集めて、それらの発想に至る契機を一つひとつ調べて分類していったと伝えられる。

 世界は複雑で膨大だからこそ、一つひとつを調べていく。だからこそ思わぬ発見をする。ニューヨーク大学の大学院で夜間の授業を担当していた頃のことである。

 発明発見は、イノベーションの種としては、成功の確率は高くなかった。逆に日常業務における予期せぬことがイノベーションとして成功していることがわかった。

 ドラッカーは、イノベーションの機会は7つあるという。それを打率順に見ると、予期せぬ成功と失敗、ギャップ、ニーズ、産業構造、人口構造、認識の変化、発明発見というように並んだという。

 これらイノベーションの機会は、市場の分析と技術の分析によってさらに詳しく知ることができる。

 しかし、左脳の出番はここまでである。ここから先、いよいよイノベーションを成功させるのは右脳だという。イノベーションに対する社会の受容度は、知覚によって知らなければならない。理論ではない。顧客にとっての価値も、そのようにして知らなければならない。製品化へのアプローチの仕方が、やがてそれを使うことになる人たちの行動や期待にマッチしているかも、知覚によって知らなければならない。

 こうして初めて、やがてそれを使うことになる人たちが、そこに価値を見出すようになるには、何と何が必要かとの問いを発することができるようになる。さもなければ、せっかくのイノベーションも間違ったかたちで世に出すことになる。そして失敗し、誰か後発の者に実りを持っていかれる。

「イノベーションに成功する者は左脳と右脳の両方を使う。数字を見るとともに人を見る。いかなるイノベーションが必要かを分析をもって知った後、外に出て、知覚をもって顧客や利用者を知る。知覚をもって、彼らの期待、価値、ニーズを知る」(『イノベーションと企業家精神』)』




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RT @siteviewer お月見シーズン迎える中国、当局の「月餅税」に批判の声 http://ur.ly/10qmS より

『 中国の「お月見」、中秋節が9月12日に迫っているが、職場で配られる月餅に税金を科すいわゆる「月餅税」が話題になっている。庶民の楽しみに課税するのはいかがなものか、との批判の声が多いようだ。

 中国では月餅を食べながら月を見る風習があり、中秋節の前に互いに月餅などを送りあう習慣がある。職場も例外ではなく、オフィスでの月餅の贈り合いはかなりのビジネスだ。

 今回の「月餅税」では、職場で受け取る月餅を所得の一部として課税対象にするというもの。

 広東省・広州にある小規模な国営企業のマネジャーは、「中秋節は家族が集まる行事だ。従業員を思いやる企業が税務当局の標的となっている」と語り、「(月餅税は)人々の気持ちを害する」と批判した。(ロイター)』より

かわった税ですね。



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@siteviewer 知識社会とは組織社会組織を使いこなすためのマネジメントが必要になる - 3分間ドラッカー 「経営学の巨人」の名言・至言 http://ur.ly/ZxiA より

『 「知識労働者は必然的に専門家たらざるをえない。ということは、組織と関わりながら働くことを意味する。成果をあげるうえで必要な継続性を提供できるものは、組織だけである。専門化した知識に成果をあげさせられるものは組織をおいてない」(『イノベーターの条件』)

 われわれは今、マネジメントに関して、1550年頃のヨーロッパ人が持っていた米国についての情報ほどにしか知らないのではないかと、ふと思う。

 個を重視するドラッカーが、組織社会では、成果をもたらすのは個人ではないという。個人は成果の発生源というよりも、コストの発生源である。成果をもたらすのは組織である。組織社会における組織の役割は、それほどに大きい。

 産業革命以降、生産手段が大規模化したために、ほとんどの人間が、生計の資を組織に求めるようになった。加えて、自己実現の場を組織に求めるようになった。

 しかも、必要とされる知識が高度になったために専門化し、一つの知識では成果をもたらしえなくなり、組織を通じて働くことが当然となった。知識が力を発揮するのは他の知識とコラボレーションしたときである。

 そのうえ、人は入れ替わる。継続性を保証するのは、個人ではなく、組織である。

 したがって、知識社会とは、ほとんどの社会的機能が、組織のなかで、あるいは組織を通じて遂行されるという組織社会である。だからこそ、組織を使いこなさなければならない。

 その組織の運営の仕方がマネジメントである。ところが、組織社会の到来があまりに最近のことであるために、組織の使命の実現についても、組織に働く人たちの自己実現についても、マネジメントの発展はいまだ緒に就いたばかりの段階にある。

 ドラッカーは、マネジメントを発明したことで有名である。しかしわれわれは、そのドラッカーが発明したものを、知った気でいながらも、まだ十分に知らないのではないかと思うのである。

「組織は、いかなる名でよぼうともマネジメントに相当するものを必要とする。その組織が目的とするものが何であるにせよ、すべてマネジメントを必要とする」(『イノベーターの条件』)』



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