2025/05/03 東京新聞朝刊
土曜プレミアム 再読 あの言葉 2017年8月15日 朝刊掲載 <きょうは憲法記念日>
3日は憲法記念日です。作家で作詩家のなかにし礼さんは生前、戦争の闇を語り、その闇の深さから生まれた憲法を「最高の芸術作品」と呼びました。戦後80年の節目に、平和憲法の保持を訴えたなかにしさんの2017年のインタビューを振り返ります。
-せい絶な引き揚げ体験がおありですね。
満州へ両親が北海道の小樽から渡ったのは昭和8(1933)年。酒造りで成功し、私は昭和13年に生まれました。穏やかな時が流れていたのに、にわかにソ連軍が侵攻してきました。
昭和20年8月11日の午前10時ごろです。家の庭にいると、ソ連軍の爆撃機が、道一本隔てた陸軍の兵器庫を大爆撃したわけです。僕は吹き飛ばされ、家は爆風でガタガタになりました。
父は長春に出張中で留守でした。母は「一日も早く逃げるべきだ」と即断します。関東軍に掛け合い、軍人とその家族を避難させる列車に自身と私、7歳上の姉を潜り込ませました。
夜陰に紛れて出発した列車には千何百人も乗っていました。国を守るべき軍人がいち早く国民を捨てて逃げるのです。翌朝、列車が機銃掃射を受けます。われ先に逃げたのはふんぞり返っていた少佐らしき軍人でした。
機銃掃射の時、母は「おまえは小さいんだから座席の下に隠れなさい」と僕を座席の下に押し込み、外へ飛び降りて逃げた。僕は、親から見捨てられた気分になりました。列車に戻ってきた母は「これからは自分の意思で逃げて、自分の意思で生きなさい」と。
-ハルビンまでの逃避行では、ご著書に印象的なシーンがあります。
はい。列車が大きな川にさしかかると、鉄橋は今にも壊れそうです。全員下車して川を渡り、貨車だけを通しました。ぬれた体で向こう岸に着き、列車に乗ろうとすると、長野県からの開拓民たちが押し寄せてきました。病人だけでも乗せてくれと、無蓋(むがい)列車の箱枠にしがみついてきます。
将校は私たちに「その手を振り払え」と叫びます。僕は最後尾の貨車だったので、彼らの手の指一本一本をもぎとるようにはがしていきました。
その指を離せば彼らはそこで餓死するか、歩いて疲れ死ぬか、中国人の暴動で死ぬかです。逆らえば、僕たちも殺される。見殺しという言葉がありますが、見殺しに加担したことが僕の幼年期の第一の罪の意識です。はがされる人の指の感触も、顔も覚えています。
満州で敗戦を迎えた私たちは3度にわたり、国家から見捨てられたわけです。1度目は、関東軍によって棄民されます。2度目は、「居留民はできるかぎり現地に定着せしめる」という外務省からの訓電です。そして3度目は、引き揚げ政策のGHQ(連合国軍総司令部)への丸投げでした。
-引き揚げ船に乗ったのは翌年ですね。
そこでも大人たちの姿に幻滅しました。満州でソ連兵の女狩りに協力した避難民へのリンチ劇…。夜には大人の男女がもぞもぞと重なり合い、うめき声をあげる。
少年心にも、生きていてもしょうがないと。夜の暗い甲板から姉と一緒に死のうとした時、船員さんに止められます。『リンゴの唄』を聞かされ、「君たち、死んではいけない。今、日本では皆この歌を聞きながら、焼け跡から立ち上がろうとしているんだ」と。
僕は、なぜ平気でこんな明るい歌が歌えるんだろう、と思いました。僕らは玄界灘の真っ暗な海の上をさまよい、まだ戦争は終わっていない。なのに日本人はもう新しい出発をしている。悲しくて。僕にはとても残酷な歌でした。
中国残留孤児が日本人の生活を見たらどう思うでしょうか。自分たちの戦争はまだ終わっていない。国にも帰れない。やっと訪れたら、自分たちのことなんて忘れて、裕福に生活している。ものすごい悲しい状況でしょう。日本人の得意技ですが、過去を忘れるのが早すぎないでしょうか。私たちはいまだにそうした『リンゴの唄』を歌い続けているわけですよ。
-日本国憲法を「芸術作品だ」と表現されていますね。
地獄の底でも落ちる深さが深いほど、跳躍する高さは高くなるでしょう。あの戦争でアジア全体で2千万人以上が亡くなった。大変な犠牲を払い、ついに手に入れた最高の憲法ですよ。
米国の押しつけだとか言いますね。けれど、これは戦後日本の再出発の宣言書なんです。世界に向けた宣言書。各国が認めて、反対しませんでした。世界が希望する国の形を与えてくれたとも、われわれが選んだとも言えます。大きな歴史のうねりの中で生まれた。本当に奇跡的な、最高の芸術作品だと思います。
その憲法のもとでとにかく戦争しないでやってきました。何が不都合なのでしょうか。国民は誰ひとり戦争が起きて幸福にはならないのに、なぜ改憲に賛成しなきゃならないのか。
昭和20年までの軍国主義によってどれだけの人を悲しませ、苦しませ、犠牲にしたか。そして愚かな戦争によってどれだけの若者たちが無駄死にし、犬死にし、飢え死にしたでしょうか。そして、中国人や韓国人に対してどれだけの過ちをしたか。そうしたことを本当はもっと国民に知らせるべきなんです。
なかにし・れい
1938年9月、中国黒竜江省(旧満州)牡丹江市生まれ。作家、作詩家。日本レコード大賞を「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で3度受賞。小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞。著書に「夜の歌」「天皇と日本国憲法」「生きる力」など。2020年12月、心筋梗塞のため82歳で死去した。
記事中の表現は当時のまま、再構成して掲載しました。「再読 あの言葉」は原則、毎月第1土曜日に掲載、次回は6月7日に掲載します。