2025/04/12 信濃毎日新聞朝刊
 須坂の牧さんの出来事、本紙で知った長野の松宮さん 悲惨な歴史―自分ができる形で残したい

 満蒙開拓団を支える「勤労奉仕隊」として、かつて14歳で満州(現中国東北部)に渡った牧よし子さん(94)=須坂市須坂=の体験を、長野市皆神台の松宮忠さん(76)が詩にした。2月22日付の本紙で牧さんの記事を読み、「いても立ってもいられなくなって」訪ねて話を聞き、イメージを膨らませた。満蒙開拓について詳しく知らずにきた自身の経験から、牧さんの身に起きた出来事を自分ができる形で残したいと考えた。

<「日本(さと)の父母助けてくれと 叫ぶことすら我慢して」>
 上高井郡綿内村(現長野市若穂綿内)出身の牧さんは1945(昭和20)年春、開拓団の農繁期の労力不足を補う奉仕隊に、最年少の一人として加わった。学校の教員に勧められて「半年で帰ってくる旅行気分」で渡満したが、8月9日、ソ連軍の侵攻で生活は一変した。壮絶な逃避行中にはぐれた同じ村出身の同級生は中国残留婦人に。再会できたのは72年の日中国交正常化後だった。

 完成した詩の題は、「満州の空の下」。牧さんらが貨物船で満州へ赴く場面に始まり、決死の逃避行に至る3節。「生きて日本に帰りたいという一心で逃げたのではないか」と松宮さんは思いをはせ、「日本(さと)の父母助けてくれと叫ぶことすら我慢して」という句に切実さを込めた。

 長電バス(長野市)に運転士として44年勤めた松宮さんは、これまで約840の詩を作り、中には作曲家に依頼して歌にしたものもある。身近に戦争体験を語る人がいなかったこともあり、この詩にも「曲が付き、歌う人が現れ、多くの人に伝わるといい」とも思い描く。

 「こんな年まで生きるとは思わなかった。今は幸せ」と話す牧さんは、高等科卒業と同時に渡満した当時を「(大人に)言われた通り、信じるしかなかった」と振り返る。逃げる途中、銃で自殺を図る男性や、亡くなった子を背負った母親、親とはぐれた幼子など、極限状態の日本人の姿を見た。松宮さんの詩を前に、「あの悲惨な経験は、絶対に他の人にはさせたくない」と力を込めた。