2024/08/15 東京読売新聞

 日本は日露戦争(1904~05年)で20万人以上の戦死傷者を出した結果、南満州で鉄道の運営権などを獲得したものの賠償金は得られなかった。国内では不満がたまり、民衆が暴徒化する「日比谷焼き打ち事件」も起きました。

 世論の突き上げを受けた政府が「兵士の死は無駄ではなかった」と主張するために、満州は「価値ある存在」でなければならなかったのです。

 しかし、当時の満州は荒野が広がるばかりで、近代的な都市はない。政府は価値を高めるため、国策で南満州鉄道といった企業を作り、資本を投下して都市基盤を整備しました。理想郷を意味する「王道楽土」という標語を掲げ、開拓団も入植させます。いわば満州という種に水と肥料を与え、成長させていったのです。

 この過程で陸軍は満州事変を起こし、支配する領域を広げた。32年には傀儡国家・満州国を建設します。

 <国際社会はどう見たか>
 この動きを容認しませんでした。国際連盟は33年の総会で、満州における中国の主権を認め、日本軍の撤退を求める勧告案を採決します。日本は反対しましたが、圧倒的な賛成多数で採択された。これを受けて日本は連盟を脱退し、国民は政府の決定を支持しました。自分たちの税金で開発した地域を取り上げられたくないという感覚があったからだと思います。

 ただし、満州では石炭や鉄鉱石は産出されましたが、当時、石油は出なかった。日本は石油を求めて東南アジアを狙い、米国との対立が決定的になります。

 <満州という土地が新たな戦争を引き寄せたということか>
 満州の存在が次第に重荷になりつつも、投じた価値を守るために国際的に孤立し、太平洋戦争に突入していった。これが僕の解釈です。連盟を脱退したときの総会で日本の全権代表だった松岡洋右(ようすけ)は「満州の地には10万の英霊が眠っている」と発言しています。日本は犠牲者の魂や、投じてきた資本という磁場から逃れられなかったのです。

 戦争を始めるには、国民を納得させる強力な論理が必要で、それは今も変わらない。ロシアはウクライナを「過去に自分たちのものだった土地」と考えています。中東では「約束の地」を巡ってイスラエルとイスラム主義組織ハマスが戦っている。人々を戦争に突き動かすのは、土地を巡る情念が大きいと感じています。〈6面に続く〉