2024/08/09 新潟日報

 青く澄んだ空に白い夏雲が浮かぶ。連日の酷暑が身にこたえる。あの年の8月も、同じような青空が広がっていたのだろう。戦後79年の夏が巡ってきた

▼60年、70年という節目に当たらないからだろうか。きょうの長崎原爆忌をはじめ、例年この時期はさまざまなメディアで特集が組まれ、平和への思いを新たにする。今年はパリ五輪の熱戦に注目が集まりがちだが、あの時代の記憶が薄れることがあってはなるまい

▼日本の傀儡(かいらい)国家だった旧満州(中国東北部)で終戦を迎えた柏崎市民がいた。国策を信じて大陸に渡った、満州柏崎村の開拓団の人々である。柏崎から入植した200人超のうち、戦後の混乱、飢えや病気などで120人以上が亡くなった

▼衰弱した団員の一人は「今日はえんま市だね。柏崎はにぎやかだろうかねえ」と故郷を思い、息を引き取ったという。満州の守りを強固にし、柏崎の分村を建設する-。国から押しつけられた理想は、敗戦で無残に打ち砕かれた

▼柏崎市立博物館の前には命を落とした団員を慰霊する白い石柱が立つ。毎年8月には献花台が設けられ、市民が鎮魂の祈りをささげている。今年もセミの鳴き声が響く中、献花が厳かに続いている

▼開拓団の一員だった、89歳の巻口弘さんは講演で語った。満州では弟たちを失った。自身は終戦後8年間、現地に取り残され、多くの辛酸をなめた…。証言できる人は今や数少なくなった。体験者の言葉を引き継いでいかなければ。炎天の下、改めて胸に刻む。