2024/08/05朝日新聞デジタル

 太平洋戦争の戦前から戦中にかけて、新潟県柏崎市から旧満州(今の中国東北部)に開拓団として渡り、命を落とした人々を追悼する「満州柏崎村の塔」で4日、今年も献花台が設けられた。7歳の時に家族で移住し、1953年に帰国した巻口弘さん(89)が献花し、約20人を前に講演した。

 巻口さんは和装販売業を営んでいた父親に連れられ、42年に柏崎開拓団として一家で海を渡った。経済統制の影響で働く場を失った人々を集めた「転業開拓団」で、農業経験者は少なく、現地の生活は厳しかったとされる。

 巻口さんは講演で、開拓団の団長が病死し、その後もリーダーが不在となった状況を「柏崎村はトップの人に見捨てられたようだった」と語った。開拓団の人々は、父親たちが召集されて不在の中、ソ連参戦と日本の敗北で逃避行を強いられた。終戦時にいた約210人のうち、帰国できたのは4割に過ぎなかった。

 巻口さんは「親の苦労を忘れないように過ごし、自分の幸せのレベルを上げることが親孝行につながると思います」と語った。

 講演会には、祖父が商工会議所で開拓団の編成などに携わっていた桜井雅浩市長も参加。講演会の開会あいさつで「塔の碑文にある『悲愁の想い』を引き継ぐのが市長の役割だ」と述べた。献花台は15日まで設置されている。(戸松康雄)

 写真 講演会で話す巻口弘さん=2024年8月4日午前9時55分、新潟県柏崎市緑町の市立博物館、戸松康雄撮影