2024/06/29 信濃毎日新聞朝刊

 17日、塩尻市塩尻西小学校の敷地内の畑。1年生50人余がヒマワリの種をまいた。

 「戦争でおうちを壊され、ご飯を食べられない人がたくさんいます」。1組の担任の中村涼子さん(51)が、ロシアの侵攻を受けるウクライナを思いながら話した。「大切なヒマワリが出てきてほしい」。1人の女の子が言った。「その気持ち、困っている人たちにきっと届くよ」。中村さんはほほ笑んだ。

 種は、市内で整骨院を営む川窪誠さん(75)が今年初めて市内の全小中学校に配った。そこには、戦時下の満州(現中国東北部)に渡り、敗戦後の混乱の中を生き抜いた母高子さんの平和への願いが脈々と流れている。

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 祖母はかたくなに口をつぐんで語ろうとしなかった。飯山市の高野理恵子さん(45)が19歳の頃のことだ。母方の祖母の川窪高子さんに、何げなく戦時中のことを尋ねた。「思い出したくないのよ」。穏やかな表情を一変させ、涙を流した。以来、何も聞けないまま、祖母は2016年に97歳で亡くなった。

 四十九日の準備に追われる中、母の郁代さん(71)からB5判ほどの冊子を渡された。祖母が古希を迎えた1988年に、子や孫の安寧を願って書き留めた手記だった。

 はやる気持ちを抑え、ページをめくった。満州(現中国東北部)に駐留する日本の関東軍の下士官だった夫の敏秋さんを追って45年1月、海を渡ったこと。ソ連の対日参戦で夫と離ればなれになって1人で逃げ惑い、朝鮮半島の平壌の収容所で飢えや寒さに苦しんだこと。雨降りの山中をずぶぬれになりながらはだしでさまよい、38度線を越えたこと…。聞けなかった祖母の体験が克明に記されていた。

 祖母は収容所で母の兄に当たる第1子を出産していた。丸々と太った男の子。夫と「男の子だったら―」と話していた通りに「勇(いさむ)」と名付けた。だが喜びもつかの間、母乳が出ない。勇ちゃんは日増しにやせていった。「どうしてやることも出来ない」。焦り、無力感、絶望…。高野さんは胸が締め付けられた。勇ちゃんは1カ月を待たずして亡くなった。

 祖母は栄養失調のためか30代で白内障を患い、総入れ歯だった。穏やかな表情の裏にあった消えることのない悲しみを高野さんは推し量った。同時に、祖母が生きて帰ってくれたから母が生まれ、私がいて、子どもたちとの今がある―。つながれた「命のたすき」の尊さと重さを実感した。

 祖父は満州では39年、ソ連との国境の守備隊に配属された。ハルビンから東へ約800キロ、関東軍が巨大要塞(ようさい)を築いた虎頭(ことう)にいた。虎頭へと鉄路が延びるのに合わせ、県内などから渡った開拓団が沿線に入植。軍馬の管理などで開拓団は軍隊と一体だった。

 関東軍は一般住民には知らせずに防衛線を南下させた。そこへソ連が侵攻し、開拓団は壊滅。戦後、生き残った人たちは厳しい視線を送った。高野さんの祖父はシベリアに抑留された。祖母はひっそりと痛みを抱え続けていた。

 祖母の手記は、高野さんの子どもたちが「分かるようになったら語りつないでほしい」と母から託された。高野さんには小中学生の4人の息子がいる。5月、歴史の授業で日中戦争や太平洋戦争について学んで間もない中学3年生の長男晃太郎さん(14)に「読んでみる?」と勧めた。

 晃太郎さんは一気に読んだ。「ひいおばあちゃんが壮絶な経験を乗り越えたから、今、僕たちがいるんだ」と思った。戦争の歴史が身近になった一方、同じような経験はもう誰にもしてほしくない―との願いも感じた。

 「命、大事にしなさいよ」。祖母のことを話す時、高野さんは子どもたちに伝えている。かつて祖母から会う度に言われた言葉だ。当時は「大げさだな」と思っていた。今、その意味をかみしめる。


 高野さんの伯父で、塩尻市で整骨院を営む川窪誠さん(75)は17日、市内の畑でヒマワリの育ち具合を確かめた。一昨年からウクライナの平和を祈って仲間と栽培。収穫した種は、油を搾ってもらうため、現地を支援する団体へ届けている。今年は今月1日に種をまいた。そこは、母がリンゴなどを育てていた畑だ。

 川窪さんは、ずっと自分が長男だと思っていた。だがある時、仏壇の引き出しから、母が持ち帰った兄のへその緒を見つけた。手記を読み、母の胸の内を察した。

 79年前の夏、満州で子どもたちが手にしていたのは木やりだった。ソ連軍に突っ込んでいく小さな影を、開拓団の国民学校の教員だった故塚田浅江さん(現千曲市出身)は、近くで手りゅう弾がさく裂する直前に見送った。17日、塩尻西小学校の1年生50人余がその小さな手に握りしめたのはヒマワリの種だった。夏には大輪の花が咲く。


 連載「鍬(くわ)を握る 満蒙(まんもう)開拓からの問い」は次の記者が担当しました。

 文・井口賢太、島田周、前野聡美、上沼可南波、藤はな、木下実咲、写真・北沢博臣、秂(いなづか)弘樹、米川貴啓、中村桂吾、池上滴