2024/06/27 東京新聞朝刊
 写真家江成常夫さん(87) まなざしの先に

 広島・長崎や米国、旧満州(中国東北部)、太平洋の戦跡などを訪ね、日本の戦争の負の遺産を追い続けてきた写真家・江成常夫さん(87)が、新たなライフワークとして庭に咲く花や昆虫、果物など身近な動植物の生と死にレンズを向けている。自らの老いも重ねながら、朽ちていく命を見つめた写真集「いのちのかたち」(論創社)を出した江成さんを相模原市の自宅に訪ねた。(加古陽治)
 5月下旬、かつて池だった広い庭の一角にかぼちゃを置き、江成さんが左手でカメラを構えた。右手は支えるだけ。握る力がないからだ。角度と距離が決まると、左手の人さし指でシャッターを押す。朝に夕に庭に出ては花や生きものを撮る。花ならば美しく咲いた真っ盛りから、落ちて朽ちるまで。人間に例えれば若者から壮年、老人、そして死後までを撮る。なぜこうした「いのちのかたち」を見つめているのか。

 「最初は無意識のうちです。海外の戦跡の取材は体力がいる(ので難しい)。でも仕事への思いは残っている。それが庭先に向けられているんです」
 ボタンの花盛りを見て、翌日も、その次の日もそこに足を向ける。すると美しく輝いていた花が、次第に朽ちていくのが分かる。「原点は戦争の死なんですが、それが九相(くそう)につながり、命の問題が見えてくる」
 「九相」とは、人間の死体が腐敗し、鳥や獣に肉を食われ、骨となり、土に帰するまでの九つの段階を思い浮かべること。九相図としても目にする想念が、身近な庭にあった。「ある日見つけた芋虫が、次の日にはオナガに捕食されてしまう。自然の摂理を花や虫が教えてくれたんです」
 朽ちたボタン、死んでバラバラになったカブトムシやカマキリは、自らの老いとも重なる。江成さんは2000年、脇の下に悪性の腫瘍ができ、ステージ4と診断された。手術や抗がん剤、放射線治療を受けて回復したが、4年間にわたりうつに苦しみ、そのころから庭の命の営みに目を向けるようになった。当時は病による死を想起したが、いま強く意識するのは、老いにより訪れる死だという。「いつ何があってもおかしくない、あすかもしれないですから」。庭先の「死」への視線は、自らの最期へのまなざしでもある。

 今年の秋で88歳。戦争花嫁として米国に渡った女性たちを追った「花嫁のアメリカ」(木村伊兵衛賞)、中国残留孤児を追った「シャオハイの満州」(「百肖像」と合わせて土門拳賞)やアジアの戦地をたどった「鬼哭(きこく)の島」など一貫して「負の昭和」を追い、日本を代表する写真家の一人として活躍してきたが、創作への意欲は衰えない。

 「最後まで人間の愚かさというか、煩悩が頭に詰まっているんでしょう。何が残せるか分かりませんが、長生きして撮り続けたいと思っています。人生100年の時代に甘えて」