2024/06/23 信濃毎日新聞朝刊 

[記憶との出合いを支える] 「誰かに着火するかもしれないから」
   中学教諭・木藤岡美緒さん

 爽やかな風が窓から吹き込む。5月17日の午後、下伊那郡泰阜村泰阜中学校の教室で、社会科教諭の木藤岡(きとおか)美緒さん(29)は3年生(6人)と向き合い、授業を始めた。

 「皆さんは明治時代がどういう時代だと考えますか」。帝国主義下の欧米列強が世界を分割する中、日本も日清、日露戦争に踏み切った。朝鮮への影響力を強め、教科書にはその隣の現中国東北部に「満州」が初めて登場する。利権を得ようとする英国やロシアの思惑にも触れている。

 「満州って教科書に載るんだ」。清水渉愛(あいる)さん(14)は少し驚いた。満州は、分村移民を送り出した泰阜村では身近にある言葉だからだ。


 村の子どもたちは小学校高学年になると、地元住民らの「満蒙開拓の歴史を伝える会」から泰阜村の分村移民について学ぶ。中学に上がると、同郡阿智村の満蒙開拓平和記念館への訪問などを通じ、地域の歴史として理解を深めている。木藤岡さんは2022年に赴任し、記念館の運営に携わる村内の島崎友美さん(39)と授業を担ってきた。

 子どもたちの受け止めは一様ではない。「忘れちゃいけない歴史」という声の一方、授業を重ねる中で「また満蒙開拓の話か…」との反応もある。祖父母の世代も戦後生まれが多く、実感を持ちづらくなっている。木藤岡さんはそうした素直な反応を受け止める。満蒙開拓について学ぶことに、子どもたちにどうしたら納得しながら向き合ってもらえるか、自問してきた。

 伝える会と泰阜中の企画で昨年11月、分村した大八浪(ターパラン)泰阜村開拓団の元団員、勝沼実さん(91)=愛知県豊川市=が生徒たちに体験を語った。

 敗戦後、ハルビンの収容所で両親を亡くし、自分の手で母親の遺体を馬車に載せたこと。弟と2人きりで日本へ引き揚げると、親戚に「おまえが満州へ行きたいと言わなければ、お父さんもお母さんも死ななかった」と言われて今も悔やんでいること。1時間半ほど話し、終盤は声がか細くなったが、語りは途切れなかった。

 勝沼さんが体験を公の場で話すのは初めてだった。予定した時間を過ぎ、「この時間だけで理解してもらうのは難しい」と本音を漏らした。ただ、じっと聞き入っていた中には、勝沼さんの話を今度は自分が次の人にどう伝えていけるか、思いを巡らせた生徒もいた。勝沼さんは今、「大きくなって、いつか分かってくれればいい」と思う。


 木藤岡さんは今年、満蒙開拓について従来の総合学習ではなく歴史の授業に位置付けた。これまで以上に深めたいと考えている。元開拓団員で、中国残留日本人の帰還に尽力した地元の故中島多鶴さんのドキュメンタリー映像なども教材に使うつもりだ。

 大学で近現代史を学び、日中、日韓関係などを巡って「戦争(の歴史)を知れば、仕組みや背景が見えてくる」と実感した。生徒たちにも、満蒙開拓から考えたことと、身の回りの何かがつながる経験をしてほしい。それが、自分から社会に関わっていこうとする気持ちを育むと願う。

 5月17日、泰阜中。授業の後、林明良さん(14)は「結末はみんなの頭にあると思う。戦争に行き着くまでのストーリーを知った上で満蒙開拓を考えるのは、見方が変わるんじゃないか」と話した。地元を含む各地からの満州移民が凄惨(せいさん)な道をたどった。それを、いま学んでいる歴史の大きな流れの中に位置付けて捉え直そうとしていた。

 吉岡夢希菜(ゆきな)さん(14)は「何で日本は人の土地を奪ってまで戦いたかったのか。自分の中で納得したい」と思った。それぞれ自分なりの「なぜ」が胸に湧き上がっていた。

[大八浪泰阜村開拓団]
 天竜川沿いの山間部にある泰阜村は昭和恐慌後の経済不況の中、十分な耕作面積を確保できなかったことなどから、国策に乗って満州への分村移民を決めた。1938(昭和13)年には現在の3・5倍に当たる5千人余りが暮らしていた。島崎友美さんによると、39年2月以降、三江(さんこう)省の樺川(かせん)県大八浪に276戸1167人が入植した。ソ連の対日参戦後の避難中に暴徒化した現地民に襲われた他、収容所での栄養失調や病気などにより、現地で639人が死亡、36人が不明となり、492人が帰国した。