2024/06/15 信濃毎日新聞朝刊 
 「とにかく逃げろ」母の警句の意味は 犠牲強いて、省みない国で

 木々の芽吹きがまぶしい4月27日、岐阜県白川町の佐久良太(さくらだ)神社。合併前の旧黒川村が満州(現中国東北部)へ送り出した黒川開拓団の慰霊祭があった。戦後79年となる今も2年に1度、開いている。

 主催した開拓団の遺族会の4代目会長、藤井宏之さん(72)=白川町=が慰霊の言葉を述べた。その中で、団を守るためとしてソ連兵に差し出された女性たちに触れた。

 「どれほどつらく悲しい思いをしたか、私らの犠牲で帰ってこられたことを覚えておいてほしい」―。役目を負わされた女性の言葉を紹介し、藤井さんは「次の世代へ必ず伝えなくてはいけないと肝に銘じている」と続けた。両親が開拓団員だった。自身の命と女性たちの犠牲が直接つながっているように感じている。


 40代から遺族会の活動に加わる藤井さんが会長に就いたのは2011年。初の戦後生まれの会長だ。少し前から、性暴力に遭った女性らを訪ねたり招かれたりして、被害について直接聞いてきた。父親が、ソ連兵の「接待」に赴く女性を呼びに行く係を担わされていたことも知った。何をすべきか考えていた。

 12年春、開館前の満蒙(まんもう)開拓平和記念館(下伊那郡阿智村)の建設予定地を探し出し、その場に立った。

 「今、伝えなければならない満蒙開拓の歴史」。更地に立つ看板を見て「自分がやるべき事はこれだ」と気付かされた。満蒙開拓の歴史に潜む「不都合な史実」に向き合おうとする現館長の寺沢秀文さん(70)=下伊那郡松川町=との出会いにも支えられた。

 藤井さんは会長に就任して初めての慰霊祭で、被害女性たちへ「感謝の思い」を述べた。ごく自然に出た言葉だった。歓迎する声もあれば、長年犠牲に触れずにきた遺族会の年長者からは「余計なことを話した」ととがめられた。

 18年、性暴力を受けた末に亡くなった4人を供養する同神社境内の「乙女の碑」に、犠牲の事実と背景を伝える4千字超の文を刻んだ碑を建てた。像を安置した1982(昭和57)年以来、当事者や家族への配慮もあり、何が起きたか言葉にできないでいた。

 犠牲になった当事者や家族を一人一人回り、碑文を寄せることに賛同を得た藤井さん。碑の除幕式では遺族会長として初めて女性たちへ謝罪を述べた。被害女性の家族から「喉に刺さったとげが抜けた」との言葉が寄せられた。


 そうした姿勢は、遺族会と距離を置いてきた被害女性の家族にも届いた。犠牲になった安江善子(よしこ)さん(故人)の一人息子、泉さん(70)=岐阜県大垣市=は、藤井さんが会長になって以降、遺族会の活動に参加し始めた。語りたかっただろう母のためにも、自分に語れることは語っていこうと思っている。

 善子さんと泉さんは、親子でよく話をした。満州での逃避行や戦後の食糧難のつらさなどに加え、反戦への強い願いも泉さんは聞いてきた。ただ、性被害について知ったのは母が亡くなった後だった。

 「最後に何を伝えたかったのか」。善子さんが晩年に記念館の講演で証言したと知り、泉さんは、生前の善子さんの言葉に思いを巡らせた。

 「どんな状況になっても、とにかく逃げろ。お国のために人を殺すことも、殺されることもあってはならない」。善子さんは再三、そう語っていた。「人の土地に入り込んで自分の食糧を作って豊かになろうなんていうのは、もっての外」とも言っていた。

 立場の弱い者に犠牲を強いる一方で、事実を受け止め、省みるということを、この国はしてこなかったのではないか―。「満州のことは、まだ総括されていないことが多い」と、泉さんは思う。

 差し出され黙殺された女性たちが、本当に守らされてきたものは何だったのか。